令和buzz268・・・見てしまうと現実化する②
今の「コロナ茶番」も
学校・会社がつかまっている罠があります。
それは、課題と欠損を混同し、
克服できない欠損も克服せよと強制しているところです。
出来なければ、もっと頑張れと追い詰める・・・
できないのはサボっているからだと罵られ
学校であれば9教科、
会社であれば現場、人材育成、営業と
オールマイティに立ち回れと言われ、
できない自分にがっかりさせ
劣等感を植え付ける・・・
進路で釣り(脅し)
お金で釣り(脅し)
疲労困憊させるシステムを疑いもしない・・・
もちろん本当にサボることもありますが、
明らかに負荷が大きい人もいる。
「脅し」という字には、月(の欠損)という字があります。
そこには、上から三つの力が圧し掛かっている。
私はその力は、親やと社会(人も含む)と自分だと思います。
その三つの「自分でない自分にさせようとする圧力」をしなやかにスルーし、
解放されたとき、私たちは自然体の自分に
なれるのではないかと思うのです。
三つの力を行使する人たちも
「自分でない自分にさせようとする罠」に
はまっているかもしれません。
罠にはまっている人が導いているわけですから
それは、間違った世界を作ってしまうわけです。
その罠にはまって気が付かないでいる人の中には、
対応・反応・記憶にたけているので
優秀と分類される人もいます。
しかし、罠にはまって独創性がありませんから、
何かを作り上げる貴重な意識の使い方がわからず、
遠慮なく捨て去っていいものにも気がつかせず、
無理やり、四方八方、万能型となり、
疲れ果てる・・・
八方美人とはよく言ったものです。
昨日の話の続き・・・
【物理学】
人間原理=宇宙のあらゆる現象は、
人間が認識しているから存在する
実はこの人間原理には、
「弱い人間原理」と「強い人間原理」という二種があります。
「弱い人間原理」は、
私たち人間が存在する理由は
地球が太陽との奇跡的距離にあって
こういった環境が整ったから生きている・・・など
とするもの・・・
私的にざっくり言えば「環境が先」という考え方だと思います。
この環境があるから生きていられる・・・
そう考える原理です。
(まわりに感謝することと弱い人間原理との違いは
後に触れます)
それに対して、「強い人間原理」は
観測者である人間が
この世界はうまくできているの認識しているから
うまくできている世界がある・・・
とするもの・・・
わたしが、観察(意識)したい現実がそのまま生まれる・・・
英語で私「I」がいつも大文字で使う理由は
ここにある気がします。
つまり、「意識が先」というわけです。
➡人間原理とドレイクの方程式
そう考えると物理学は、
神が世界を作った方法を研究する学問というわけです。
「環境が先か?意識が先か?」
そういう問いがこの二つの人間原理にはある・・・
あなたは日常的にどちらの立場にいますか?
日常的に「弱い人間原理」にいれば、
あなたは弱い観察者となって
不要に作られた環境からの刺激と反応の
生活を繰り返すでしょう・・・
強い人間原理は、創造者側に立ち位置です。
以前にも触れましたが、
私たちの日常に、他動詞(される)はなく
自動詞(する)しかないというのはそのためです。
⇒感謝は自動詞である
⇒すべては自動詞
あなたが、日頃 何を見ようとするのかが
どんな現実が来るのかと同じ言葉になるのです。
現実は来るのではなく
自ら作った現実を見るだけなのです。
名前があるものを観察するのではなく、
今見ている現象に、既存の言葉をあてがうのではなく、
創造したものに名前を付けるのが人間なのではないでしょうか・・・
創世記 1章1-8節(口語訳聖書)
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。
7 神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
お分かりになりますか?
これはあなたの日常の問題なのです・・・
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令和buzz267・・・見てしまうと現実化する①
「観てしまうと現実化する」
物理学では、この原理を「※人間原理」というそうです。
※人間原理=宇宙のあらゆる現象は、人間が認識しているから存在する
「うまくできている」と認識できる人間がいればいるほど
「うまくできている世界ができる」
「ひどい世界ができている」と認識する人間がいればいるほど
「ひどい世界ができる」
そういうことを研究しているらしいのです。
面白いではありませんか・・・!
昔話によくあるパターンに
「みぃたぁなぁ~」パターンがあります。
鶴の恩返しや
雪女
浦島太郎・・・
古事記もそうです。
世界にも
旧約聖書や
ギリシャ神話にも出てきます。
いわゆる※「見るなのタブー」話です。
※何かをしているところを「見てはいけない」と
禁止が課せられていたにも拘らず、
それを破ってしまったために悲劇的な結果が訪れる、
あるいは、決して見てはいけないと言われた物を
見てしまったために恐ろしい目に遭う、
というパターンをもち、見るなの禁止ともいう。
民話の類型としては禁室型(きんしつがた)ともいう。
見たことで現実を見る≒現実を作ってしまう
嫌なもの
恐ろしいものは見ないに限る・・・
そんな現実逃避的な話ではありません。
むしろ真逆です!
見ないのタブーを
よい現実を作るために
利用すればいいというお話です。
見ることで恐ろしい現実を作ってしまうのなら
その逆をすればいい・・・
「うまくできている」と認識できる自分になる。
他の人にもそれを伝える。
そういう人間がいればいるほど
「うまくできている世界ができる。
だから私は伝え続けているのです。
子どもたちにも・・・
高校生の半分大人の生徒たちにも・・・
諦めかけている大人たちにも・・・
どうかご理解ご協力ください・・・
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