行動(経験)への敬意
観客席で評論家がその駄作具合を論じていたとする。
それでも私は、舞台のダンサーの方が好感が持てます。
わたしはそういう価値観です。
なぜなら、評論家は何もしていないからです。
今日のお話は、
私も気を付けないといけないことですが、
検索+知識+思考 < 行動(経験)
・・・そういうお話です。
人に何かアドバイスを求められた場合、
とりあえず、自分が経験していないことは
謙虚に言及した方がいいというスタンスは大切だと思う。
最近のネット上での炎上を見ると
①先日のメンタリストDaiGo氏の問題発言
②論破王と言われているH氏が
小学生(今は中学生、どちらも不登校)YouTuberとその家族をバッシング
➡ゆたぼんパパを痛烈に批判するひろゆき
③有名社長YouTuberが大量リストラの時に
これまでの自分歴史を永遠に語り、
最後に「ワクワクしてます」と言及
➡マコなり社長 リストラ スピーチ
わたしは、これらの是非を語る立場にはないですが、
少なくとも当事者でない人たちが
すでに経験をしている人たちの立場をそっちのけで
一方的に持論だけで決めつけ
話をしているようにしか見えないのです。
①については
自分が生活保護の人やホームレスに接したことがない
②については
自分が小中不登校で大人になっているわけではない
③については
自分は社長であって
リストラされた人ではない
やはり私は、
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの
「語りえぬものについては、
沈黙しなければならない」
が好きですし、
定期的に肝に銘じています。
そして、それでもどうしても
語らなければならないような状況になったら
宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくる「リンドウの花」のように
「あなたの哀しみに寄り添う」ぐらいでちょうどいい気がする。
(この動画、もう1年前になるんですね。あまり伸びてませんが(笑))
人間はどんな風に生きていようが
結局「生きていることを選ぶ」のだから
じゃあお互いにどう生きていったらいいだろうと
想像してみることしかできないんじゃないかと思う。
ただ、こういう私の言説も
経験のない者のたわ言だと流していただけるとありがたい・・・
この辺りは、さすが古代ギリシャ人・・・
考えていない領域がないほど考えています。
「人間の自然本性は、
経験のない事柄の技術を得るほどには、強くない」
「少しのことをよく仕上げることの方が、
たくさんのことを不十分にしか仕上げないことよりも優れている」
ともにソクラテス
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「50歳を超えてもガンにならない生き方」土橋重隆著
足し算の限界
この世界に38年ほど携わってつくづく思うのは、
教育現場―これはありとあらゆる現場
学校、塾、家庭に至るすべての場面だが、
その教育現場が子供に施す「教育」と
病院で施される「治療」というのは
どこか共通性がある。
いままでの教育現場、病院は
すべてが足し算の論理だ。
足し算こそ、正義であり、善意であり、
子供を、患者を、よくするものだと信じられてる。
例えば、学校ではワークやプリントを
たくさん与えることがサービスであり、善意であった。
また必要とあれば、テストや模擬テストを毎月のようにして
学力を診断し、その不足分を補う授業を施した。
病院にとっては、毎年の健康診断、それに伴う薬の投与
必要とあれば、入院手術・・・
ともに近代に生まれたこの二つの仕組みは、
まさに近代という父母の願いを受け継ぐ双子のように
共通の流れを持っている。
その結果、教育界ではこれまでに蓄積された過去問によって
問題パターンがどんどん増え、
それに合わせてワークのページが膨大になる。
病院もそうだ。
多くの新しい病名が作られるたびに
その処方薬が開発され
どんどんと与えられる薬、予防接種が増える。
今の0歳児に
いったいいくつの予防接種を打つように推奨されているか?

9種のワクチンを、それぞれ2~3回接種!
どう見ても異常だろう・・・
生後間もない赤ん坊の身体に
異物をこれだけ打つことを異様と思わないのも実に不思議だ。
教育では、費用対効果を考える各ご家庭が、
塾を何度も変え、塾ジプシーとなる。
病院でも、病院ジプシーはいる。
また、開発費と販売費の差額という経済理論で
薬が売られ、お金持ちとそうでないもので治療方法が変わってくる。
引き算でなく、足し算を信じているから
事態はどんどん悪化し、
本来目を向けるべき「いのち」からどんどん離れていく。
これは人づきあいでもそうだ。
自分がまだ、何者かさまよう人が
ご縁欲しさの旅に出て
やたらめったらであった人に、
ご縁だご縁だ
ソウルメイトだソウルメイトだ
といって声高に人とのつながりを増やそうとしている人がいる。
私などこれまでに
何人ものペテロに出会っているから、
※ペテロ:はじめはいかにも仲間のような顔をして
あとから平気で傷つけ、後砂をかけるように裏切っていく。
そうやって浮かれている人を
申し訳ないが、冷ややかに見てしまう(笑)
そういう人は「孤高」を知らないから
「孤独」に一生懸命抵抗しようとして
地に足がつかない人間関係となる。
してくれたこと
もらったこと
(不自然なほど)ほめてくれたこと
この足し算にすがる。
そうして、足し算がその人の価値になるから
相手が何か期待に応えないと
平気で相手を罵り、はじくようになる・・・
先日見たYouTubeで
土橋重隆医師は、足し算の限界を述べていた。
これからは、引き算だと・・・
まさに膝を打つ思いだ。
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