樹下石上 ㉕・・・すべて芸術
もう小指ほどの太さに育っている。
毎年毎年、野菜を育てて思うことは
この成長が本当に不思議ということ・・・
わずか数ミリの種が、ここまで大きくなる理由を
今の科学は証明できるのだろうか・・・
一体あの種になんという節理が詰まっているのだろうか・・・
土と気温と水・・・
その力を借りて、種がここまでの芸術を見せる不思議を
人間はいまだに解明できていない。
「種の中にその『もと』になるものがあるから」
子供向けのサイトには、そう書いてある・・・
その「もと」が人間には解明できないようだ。
人間が怪我をして血が流れると
その血が固まって、やがて傷口が塞がれ
幾日か後にすっかり元の皮膚に戻っている。
その理由を証明した人が千島喜久男博士。
血球細胞(赤血球、白血球)は、あらゆる細胞の元、万能細胞となるからだ。
赤血球、白血球は、万能細胞なのだ。(STAP細胞)
あの小保方さんは、偶然に「リンパ球が体細胞に変わる瞬間」を
発見してしまったのだ。
わたしたちのからだが元通りになるメカニズムは以下のよう・・・
(1)切り傷で皮膚、骨、血管、神経を切断。
(2)切断面に急速に治癒の神経結合が形成される。
(3)そこから、指令の治癒電流が体細胞に流される。
(4)皮膚、骨、血管、神経の体細胞は、全て幹細胞に戻る。
(5)傷口を縫合などで密着させる。
(6)神経結合から再び指令電流が個別周波数で流される。
(7)その周波数ごとに対応し幹細胞は皮膚、骨、血管、神経等に再生される。
(8)体細胞は完全再生され、傷口は消え失せ切断前と同じ状態に戻る。
不思議なことに、その再現は試験管の中ではなかなか難しいそうだ。
つまり、人のからだの中でないと、
血球細胞(赤血球、白血球) ⇔ 体細胞⇔万能細胞
この可逆性は見られないという。
なんという神秘・・・
わたしは、植物の種の中にも
こういった万能細胞があるのではないかと思う。
だからこそあのような芸術のような成長を見せてくれるのだろう。
ところでそういった神秘と芸術をひとりじめしたり、
横取りして巨大な利権にしている輩が世の中にいる。
➡素人は黙らない
前者は、
種子を専売特許にしようとする大企業
(バイエル〈モンサント〉等外国企業)・・・
日本は、大切に守ってきた種子法を廃止をして
その企業に力を貸している。
後者は、
すでに千島博士が発見されていた幹細胞を
まるで自分たちの手柄に変えて
再生医療という巨大利権に仕立てている。
種は誰のものでもないし、
人のからだは もともと万能細胞だらけであって、
「医療」の手を借りなくとも再生していく・・・
神が万人のために無償で示してくれる芸術を
おのれやおのれの団体のみに利するように
わがまま放題の輩がいる。
そういったことを規制緩和だとか
医療の発展というらしいので
わたしは、思わず眉をひそめてしまう。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、小満のころ②・・・踊ること
わたしはダンスにのめりこみます。
部活としては、陸上の投てき(やり投げ、円盤)だったのですが
そちらは思うほど熱を注げなく・・・
大学1年の授業にあった「ダンス」で
人生に最も影響を及ぼした3人目の恩師に出会います。
(2人目は、実は中学の時の先生だが機会があればまたお話いたします。)
大学卒業単位的には、4年間も取らなくてもいいダンスを
のめりこんだがゆえに卒業までずっと取り続けました。
ダンス(踊り)は今までのスポーツ・・・
つまり、近代スポーツとは少し違いました。
いまの若い方はダンスと言えば
TVでよく知られている「ストリート系」や「ジャニーズ系」のダンスがメインになりますが、
もともとダンスは、世界的にも時代的にも様々な歴史があります。
大きな国単位ではなく、一つのマイノリティ(社会的少数者、地域)に
それぞれ独特の踊り、舞踊が存在します。
今思えば、そういった立場の小さい人々、
普通から外れている人々が原点だからこそ
惹かれたのかもしれません。
流浪の民「ロマニー」
白人差別を激しく受けた「黒人、ヒスパニック」
巫女がその原点であった「白拍子」・・・
そのどれもがマイノリティ(階級)として差別と迫害を受けた民たちですが
同時に、権力から離れたところで生きる自由性と
その陶酔性にあこがれさえ抱かせた人々でもあります。
「軽蔑」と「あこがれ」を同時に兼ね備えたもの
・・・それが舞踊です。
昭和から平成にかけての今でこそ
リズム、ストリート系のダンスがメインとなり、
かなり明るい市民権を得ていますが、
わたしがやり始めたころ(1982年ごろ)のダンスは、
まだまだどこか非社会的で、不良がやるもの(笑)・・・
=アンダーグラウンドというレッテルがなんとなくありました。
おとなたちが眉をひそめた理由は、
若者が、いまにも安定した社会階級を破壊するのでは・・・
そういう恐怖があったからだと思います。
それは、昭和の安保闘争時の映画「ウエストサイドストーリー」や
経済成長期の「サタデーナイトフィーバー」「フットルース」などの影響・・・
そして、「ディスコ」「ダンスホール」「クラブ」などでときおり
(いまの朝ドラのような明るいお立ち台シーンばかりでなく・・・)
風俗的な事件が起きたり、ドラック犯罪などの温床につながる場合があったからでしょう。
➡ディスコ
踊りには破壊的なエネルギーがあります。
平凡な日常の破壊です。
古代では、もともとダンスとは言わず、舞、舞踏、舞踊、踊りです。
子孫繁栄、五穀豊穣はもちろん
神を降ろし、神と人間をつなぐ呪術的、祈祷的要素があります。
そういう意味で「我」を忘れる行為、儀式です。
舞=陶酔です。
そういう意味で、わたしにとっては「踊り」は神秘です。
余談ですが、どの舞踊も音楽とセットで進化していきます。
その陶酔性と呪術性には、それぞれ独特の音楽(民族音楽)が栄えます。
➡ダンスの歴史

たとえば、夏の郡上踊りやねぶた祭、阿波踊りも
陶酔であり、激しい感情の発露としての舞であり、
神とともにまう舞踏です。

わたしがのめりこんだ「踊り」には
(もちろんリズム系もありましたが)
どちらかというとそういった呪術的、陶酔的で
それが根底にあるコンテンポラリー的表現のほうが多かったです。
画家が絵で、
詩人が文字で
音楽家が音楽で・・・
それぞれ自分の言いたいことを表現するのと同じように
踊りは、身体を使って伝えたい思いや世界を表現する・・・
ノンバーバル(非言語)なアートコミュニケーションといえます。
じつは、経験としてはこの「踊り」がいちばん長く
18歳から始めた踊りは、途中数年抜けますが
44歳で店を始めるまでつづきました。
次回は、そのエピソードに触れていこうと思います。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体