神はどこにおわすのか
地元の大市神社へお参りに行かせていただきます。
大市神社は、大市比売命をおまつりしております。
大市比売命は須佐之男命の妻の一人です。
しかも山神様の大山祇神(おおやまつみのかみ)を父に持ちます。
だから、
大市神社のお稲荷さん(宇迦之御魂神、大市の息子)の片隅に
「山神様」の石碑がそっと置いてあります。
みんなが素通りする場所にも神はおわすのです。
大山祇神は、日本の最古来の神とも言われ
愛媛の大山祇(大三島)神社の神様です。
火山の国、日本ですので
必然的に山は崇拝の源となります。
三重県のWOODJOBの映画でも出てきましたね。
ですから、大市神社は、
父親の山神が暗い端に追いやられ
妻がメイン、息子が第二(といってもほとんど参られないが)という
配置になっているのです。
娘➡その息子➡娘の父
そういう序列です。
おかしな序列です。
私たちが日ごろ普通に見ている神道は、
明治時代以降のものが多く、
国家神道です。
古来の神はことごとく格を下げられ、
歪められてきています。
しかも、親子、兄弟、姉妹説が
デタラメに書き換えられていることが多いです。
ちなみに神と言っても
ほとんどが渡来人です。
渡来して、土着した順番に
その土地の主になりますが、
後からやってくる渡来チームにやられていくわけです。
なぜならより後からの方が高度な武器を持っているから
勝利してしまうのです。
そして、岡山県の温羅伝説のように
古い渡来人は「鬼」扱いされるわけです。
ですから全国に「鬼伝説」があるわけです。
桃太郎伝説があるところは
その新旧の戦いがあった場所です。
大抵は、鉄などの鉱山資源がある場所です。
由緒書きによくある
合祀神 祖母嶽神・罔象女神・建速須佐之男神・天照大御神・大名牟遅命・少彦名神・布都御魂神・事代主神・市杵島姫命・宇迦之御魂神・天水分神・大山祇命・菅原道真(大市神社の合祀)
こういった合祀って
実に不思議で無茶だと思いませんか・・・
それだけ、本来の神(渡来人)が
侵略され、資源を略奪され
ごまかされうやむやにされているのです。
いえ、侵略し書き換えたからこそ
祟りを恐れて合祀しているわけです。
いわゆる封印です。
だから鳥居やしめ縄で結界を張るのです。
千と千尋の神隠しです。
いわゆる新参者の神が
古来の神を格下に据え置き、
自らを最高最上神にするための
虚構がちりばめられているわけです。
それを聖徳太子が亡くなった飛鳥時代の終わりから
明治時代に初めまで、し尽くしてきたのです。
和ではなく、
富の偏り、序列の始まりです。
ですから神社参拝の裏礼儀は
端に追いやられた神々(小さな社)、
参道の森林や磐座、
こぼれる光、
そこに心を寄せることです。
そこに彼らは周波数として鎮座します。
千の風になっていらっしゃるのです。
だから、その波動を合わせることが
何よりの供養となり、大切となってきます。
虐げられた神々はそこにいらっしゃるからです。

(2022.1.2瀧原宮にて)
神社によっては
まさに正宮に神はいらっしゃらないのです。
余談ですが、
元旦の朝、初日の出参拝後に
毎年恒例、
お店の木ぃじいちゃんへのご挨拶・・・
その時に咲いていた一輪の薔薇・・・

ここにも神がいるのです。
正確には妖精と言えばいいでしょうか・・・
妖精がいる場所に花は咲きます。
切り花の場合、
その妖精と一緒に部屋へ来てくれると
花は長持ちします。
話を戻します。
神々はどこにおわすのか?
記紀が葬った神々がいる・・・
毎年、お正月は彼らの命日なのです。
少なくとも私にはそう感じます。
そういった歴史を知ることで
神に出会う場所は劇的に変わるかと思います。
日本を再認識できます。
「大和魂」???
わたしには奈良時代のコマーシャリズムにしか聞こえません。
大和魂同様、
津軽魂
陸奥魂
気比魂
諏訪魂
尾州魂
出雲魂
土佐魂
薩摩魂
琉球魂
・・・
があったはずです。
例えば、アテルイやモレの首塚はあっても
なぜ純粋に神になっていないのか?
➡「日本人」はどこからきたのか
天照大御神は誰が何のために創ったのか?

そういった問いを持つことで
私たちは本当の神に出会うのかもしれません。
[スポンサーリンク]
tag : 神の居場所