秋、白露のころ⑮・・・泣きたくなったとき
世の中には色々な涙があるけれど、ひとりでいる時に泣いてしまう「涙」って、自分の限界までやってきた人にしか流せないものです。
— しいたけ. (@shiitake7919) 2018年9月19日
だから、そういう時は結果じゃなくて、「今が情けない」じゃなくて、自分を少しだけでも褒めてあげても良いんじゃないかって思います。
しいたけさんのつぶやきを見てふと思い出した。
金華山と長良川・・・
もうかれこれ30年以上も前の話。
22才の春は、いろいろな意味でしょげているときでした。
同級生の中で唯一教員採用試験に落ち、
臨時採用のためのエントリーや今後のことを考えて
悶々としていたのがこのとき・・・
きっとだれもが人生で一度や二度
この取り残されたような
なんとも言えない寂しさを
抱えたことはおありではないでしょうか。
若い頃というのはとにかく視野が狭く、
自分の非力さに対する苛立ちとあきらめを
いったいどこにしまい込めばいいのかわからなくなるときがあります。
教採に見事に落ち、一時実家に帰っていたわたしは、
こころが落ち着かなくなると必ずといっていいほど
金華山を見上げる長良川の河川敷きに車を止めて
ゆったりとうたた寝をしていました。
なんともいえず、ポカッと浮いてしまったあの時期・・・
虚無感が時折流れたあの時期、
長良川のほとりは、本当に心安らぐ陽だまりでした。
中二から抱き続けた夢の教員への道を
再確認するために、長良川で禊を受けていたのかもしれません。
今日は、母を訪ねる日・・・
ドライブがてらきっとあの長良川のそばも通ることでしょう。
敗者復活をさせるのは、人それぞれでしょうが、
私の場合は、ずっと変わらずそこにある里山や里川がそうでした。
川と山が、もう一度生かされるいのちを与えてくださいました。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
十年、をちこち・・・㉜
母は、長良川に洗われ(顕れ)、金華山で遊んだ人です。
父は、御嶽を源に、木曽川で遊び、
伊吹山に愛された人ではないかと思います。
自分のいのちを考えるとき、
自分の父母がどこの風土に育てられ、
洗われ(顕れ)てきたのかが
とても重要だと教えてくださった方がみえます。
学校の教員を辞め
一年間本屋でバイトをしていましたが
その時の雇われ店主さんです。
この方は面白い経歴の持ち主で
夜逃げの経験もありました(笑)
それを屈託なく話される姿を見て
人間のたくましさと楽観的な愉快さを
まだ若かった頃の私は感じました。
わたしが、龍とご縁があるのは
山と川に洗われた(顕れた)父母のご縁と
辰年を選んだがゆえではないかと思います。
木曽三川の豊かな恵みは
私たち親子の源流(龍)なのではないかと思います。
そんな父が亡くなる前・・・
もう二度と出られなくなった病室でつぶやきました。
「あそこの水が飲みたい」
あそことは、伊吹山のふもとの泉神社です。
以前もよく3人で汲みに行きました。
早速、母と二人で向かいます。
そこで出会ったのも龍・・・赤龍でした。

なんとなくその美しさにひかれて撮った一枚。
すこし拡大してみます。

おわかりでしょうか・・・
ご神木を下から巻き付けて
手前の緑の木の横で首を左に振っている・・・

解説するのも無粋ですが、
父がいかに伊吹の山に愛されていたのかがわかります。