再考、かぐや姫の罪と罰
ふと思い出した映画がありました。
「かぐや姫の物語~姫の犯した罪と罰~」
以前もこのブログで書いたことがあります。
➡生き切る練習、死にゆく練習
太陽星座獲得で出会う試練・・・
その試練に出会ったとき
人は簡単に月の「甘美な慰め」にすがってしまう・・・
あの姫は、太陽は何星座だったのか?
月は何星座だったのか?
月に帰る直前、
「生きている手ごたえさえあれば!」
と、やっと太陽をつかんだ姫・・・
でも、時すでに遅しでした。
全てを忘れさせられ
月に帰って行く姫の切なさが
占星術を学んだ今
改めて心にしみわたります。
姫の罪があるとすれば、
この世で 精一杯生き切らなかったこと・・・
そして、月に帰りたいと願ってしまったこと・・・
姫に罰があるとすれば、
大切な人やその人との
思い出がなくなってしまうこと・・・
でしょうか・・・
改めてこの映画のすごさを思い知りました。
今日の動画はそんな思いで語っています。
よろしければご覧ください。
[スポンサーリンク]
令和buzz61・・・人生の節目と分かれ目
温かい穏やかな日でしたね。
おかげさまで、あの彼も卒業かないました!
60ページもの
むちゃくちゃな体罰のような
書き写しの宿題にも耐え、
先生たちの「定時制に行ってもらわなあかん」などの
心無い数多くの言葉にも耐え、
本当によく頑張りました。
私も彼のおかげで、
発達障害について本腰を入れるようになりましたし、
学校の状態もよくわかりました。
はじめて、
教育委員会設置の窓口に
相談&要望&クレームにも行きました。
本当に彼のおかげで
いろいろな体験をさせていただきました。
彼も個性豊かなこの塾に(笑)
よく嫌がらず通い続けてくれたと思います。
昨日の昼過ぎに、わざわざご挨拶にもみえ
こちらこそ、出会わせていただいて感謝しかありません。
人の出会いは本当に不思議です。
さて、昨日のネットニュース・・・
こんな記事が流れていました・・・
➡感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてとWHO
もう、は?ですね。
厚労省のHPのマスクに対する認識は以下の通りです。
➡新型コロナウイルスに関するQ&A(一般の方向け)
【マスク、トイレットペーパー】
問17 マスクをした方がよいのはどのような時ですか?
マスクは、咳やくしゃみによる飛沫及びそれらに含まれるウイルス等病原体の飛散を防ぐ上で高い効果を持ちます。咳やくしゃみ等の症状のある人は積極的にマスクを着用しましょう。
ご自身の予防用にマスクを着用することは、混み合った場所、特に屋内や乗り物など換気が不十分な場所では一つの感染予防策と考えられますが、屋外などでは、相当混み合っていない限り、マスクを着用することによる予防効果はあまり認められていません。
要は、
うつさないようにするにはマスクはいるけど、
自分の予防にはならない・・・
ということですね。
でも、一人の人間にとっては、
どちらにもなりうるのですから
やっぱりいるってことですかね・・・
ホント・・・💧いい加減・・・
私のこのブログも
不思議な現象が起きています。
こんな時期だからか
上位10記事のうち、
姫川薬石やびわエキスなど
健康に関する記事が並びました。

これは今までにない傾向です。
「生きたい」という気持ちは大切ですが
「人を押しのけてまで生きたい」と思うかは
人それぞれです・・・
私はどうなのだろうと
「生きる」ことの自分の価値観を確かめているところです。
パンデミックだからこそ、
私たちは「生きる練習」「死ぬ練習」をしていると言ってもいいでしょう・・・
➡生き切る練習、死にゆく練習(^-^*)ノ
いわゆる死生観です。
死生観とは、死を通して生き方、生き様を決める、
判断するという考えのことです。
単に生きるのではなく「どう生きるのか?」・・・
単に死ぬのではなく「どう死ぬのか?」・・・
戦争ではなく「病」によって
突きつけられている・・・
大げさですが、
私はそう考えています。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に
2人の子どもを連れた家庭教師が出てきます・・・
作品の時代的に、
おそらくタイタニック号で死んだであろうと推察できます。
「どう生きるのか?」
「どう死ぬのか?」
明日はそれにまつわるお話でもしましょうか・・・
[スポンサーリンク]
十年、をちこち・・・88(最終回)

