令和buzz123・・・社会の病気
心の病気が、鬱
社会の病気が、偏見、差別・・・
今は、一番最初の感染症より、
二番目三番目のフェーズに入っていると思います。
だからコロナに負けるなとか
コロナをやっつけろとか
あまり言わない方がいい・・・
with コロナ
コロナは生物ではないけど
自在に変化する。
変化するものは、どちらかに変化する・・・
①自然な方に変化し、周りとの共存を図ろうとするか、
②狂暴化し、さらに自己主張するか・・・
それは人間も同じ・・・
ちなみに①にいくか②にいくかのトリガーの違いは
受けとめ側のこちらの問題・・・
こちら側が自然体で受け止めれば①に向かうし
はじこうと必死になれば②にむかう・・・
畑をしていると気づく・・・
自然界はみな、
①のほうへと向かおうとする・・・
これは理屈じゃない、
きっと宇宙の法則なんだと思う。

地上のだれもが
何かを与え何かを受け取る・・・
物質も気も・・・
その数限りないやり取りが
何か目に見えない網の目状になっていて
破ろうとしても決して人間ごときでは破れない・・・
そんな気がする・・・
①に向かう森羅万象は
守られてるし、
安心していい・・・
こういう緊急事態の時は、
どちらかというと人間のほうが緊急事態だ・・・
先日もある人がスーパーに入る時に
例の消毒剤を念入りに
シュシュ、すりすりとやっていた。
風下にいた私は、
その消毒剤の有害な気化した空気にさらされた・・・
わたしにとっては、そちらの方が不快だ・・・
SNSでは、世界は「共有」だと美辞麗句言って
「注目」という人の念を所有しようとする輩がいる。
(所有欲)
コロナを地球の怒りとか叫びだと言って
自己特別感を「承認」させようとする人もいる。
(承認欲)
実にめんどくさい・・・
特別なことを言うから
特別なことを考えているから
あなたが偉いんではなく、
土にように
草のように
花のように
何者でなくても
その粒子一つ一つが
動き
変化し
くるくると回り
世界を作っている・・・
それ以上でもそれ以下でもない・・・
巨に見えて微細・・・
微細に見えて巨・・・
それが、宇宙と身体・・・
めんどくさいことを言って
ほっておいても自然に帰ろうとする
ウイルスの邪魔をしないでほしい・・・
自然を邪魔するのは
太古の昔から人間なのだ。
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genre : 政治・経済
令和buzz114・・・コロナの今こそ、金から菌へ
消毒しすぎると
後からしっぺ返しを食らいます。
コロナは、ある条件なら
太陽光で2分から1分半で不活性化される・・・
➡新型コロナウイルス、太陽光で急速に不活性化 米研究
昔から布団を干していた日本人は
とうの昔からわかっていた!?
これを今頃、発表!の不自然さ・・・
コロナはやはり人災ですね。
もちろん3密は避けなければいけませんが、
それはインフルエンザも一緒!
外に出よう、
土に触れよう、
微生物を敵に回さない、
常在菌を殺さない・・・
私たちはもう少し自分と
それを助ける自然の働きを信じた方がいい・・・
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genre : 政治・経済
令和誕生⑤・・・情と理
「竹の花が咲いているらしいよ」
母は、竹の花が咲くと枯れるということを知っていた。
さすが年の功・・・
高速道路で帰途・・・
左右の竹林を見た。
やはり、枯れていた。
高速だったので画像は撮れなかったが
確かに竹林が茶色っぽく変色していて
竹がすでに立ち枯れで傾いているところも多かった。
時代の節目ということか・・・
➡竹の花は120年にいちど咲く!? 七十二候<竹笋生(たけのこしょうず)>
今日はお天気も良かったので
GW恒例の夏野菜の定植をしました。
この時期の畑仕事は本当に気持ちよく
土のエネルギーを肌で感じることができます。
その年その年で、耕した土に集まる虫の種類や多少が変わるので
それが一体何を意味するのか・・・
そんなことを考えながら定植してます。


これから、野菜も雑草もわっさわっさ伸びてきます。
程よく雑草を管理するのが大変になります。
大変なくせに畑をする・・・
この矛盾こそ人間なのです。
大変なもの、労力のいるものとわかっているなら
農薬をまいて、いやそれよりもアスファルト敷にすればいいものを・・・
わざわざ毎年、草を刈って、土を耕して・・・
「理」だけで考えれば、結構無駄なことをしているわけです。
苗を植え、その後を世話をするというのは
理屈抜きの「情」がなければできないことです。
しかし、これこそ人間の人間たるゆえん・・・
現在の憲法第9条を「情」を優先したものと評したのは
「令和」の考案者とされる中西進さん・・・
昨日の講演会が話題になっています。
➡令和考案の中西氏、安倍首相チクリ「十七条憲法尊重を」
ここでも何度も取り上げているが、彼はかつて言った。
