令和buzz236・・・奇跡の清流、銚子川へ
朝の空気が、すこしだけ
秋の気配を連れてきていますね。
昨日は、
朝早くからYouTube編集ができ、
思いのほか時間ができたので
思い立って銚子川へ・・・
銚子川は以前、NHKで紹介されていたので
いつかは行ってみたい川でした・・・
➡奇跡の清流、銚子川
最近では高速道路も出来て、
1時間20分ほどで到着いたします・・・

42号線をひたすら南下した
以前とは比べ物にならないほどの近さです・・・
42号線の銚子橋北交差点を北上し
どんどん上流に行くのですが、
もうこの暑さで、かなりの方が
川遊びを満喫されていました・・・
夏のこの時期に行ける最上流地点まで行って
しばらく川に戯れます・・・
そこは、キャンプ場らしいです。

NHKでやっていた通りの
コバルトブルーの深みに
透明度の高い岩場・・・
雨量が豊富な大台ケ原を源流とし、
地下にはもう一つの川と言われる伏流水もあるので
この透明度になります。

やはり、ヤバいほど、本当の清流です・・・
家族連れや子供たち、犬たち・・・
みな思い思いに楽しんでいます。
こういう時の子どもたちの声のトーンは
「子ども」ではなく、「童」に変わります。
つられる大人たちもみんな笑顔です。
自然の偉大さを感じずにはいられません・・・
山、川、海・・・
まさに、自然の懐・・・

ふと、子どものころ、
長良川で遊んだシーンを思い出しました。
思えば、私も
いろいろなところに連れて行ってもらったな・・・と
父母に感謝です。
今年は短い夏休み・・・
子どもたちにとっては本当にかけがえのない
川遊びなんじゃないかなと思います・・・・
次回は、初秋・・・少し落ち着いたころ
また行ってみたいなと思います・・・
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冬、立冬のころ⑧・・・いのちの源
現在の場合とで、
ますますしなくなった、できなくなったことがあります。
それは、日々のアドバイスや受験指導で
「不安や恐怖をつかう」ことです。
そういうことを、ほぼしなくなりました。
「ほぼ」と書いたのは、
自分では、100%していないつもりでも
聞いた相手によっては、「不安」ととらえられることもあるだろうし、
本当に悪いことをした時は叱っていますので、
こればかりは、私一人で断定できるものではないからです。
ただ、断言できるのは、受験に関しては
ほんとうに「不安・恐怖」というものは0に近い状態で
保護者の方にも生徒にを接するようにしています。
もちろんデータがありますので、
あまりに無謀な場合はきちんとその旨を伝えます。
ただ、受験というのは、ある程度の不安が残る場合がほとんどです。
そんなときでも、「大丈夫」といつも声をかけています。
会社員のときも、他社の塾人ほど
「不安・恐怖」でむやみに生徒の尻を叩くということは
していなかったと思います。
これは、たまたま他塾の説明会や模試を受けた生徒と保護者が
その塾人からかけられた言葉を教えてくれましたので、間違いないと思います。
しかし、経験者として語りますが、
会社員として子供に接している限り、大なり小なり
どうしてもノルマやその塾人(校舎)の成績に影響しますので
本当の意味で「操作」や「不安・恐怖(脅し)」のような手法から
塾人自らが完璧に解放されることはないのだと思います。
そういった意味で、今ここで塾人として
子供たちと接する機会を与えていただいたことは
わたしにとっては実にありがたいことなのです。
文字通り、わたしのいのちも救われています。
「いのちあるものがいのちあるように」
人生の拠点がこちらに移ってから
私の最大のテーマはこちらになりました。
日々の勉強・進路・経済・医療・・・
子供が将来関わるであろう全てにおいて・・・
助言もアドバイスもすべてこのフィルターにかけるようになりました。
昨日、銚子川の映像を挙げましたが、
その映像を見ていて思ったことがあります・・・
それは、いのちが育まれる源流のようなものがあるとすれば
それは、「安心」と「多様性」なのではないかと思うのです。
これはきっと受験という人間のなりわいにも言えることではないかと・・・
(本来、受験そのものも不要ですが・・・)
たしかに、ウナギが産卵を終えたアユを食べたり、
アサヒアナハゼがビリンゴを丸呑みするシーンがありましたが、
それは「弱肉強食」という言葉ではないと思うのです。
まるで、あぶなっかしく壊れやすい生卵を持つ5本の指・・・
そうやってこの自然界、宇宙はできているのではと思うのです。
親指は短いが力がある・・・
小指は力がないが、なければ
微妙な力加減、バランスが取れない・・・
ましてや、小指がなければ、
手のひらですくうときの
独特の丸みを帯びることはない・・・

