苦しむことで許されようとしない
どういうことか?
苦しいと感じている人で、
この世は自動詞と気が付かない人は
大きく分けて2パターン、どちらかの行動をとります。
それは、
①人のせいにして自分の苦しみは自分のせいではないとする
②苦しんでいることを声高に言い、それほど苦しいのなら
「もうそこまででいいよ」と許してもらえることを狙う
それを組織的に宗教化させたのが、
キリスト教の「原罪性」です。
人は生まれながらに罪があって、と苦しみ
その罪をイエス様が背負って十字架にかかってくれた・・・
として、許されようとするあの感覚です。
「罪深く苦しんでいるものは許される(逃れられる)」
自分自身が本来向かわなければならない「苦しみ」の
不健全な転嫁です。
まさに為政者は、このことを「奴隷化」に使ったわけです。
自分は、その苦しみから逃れたいのですが、
苦しむことで唯一許される(逃れる)と思っていますので
いつまでも永遠に苦しみ続けます。
その人の目的は
苦しみが苦しみでなくなるようにするためではなく
許してもらおう
逃がしてもらおう
守ってもらおうとすることが目的ですから
永遠に「苦しむ」ことを選ぶわけです。
「苦しむことが唯一苦しみから逃れる方法」という
実にくだらない笑い話が生まれるからです。
あの、「ウロボロスの蛇」です。

この図は、人々を奴隷化するための、
または、自らを奴隷化するための
モデル図かもしれません。
蛇は痛いと言います。
だったら、自分で自分のしっぽをかむのをやめればいいのですが、
それをしたら救われない、許されない、逃げられないと思っていますので
絶対に尻尾を離さない・・・
まるでギャグです・・・
「苦しみたいから苦しんでいる」
そう言うことです。
これがいかに健全でないのか・・・
分かる人にはわかりますし
分からない人にはまったくわからないのです。
この文章が、届くべき人に届けばいいなと思っています。
theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : 苦しむことで許されようとする人々