「十年、をちこち」も今日で最終話です。
さいごは、何やらメッセージのようになりそうです。
では、さいごの一話、お楽しみください。
・・・・・・・
わたしたちは、直霊を手放してはいけません。
・学ぶことは好きであっても、
教えられすぎないほうがいいでしょう。
・智慧や教えに導かれても、
人や人の言葉に、誘導されないほうがいいでしょう。
・あなたの「すき」の基準を、
人に判断されないほうがいいでしょう。
・心静かに「瞑」にふける時は、
人に見られないほうがいいでしょう。
人の存在は、あなたを本来の姿から遠ざけます。
唯一みられていいのは、天地自然のみです。
この世の中には、
これらをさまたげる商品、商材、商法が多すぎです。
当たり前のことを当たり前にできること・・・
これがいちばん大切であり、
いちばん難しいのです。
わたしたちが生きているこの世界に
影の大きな力が働き、つくられ、強いられていることは、
おそらく間違いないでしょう。
いわゆる「スピリチュアル分野」も含まれています。

(この国を操り奪う者たち 私が自衛隊で見て知った本当の敵
だからこそ、
日々の当たり前の所作を大切に・・・
自分のことは自分で導き・・・
自分の身近な人を大切にし・・・
愛は語るけれども、
その人の行動に「直霊」を感じられなければ
素直に「いやだ」といい・・・
瞑想は誰の誘導も借りず・・・
小さなことこそ自分の両手で行い・・・
そういうことが大切になります。
どんなに地球の波動が上がっても・・・
どんなに過去世を思い出しても・・・
この世は2元の世界です。
陰が陽を呼び、陽が陰を呼ぶ世界です。
わたしたちは、この世界で
地に足をつけて生きるいのちなのです。
目に見える世界・・・
目に見えない世界・・・
その狭間で私たちは
尊いいのちを輝かせるしかないのです。
それはどんなスピリチュアリストでも変えることはできません。
先日亡くなった高畑勲さんの作品・・・
「かぐや姫の物語」のように
生き切る練習、死にゆく練習をしているにすぎません。
➡以前の記事
わたしたちは、この世で
映画の中の月人(月の阿弥陀如来)のようになってはいけないのです。
とくに、セラピストと呼ばれる人は気を付けるべきです。
知らず知らずのうちに、上から目線で
人を浄化するやら 救うやらと
傲慢になってはいけないのです。
生きている人はもっと自信をもってください。
ただ生きること・・・
それだけで尊いのです。
だれの誘導もいりません。
姫のように生きて、生ききりさえすれば
わたしたちはだれでも阿弥陀如来になれます。
もっと正確にいえば、
姫のようにこの世で生ききることでしか、
阿弥陀如来にはなれないのです。
金にまみれるか
宗教にまみれるか
芸術にまみれるか
健康にまみれるか
友人にまみれるか
恋人にまみれるか
名誉にまみれるか
家族にまみれるか
自然にまみれるか
自分にまみれるか
・・・
人さまざま、そして、いろいろ・・・
どれかに、まみれながら生きるだけです(笑)
わたしのまみれたい基準は二つあります。
ひとつは、自分が楽しいか?
そしてもうひとつは、子どもたちにそれを残したいか?
長らく持っているこの基準は
おそらく11年目も変わることはないと思います。
10年もの間、
AddCafe&学習支援塾Onenessをかわいがっていただき
誠にありがとうございました。
明日から11年目にはいります。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
とはいっても、これからも
いつものように気張らず自然体で参ります。
そして、これからもみなさまともに
楽しん生きていこうと思います。
「人法地、地法天、天法道、道法自然」老子
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る・・・
(人は地を模範とし、地は天を模範とし、天は「道」を模範とし、「道」はそのありのままの姿のままでいる。)
ささやかではございますが、
あす15:00から「おふるまい会」もご用意しております。
よろしければ、11年目の背中を押しにあそびにいらしてくださいませ。
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体