「多様性」・・・そういう言葉の方がわたしにはしっくりくるのです。
この町ではすぐに、T高、N高を目指せという大人がいますが、
それは、いのちの源流の「多様性」ということを無視しています。
それが証拠に、これだけ塾産業が活発な三重県なのに
なぜ、T高、N高などの上位進学校に行く子が
増えて増えて仕方がないという状況にならないのでしょうか・・・
それどころか、中3人口の半分にもなっていません。
子どもたちのいのちが元来
「多様性」という性質を帯びていて
自ずとそちらへ向かうからではないでしょうか・・・
自然界は、エサの藻が発生するという「安心」な場があれば
上流を目指す川アユもいれば、
下流にとどまるシオアユもいるような「多様性」を見せるのです。
また、「せめてそのぐらいの高校に行かなければ・・・」という方は、
その子が万一、その「せめて」の高校に行けなかったときの
大きな挫折感と劣等感を想像したことがあるでしょうか・・・
いのちの源流である「安心」を犠牲にしてまで、
無理な鋳型をはめる必要があるのでしょうか・・・
もう一度考えてほしいのです。
自分が選んだ道を行ってもいい・・・
親はそんな自分を認めてくれている・・・
そういった「安心」と「多様性」を許された子供は、
やがて、必然と「好奇心」というアンテナを伸ばします。
「挑戦」という言葉に置き換えてもいいです。
長良川の河口堰にせき止められたアユと
銚子川の汽水域から勇気を出して遡るアユ・・・
どちらが「いのち」なのかは
もう言わずもがなです。
子どもたちも同じです。
この「安心」と「多様性」を認められてはじめて
「好奇心」と「挑戦」という力強い旅に出かけられるのです。
「いのちあるものがいのちあるように」
わたしの塾では、日々のまなざし、助言のすべてを
そういう「自然体」の進路(受験)につなげていこうと思っています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
冬、立冬のころ⑦・・・奇跡の清流、銚子川
三重県に住んでいることが誇りに思えた番組でした・・・

(銚子川ブルー:川がきれいすぎてカヌーが浮かんで見える)
日本には、最後の清流と言われる川がたくさんあります。
長良川、四万十川、梓川・・・
どれも美しい川ですが、ダムや生活排水で
危機にさらされている部分もあります・・・
そんな日本で
銚子川ブルー・・・
こんな身近に奇跡の川があるなんて知りませんでした・・・
特に汽水域(海水と淡水が混じるところ)のシーンは
長良川河口堰を推進した御用学者が間違っていたことを
如実に証明するシーンを見ることができます。
銚子川では、この汽水域を
ゆらゆら帯というらしいです。


(ゆらゆら帯がじわじわとさかのぼっていきます)
画像のように、満ち潮時には
このゆらゆら帯はゆっくりゆっくり川をさかのぼって行きます。
河口堰のなかった昔、長良川でも
かつてこのシーンはあったのでしょう・・・
長良川の問題では、河口堰のために
たまってしまうヘドロを憂う運動家に対して
国の御用学者たちが言います。
「海水と川の水が混ざり合って
ヘドロの部分にも酸素が行くから大丈夫」と・・・
画像を見れば一目瞭然・・・
海水と淡水は交じり合いません。
しかし、毎日起こる、自然の潮の満ち引きは
おそらく天然のろ過作用であり、酸素供給装置なのでしょう・・・
この自然の流れによって、川底まで酸素がいきわたり
多様な生物たちが生息できるのです。
堰で川の流れを止めたことで
たまってしまったヘドロと
日々の自然の流れを分断した川では、
その自然の装置が消えてしまい、
アユが住めない死の川になってしまうのです。
堰で止めることですべてが台無しになるのです。
画像でも川をさかのぼる海水の先端に乗って
アユの子どもの群れが上流へ移動する姿が映し出されています。
本当に美しいシーンです・・・

御用学者は何もわかっていないか、
嘘をついていることになります。
学者とは何ですか。
川について知らない人のことですか。
※岐阜県羽島市の漁師 大橋亮一さん(61)
この方の言葉が胸にしみわたります。
この方が、弟の修さんと残された
「長良川漁師口伝」という本もあります。
アユの生息せん川にしたのは誰や?
アユがしたか?
アユやサツキマスはせぇへんぞ。
誰がしたんや?
人間やろう。
魚捕ましに行っとりゃあ、
わたしゃあ機嫌がいいんじゃ。
川へ行って川眺めとりゃあ、
ハッハッハッや。
僕んたァ、
長良川の漁師に
生まれて
よかったなぁ
長良川の川漁師兄弟の言葉です。

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