世界情勢を見れば、9条を変えるべき・・・これが「理」。
しかし、二度と戦争をしないという「情」を優先した国は日本だけだと・・・
憲法第9条の改憲派の理由の一つに
アメリカに押し付けられたものだから・・・というものがある。
ところが最近これはどうも怪しい説になりつつある・・・
国会図書館の資料から・・・戦後二人目の首相、
幣原(しではら)喜重郎(1872~1951年)の証言が残っている。
「・・・憲法は押しつけられた、という形をとった訳であるが、
当時の実情としてそういう形でなかったら、
実際に出来ることではなかった。
そこで僕は、マッカーサーに進言し、
命令として出してもらうように決心したのだが・・・」
「第九条の永久的な規定ということには、彼も驚いていたようであった。
僕としても、軍人である彼が、直ぐには賛成しまいと思ったので、
その意味のことを初めに言ったが、
賢明な元帥は、最後には非常に理解して、感激した面持ちで、
僕に握手した程であった。
元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、
共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
日米親善は、必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが、果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾は、やがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は、想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。
世界が亡びれば、アメリカも亡びる。
問題は今や、アメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。いかにして、世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら、誰が世界の運命を切り拓くか。
好むと好まざるにかかわらず、世界は、一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は、破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、
ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は、
自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。
同時に、そのような戦争放棄国の出現も、また空想に近いが、
幸か不幸か、日本は今、その役割を果たしうる位置にある。
歴史の偶然は、日本に、世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。」
幣原は、憲法第9条の理念を形にするために
「アメリカから命令された形」を取ったのだ。
それはまるで、中西進さんが今回の元号を
「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、
天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」
そう談話したという。
人類の理想という形を叶えるために
あえて「個」や「我」を消す形をとったのとよく似ている。
また先日、こんなニュースも流れた・・・
幣原(しではら)首相が、在任中、
憲法9条への思い入れを託したとみられる
漢詩の掛け軸が見つかったらしい。
ずっと行方不明だった掛け軸が
いまこのタイミングで現れる不思議・・・
➡憲法9条 意義、漢詩に託す 幣原元首相の掛け軸発見 草案時期にしたためる
その漢詩がこうだ。
長 城 汪 遵
秦 長城を 築いて 鉄牢に 比す
蕃戎 敢えて 臨洮に 逼らず
焉くんぞ 知らん 万里 連雲の 勢
及ばず 堯階 三尺の 高きに
意味は、
秦の始皇帝が築きあげた万里の長城は、
鉄の牢獄に比べるほど堅かった。そのため
辺境の匈奴族も、臨洮には近づかなかった。
だが、万里も連なって、雲に接するほどの
勢いの長城も、あの聖王尭の宮殿の階段の
三尺の高さに及ばないとは、誰が知ろう。
つまり、軍需拡大した秦の始皇帝のやり方でなく
粗末な土の階段で平和を叶えた聖王尭のやり方をまねよう・・・
※聖王尭・・・中国,古代伝説中の帝王。
優れた見識と徳によって人びとを導き,諸国を平和へと導いた。
そういう概意である。
せまりくる「理」の中で、「情」は不要なのか
また、そもそも、世に言われる「理」は本当に事実なのか・・・
地球の半分を我が物にしようとしている国があるなら
それを超える「情」や「理」はないのか・・・
そういうことをしっかりと吟味しながら
令和のスタートを切らなければいけないと思う。
枯れていく竹は、
