知識は過去
1872年の学制発布から始まりました・・・
その後、知識を蓄えた人たちがたどり着いたのは
平和ではなく、戦争です。
知は富を生み、
その富を守るために武人を生むからです。
学んだ者は、その知識と学歴の多少により階層を作り、
自称偉い者と富をかすめた者たちは、
軍人か、経済人となり国を操縦し始めました。
学びは確かに大切な行為ですが、
そこで生まれる階層と囲い込み、エコひいきは
富を生み出し、さらなる戦争を拡大させてきました。
誰も内省と反省をしないまま、
日本は50年の間に日清、日露、第一次大戦と突き進みました。
ちょうど今の朝ドラがその時代の走りです。
やがて、知識は細分化され、専門家が生まれ始めますが、
だれも統合の場を意識しなくなります。
その後、時代がすすんでも
相変わらず、劣等と優等が交錯し、
優等は、劣等を虐げても罪悪さえ抱かなくなる・・・
現代に入っても同じです。
兵隊は企業戦士にすり替えられ、
一変、都合よく首を切られる時代が続き
挙句の果てはワクチン強制企業となりました。
「働け!」と言ってみたり
「辞めろ!」と言ってみたり
身勝手きわまりありません。
ふたたび、みたび、
得をするのは一部の人間という悪夢が再延長される・・・
私たちに残ったものは
わずかなお金と不健康(死)となりました。
これが今の時代です。
一部の人間の巨万の富のために
私たちの財産や健康、いのちが搾取されていく・・・
何も変わっていないのです。
知識人が、富裕層が、庶民を救うかのような錯覚が
この150年続きましたが、
いい加減、無感・無考の群衆を止めてはどうでしょう・・・
群衆という徒党の下で、
本当の私たちの能力を放棄し、時に手錠をかけ、
嘘の安全欲求・願望欲求に甘んじる奇行をそろそろやめませんか・・・
知識は、方向性を間違えると
「剣」になり、
「閉鎖」を生み、
「真価」を見失い
「進化」をやめます。
なぜなら、
知識は「過去」だからです。
「知識」は自分たちが徒党を組むための言い訳だからです。
「知識」と「上下(師弟)関係」と「閉鎖」は
非常に密接な関係があります。
知識(階級)が及ばない人間は
その知識人に囲われ、ぶら下がることに甘んじ、
おこぼれや偽の欲求実現を得ようとします。
媚と隷従は、自分の進化を卑下し
自分で考え判断するという努力を怠ります。
そうして、あの戦争状態と同じ現象が今も続いているのです。
どういうことか?
現代に入り、以前の階級と群衆が
「ファン」という耳障りのいい言葉にすり替えられただけです。
「ファン」という群衆の中で
自分の夢をその人の夢に重ね、すり替え
特権錯誤(特別感錯誤)するのです。
戦争時代の空気と群集心理は
脈々われわれ人類の習性に残ったままです。
某有名芸能会社を見てもそうですし
巷の有名サロンなどでも同じ現象は見かけます。
知識にすがってはいけません。
ましてや、
他人の知識にすがるなど
浅ましいことをしてはいけないのです。
そう言うときの「知識」は人類への蹂躙でしかないのです。
知識は、
ともに、対等に、横に並び
ともに、対等に、前を見て
かの逆流を上ることでしか進化しないのです。
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