子どもは秘密を持つぐらいがちょうどいい
支配的な親に育てられると
子供は自分の世界を持つことに
罪悪感を持つようになる 加藤諦三
自分の世界を持つということは
秘密が増えるということだ。
「うちの子は何でもよく話をしてくれますからぁ・・・」
そういうのは、
とてもいい感じの親子関係のように見えるが
よくよく観察すると、
ん?
ちょっと違うなー
という場合がある。
実はその親は、
自分が支配的であることに気が付いていないのだ。
支配的というのは何も、
威圧的に命令口調になるばかりではない。
母親が息子にべったりな状態も別の形の支配だ。
子供は、蜘蛛の巣に絡められた虫のように
自分の感覚で行動できなくなる。
やがてひとりで身動きできない青年に育つ。
「うちの子はホント優しいいい子でぇ・・・」
そういう母親にぞっとしたことはないだろうか・・・
それは優しいのではなく
自分の価値観、自分の感性が育たなくなってしまって
言葉・行動が何も出てこなくなっただけだ。
その母親は、自分は子どもと仲が良く
何でも知っていて理解していると勘違いしている。
これは単に子供に秘密(自立心)を持たせない
支配的な母親にすぎないのだ。
小さいころの
「○○やってもいい?」ならまだわかる・・・
しかし、20代後半になっても
「○○やるわ」
ではなく
「○○やってもいい?」と
親である自分に頻繁に聞いて来るようであれば
それは、自分が子供に対して
幼少期から支配的であったと気づかれるとよい。
ちなみに、
なぜこの母親は息子に甘えるという形で支配的になるのか?
それは、自分が本当は何もないことを知っているからだ。
空っぽだと恐れているのだ。
その自分の空虚さちゃんとを見つめない限り、
この歪んだ甘えの構造は続く・・・
幸運にもその息子が結婚できたとしても
その孫にまで影響を与える。
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自立とは・・・
令和buzz139・・・「頼れる力≒自立」という理論
#19 📻 withコロナ時代 「自立≒頼れる力」
以前も自立についてブログを書きましたが、
➡自立ってなんだ!?①
➡自立ってなんだ!?②
➡自立ってなんだ!?③
➡自立ってなんだ!?④
➡自立ってなんだ!?⑤
今回のコロナでやはり同じ気持ちとなりました。
頼れる力があること
お願いする力があること
しかも、そういった人や場所が
分散されていて、数か所あること・・・
これからの若者は
そういった力が必要になります。
これからは不測の事態となっても
どこかで救われる関係・・・
そういった架空の「ムラ」を作れる力・・・
それが必要なのではないでしょうか・・・
海が奇麗でした・・・
よかったらご覧ください。
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樹下石上129・・・やった通りにしかならない
やった通りになる・・・
子育ての鉄則です。
とある飲食店・・・
店の中には3組のお客さん・・・
その中の一組・・・
ある親子のお客さん・・・
どうやらママ友らしい・・・
二人の母親とその子供が3人・・・
「ガッシャーン」
高校生らしき女の子が
水用のコップをテーブルから落とした。
幸い、水は入っていなく、
若干の水と氷だけが床に散らばった。
「すみませーん。水こぼしましたぁー」
母親が叫ぶ・・・
その店は、若い夫婦で切り盛りする小さなお店・・・
当然、忙しそう・・・
それでも、若奥さんが急いで
調理とホールの合間をぬい、フキンを持ってやってくる。
氷を拾い、床をふく・・・
で、こぼした当の本人・・・
落としてから、若奥さんが来るまでの時間、
立ち上がることもせず、制服の足を120度に広げて
携帯から目を話さない。
母親はおしゃべり、その他の子供たちも携帯・・・
すみませんの声も聞こえない・・・
母親たちも立ち上がるわけでもなくそのまま・・・
おかあさん・・・
子供はやった通りにしかなりませんよ・・・
わたしは胸の中で呟く・・・
失敗をしたとき、
自分にできることはすぐにする謙虚な姿勢・・・
手伝ってくれた人への無条件の敬意・・・
なによりも、すみません、ありがとうをいう素直な心・・・
本当の自立とはそういう行いから生まれるもの・・・
→自立ってなんだ!?②
→自立ってなんだ!?③
そういったことすべてを
行いで教える絶好の機会を、お母さん・・・
あなた方は逃しているんですよ・・・
子供は言った通りにはならない、
やった通りになる・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
樹下石上 118・・・自立ってなんだ!?⑤
とりあえず今日で一区切りしたいと思います。
私が自立について考え続けるわけは、
目の前にいる子供や相談者の現状を見ていて
何度も何度も行きつく矛盾のためです。
「教育とは子どもの自立を目指すもの」というテーマと
「個々自立の濃淡を、いったいどこで受け止めてもらうのか」
この二つのギャップがあるからです。
国(支配する者)がわたしたちに、
暗黙の了解で求める「自立」は
①何でもこなせること
②一人でできること
③速く(早く)こなせること
④生産性が上がること
⑤利益(GDP)が上がること
⑥できるだけ高い納税者であること
⑦余分なこと(反対意見)は考えないこと
⑧できるだけ一律であること
⑨多少規格外なら、既得権に迷惑をかけないこと
そんなところでしょうか・・・
私の塾には、教科書1ページぐらいの内容なら
5分で覚えられる子もいれば、
2時間かかっても覚えられない子もいます。
国の基準からすれば
まちがいなく前者の子が有利です。
身近な諸々の締め切りも
テストも
成績も
受験も
就職試験も・・・
しかし、いのちを基準に考えれば、
後者は実に苦しい世の中になる・・・
なんでできないの!?と不機嫌に叱られたり、
まあ、いいや!とほったらかされて無視をされたり、
他者に嫌味を言われながら
その不足分を補ってもらうことに
罪悪をおぼえる・・・
足の不自由な子に
100mを12秒で走れと言われているようなものです。
また、仮に足が不自由でなくとも、全員
12秒で走れるようにトレーニングさせられる感じでしょう。
もちろんその逆で
早い子が遅い子に無意味に合わせる必要もない。
過剰反応と無配慮の間はないのか・・・
できる子とできない子の確執が生まれる・・・
やがて、優越感と劣等感の層ができる。
また、優の中に新たな優劣の層・・・
そうやって、果てしもない細分化された序列ができる・・・
自立ってなんでしょう!?
2時間かかる子に「2時間を確保してあげること」・・・
本人が必要であれば手助けすること・・・
あなたが、あなたのペースで進めばいい・・・
それが、本当の意味で「自立していること」になるのでは・・・
そんなことでは社会に出たらやっていけない・・・
でもその環境を望んで作っているのも私たち・・・
それに、そこはあくまでも比較の問題・・・
私の「自立考」はこれからも続くのでしょう・・・
そんなに簡単に答えは出ないでしょうね。
考えて考えて考える・・・
一人の大人としてそれをやめない。
そして、それを少しずつ現場で生かす・・・
それがせめてものわたしのお役目だとも思っています。
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体
tag : 自立