わたしたちにそう投げかけてるような気がする。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
春、清明のころ⑪・・・畑仕事開始
今年は頂いたスナップエンドウの苗を植えるところから始めました。
2012年に始まった畑仕事・・・
ホームセンターで買った安い鍬で掘り起こすところから始めました。
はじめは石がゴロゴロ、超粘土質・・・
いまでも水はけもわるく、台風などの大雨の時は
畝の下に水が溜まることもあります。
いまも粘土質は変わりませんが、
少しずつ土地も改良されて
春と夏の野菜は楽しめています。
ただ、冬採れる根菜類が育つような土になるには
まだまだ時間がかかりそうです。
粘土質の酸性が和らぐと聞いたことがありますので
冬にたまった火鉢の灰をまいたりしています。
江戸時代には、「灰屋」と呼ばれる職業があったほどで
「灰」を集める「灰買人」とよばれる労働者をたくさん雇って
家々の灰を集めて売ったそうです。
それを、農家、造り酒屋、和紙製造、染め物屋などに売ったそうです。
造り酒屋では、酸味のあるお酒を造るのに・・・
和紙製造では、樹皮を柔らかくするために・・・
染物屋では、色合い調整に・・・
そうやって灰は再利用されたのです。
江戸時代の循環力はすごいです。
畑仕事を始めて気が付いたことがたくさんあります。
何本か苗を植えると、一本は虫がついて枯れても
すぐ横の他の苗がなぜか元気にそのまま育つことがあります。
まるで、一本がみんなの身代わりになっているかのようです。
実はその理由は科学的に立証され始めていました。
一本が食べられ始めると、食べられ始めた植物は
他の苗にフェロモンで知らせるそうです。
それを受け取ったほかの苗は、
虫が嫌いな成分を自ら出し、防衛するというのです。
種の保存のために植物が考えた智慧なのでしょう。
他にも、一部の枝が虫に食われながらも立派に育つ者もいます。
それもどうやら科学的に立証されています。
それは、植物には自分が虫に食べられている音が聞こえるそうです。
その時も、虫の攻撃を撃退する自衛の化学物質(からし油)を
より多く生成するそうです。
➡植物には自分が食べられてる音が「聞こえる」
また、毎年格闘する雑草も山済みして
一年ほど置くと下からだんだん土に変わっていくことも発見しました。
自分としては、これはかなりの発見でした。
はじめは袋に入れてゴミに出していました。
夏の暑い盛りはこれが結構な重労働でしたので
それをしなくてよくなっただけでも助かります。
それからは、夏の雑草を脇に寄せてそのまま放置するようにしました。
すると次の年の春には、ほぼ目立たなくなるから楽です。
しかも下の方が栄養豊富な土になっていて再利用できます。
あと、畑に桜の木があるのですが、
その桜のお陰で水はけが少し良くなった気がします。
大量の水を吸ってくれているからでしょうか・・・
秋に落ちる葉が、土の循環もよくしています。
かなりずぼらな私の畑仕事ですが、
それでも畑をしていると、土や植物、微生物、
鳥や昆虫の知恵や自然界の循環が手に取るようにわかります。
ああ、こうやって生きているんだぁとか
こうやって巡っていくんだぁとかいう感じです。
それを一言で言うと、
「みんなつながっている」
ということです。
森羅万象生きとし生けるものすべてはつながっている・・・
私が見えないだけで、
あなたが気が付いていないだけで、
人類が忘れているだけで、
本当にすべてがちょうどいいようにつながっている。
それを拝聴、拝見できるのが、畑仕事なんです。
いい季節になってきました。
みなさんも土と戯れてはいかがですか・・・
そうすれば、自分のいのちが
どことどうつながっているのかが肌で感じられます。
生きているのではなく
生かされている・・・
そういうことが理屈抜きでからだに入ってきます。
ほんと、一人ぼっちの人は誰もいないんですねぇ~
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
春、穀雨のころ① オオルリの祝福・・・
最近の温かさと雨で、畑は草ぼうぼう・・・
それでも6年前に始めたころよりは、土もでき
カラスノエンドウがまっさかり(笑)
雑草とは人間の分類ですから
益虫、害虫と同様に
勝手な言い分にすぎません。
「春雨降りて百穀を生化すれば也」
このころの畑、山野は
生命力の塊・・・
最近は、をちこち53でかいたため、
ふたたび自分の食に目がいき、
一日一食の生活をはじめています。
からだの重みが軽減され
かえって元気に畑仕事がすすみます。
ふと・・・
10周年のおふるまい会の時から聞こえていた
ある美しい鳥の音色が響きました。
見上げると、瑠璃色のきれいな鳥でした。
曇り空に映えるその美しい声の主は「オオルリ」・・・
畑仕事の労をねぎらうように
わたしの頭上でしばらく鳴いていてくれました。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体