モモと桜
多くの気づきをもたらし、
そして、いまだに読み解けない部分があり
読み振り返るたびに
新しい発見がある本を挙げてくださいと言えば、
断トツこの2つを挙げます。
「銀河鉄道の夜」

「モモ」

タイトルは知っていて、よく聞く本なのに
すべてを読んだことがない本の代表的なものかもしれません。
「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
「モモ」の方はまさにこの言葉のことを言っています。
深読みすれば、
銀河鉄道の夜のカンパネルラもそうだと思います。
闇権力のベンジャミン・フランクリンの言葉に
もう一つ有名な言葉があります。
それは、
「時は金なり」
ビジネスマンがよく好んで使うのではないでしょうか・・・
一見、
まさにそうだと膝をたたく人も多いでしょうが、
これは、誰にとっての「時」か?によって
充実した人生
束縛された人生
の二つに分かれます。
私がいつも言う、この世はすべて自動詞・・・
この視点が欠けると、
私たちは「時は金なり」どころか
自分のいのちを縮めることにつながります。
どういうことかもう少しわかりやすく説明します。
例えば自動詞の方・・・
「私の時は金なり」
これは、自分の人生を無駄にしないで
人生は一度きり、と「時」を大切に生きることを意味します。
だから、休む時も大切になります。
自分のペースを守りつつ
頑張る時もあくまでも自動詞・・・
自分が頑張りたいから頑張る・・・
夢中になりたいから寝食を忘れて没頭する・・・
そういう「時」です。
ところが今の資本主義社会・・・
赤の他人が、自分に向かって「時は金なり」と言った瞬間、
時は自分のものではなくなります。
コントロールが入ります。
余分な時間を使わず、
あらゆる時を、生産性と利益(金)に換えよ!
そういう「時」になるのです。
そこでは、休むこと、さぼることをはご法度・・・
ましてや自分ペースではなく、
他者の利益のため、時計のペースで動かなければなりません。
近代は、「測定」の時代がスタートしました。
時計、ものさし、秤・・・
可視化と言えばスマートっぽいですが、
そういったもので、人間のあらゆる生活を測り(計り)はじめ
無駄なものを排除し始めた時代です。
他動詞としての「時は金なり」は
わたしたちから「時」の優しさを奪いました。
さすがは、闇権力の言葉です。
ほけーっと桜を見る・・・
友達と他愛もない話をする・・・
猫のしぐさを永遠に見つめる・・・
そういった時間は無駄なこととして
「時は金なり」とすれば、
われわれから、文化は消え
芸術は抜き去られ
いのちは干からび、死に体となってしまうことでしょう。
モモは、そんな時間泥棒から
皆の時間を取り返すファンタジーです。
でも、いまの社会、
ファンタジーと感心している場合ではありません。
私たちの周りにも、時間を盗んでくる
他動詞軍団、灰色の男はすぐそばにいるのです・・・
「後ろ向きに歩け!」
時間を取り戻しに行ったモモが危機に直面した時
亀のカシオペイアが言うセリフです。
このセリフが私たちを灰色の男たちの呪縛を解くカギでしょう・・・
皆さんはどう読み解きますか?
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令和buzz243・・・カンパネルラの哀しみ(本編)
令和buzz242・・・カンパネルラの哀しみ(予告)
➡OK!soraさん
テーマは、「今でしか生きられない」です。
銀河鉄道の夜からお話いたします。
そういえば、米津玄師さんが
「カンパネルラ」をアップされていますが、
銀河鉄道の夜って
本当にいろいろな解釈が生まれるんだなと
つくづく奥深さを感じます・・
さて、
よく「今を生きる」といいますが、
正確な言い方ではありません。
「今を・・・」というと
他に
過去を生きるとか
未来を生きるとか
選択肢があるように聞こえますが、
私たちは、厳密に言えば
「今でしか」生きれないのです・・・
過去を考えたり
未来を考えたりするのは
その過去や未来へ
心さえを運べば
その過去や未来を
どうにかできると
勘違いしているからです。
お盆が過ぎ
亡くなった方に思いをはせる時間が
期間限定になってしまう方も見えるでしょう・・・
我々が勝手に妄想する
あわただしい過去・未来時間に
この貴重な「今」を邪魔をさせるからです。
あの世は、私たちのすぐ隣にあります。
もっと言えば、私たちの中に
いつでもともにあるということです
何時でもアクセスできる「今」があることを
どうか忘れないでください・・・
だから、
反省したり
悔んだり
惜しんだり
・・・・・
そうすること自体が
ピントがずれていることなのです。
時空とは、相いれないことなのです。
あの、ごめんなさい・・・
誤解を恐れずに言うならば、
そういったことは
単なる趣味・嗜好ということになってしまいます。
りんどうの花は、「今」持つしかないのです・・・
どういう意味か・・・
明日の動画でお話いたします・・・
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春、穀雨のころ③ 光るキノコ・・・
昨年の冬にいただいたキノコキットや
2年前に明日香で菌打ちしたホダ木には
雨後、数個のしいたけが生えてくる。
数日ごとに2.3個採れるので
採るたびに干しシイタケにする。
結構たまってくるから嬉しくなる。
キノコはキノコでも「光るキノコ」があるらしい。

以前この光るキノコのTVが放映されていた。
「なぜ光るのか?」
ナレーションでは、
「自ら光ることで、虫を寄せ付け、
胞子を付けさせ、子孫を残す工夫・・・ 」
と話されていた。
キノコも生き残りをかけて工夫していると・・・
本当にそうだろうか・・・
人間はよく、生き残りをかけて、とか
すぐれたものが生き残ってる、って力むけど
わたしが見たあの光るキノコは、
まったく違うように見えた。
ただ光りたいから光る・・・
そうしているように思えた。
「変な顔をしてはいけない。
ぼくたちのからだだって、考(かんがえ)だって、
天の川だって、汽車だって、歴史だって
ただそう感じているのなんだから。」
銀河鉄道の夜(宮沢賢治)の中で・・・
カンパネルラと本当に別れたあと、
ブルカニロ博士がジョバンニにいうセリフ…
まことと美の模型・・・
「さう(そう)ならうとする生命体」
ただ、そうしたいからそうしている・・・
日々、もろもろの雑事の中で
人間がいちばん忘れてしまう「美」のような気がする。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体