クリスマスの朝に
オミクロン株が南アフリカで出た時に
岸田首相はすぐに鎖国に入ったのに、
このニュースが流れても
一向に鎖国の気配がない。
これは、コロナがコロナ自身の問題ではないこと、
コロナ問題がいかに感染者数の問題でないことが如実にわかる。
何か別の圧力や基準があって
この2年、我々を振り回しているのだ。
そろそろさすがにおかしいと思う人も
増えてきているだろう。
来年には気づく人も増え
普通の風邪に、生活に戻るのもあり得るか!?
われわれの意識でそうするしかない。
さて、今日明日は、
日本列島今年一番の寒さだそうだ。
バブル期のクリスマスを知っている人には
今のクリスマスは実に寂しいものだが
それでも大切な人と大切な時間を心置きなく過ごしている人が
この地球上にたくさんいると思うと
やはり心が温まる。
私の家は、家族で誕生日プレゼントや
クリスマスプレゼントを贈る習慣がなかった。
ただ、一回だけうっすらと覚えている父サンタの思い出がある。
夜寝ていると枕の頭のところで何やら気配を感じて
目が覚めた。
覚めたと言っても夢見心地で
父の足だけ見えたような気がする。
何をしているのかわからなかったが
朝起きてみると
小学館の「小学一年生」が置いてあった。
ああ父ちゃんが置いてくれてたのか・・・
と早々とサンタのことがわかってしまったが(笑)
当時の我が家の家計では高価な品物だったので
とてもうれしかったことを覚えている。
クリスマスが来るたびにこのことを思い出す。
父は、怒ると大変恐ろしかったが、
それでも子煩悩で動物や植物が好きな父だった。
私はこの父から多大な影響を受けていると
大人になって思う。
趣味が多かった父から受け継いだもの・・・
それは
「人生を楽しめ」と
「可愛がれるうちはとことん可愛がれ」だ。
寒い風の強い冬の朝、旅立った父だったが
そんな父の元育てられてつくづく良かったと
心から感謝が沁みるクリスマスの朝です。
[スポンサーリンク]
令和buzz351・・・父との永遠の時間
どこかの本で読んだのだが、
起こったことがたった3秒でも、
それを死ぬまで覚えているのなら、
それはもはや永遠と呼んでいいのではないか・・・
皆さんにもそんな経験はないだろうか?
先週あげたYouTube・・・
➡#47【観察は愛】人生の行き詰まりから脱却するたった一つの方法
両親の統合が私たち子供のお役目・・・
父の記憶、
母の記憶、
まさに時間の長さではなく、
刻まれた記憶の鮮明さは、永遠といっていい・・・
父は、太陽蟹座、
わたしは、月が蟹座。
近しい間柄で、
こうやって太陽(いのち)と月(欠損)で補い合うことは良くあるようだ。
幼い頃から、父は私を本当によく可愛がってくれた。
いまから思えだが、太陽が蟹なので、
愛情深く、母より母性的というか、愛情豊かというか、
そんな感じの父だった。
おまけに申年たったので
人前ではよくおどけて、冗談を言っては
人々を楽しませていた。
そして、とにかく動物・植物が好きだった。
犬猫はもちろん、
錦鯉、小鳥、鶏、アヒル、孔雀にふくろう、
鷹まで飼っていた時期があった。
すずめや、〇〇〇

罠や仕掛けを作るのが上手だった。
洋らんを育てるために、
自分で温室を作り、
冬の間、中で焚くストーブが心配で、
夜通し温室のなかにいたと、
後に母から聞いた。
もうキチガイだ(笑)
しかし、私はそんな父から、
圧倒的な術に触れ、
それを学んでいた。
どんな述か?
人生を楽しむ術だ。
テーラーの仕事が斜陽期を迎えても
錦鯉を飼う池を嬉々として自分で掘るような人だった。
母は、さぞかしやきもきしたことだろう。
子どもの私としては、
そんな裏事情があるとも知らず、
目の前の父親が、
楽しいことしかしてないのだから
一緒になって傍らにいた。
そして、知らず知らずのうちに
人生では楽しさ・喜びを作り出すのが自然となった。
そして、一番の核は、いのちを基準に生きること・・・
鶏を目の前でさばいたり、
家の前で人身事故が起きれば、
自ら率先して片付け、
私を抱きかかえて線路上の惨事をわざわざ見せた。
いのちは、こうやって頂く・・・
死んだらこんなもの・・・
そういったかけがえのない教えを受け継いだ。
父が亡くなって4年が経とうとしている・・・
いまでも私の中で、
父との永遠の会話が続いていて、
いつでも出会いなおすことができる。
永遠とは、やはり時間のことではなさそうだ。

[スポンサーリンク]
秋、霜降のころ⑬・・・父を偲ぶ
召天者記念礼拝とは、
教会でお葬式を上げた人々を一年に一回偲ぶという会で
仏式の○○回忌みたいな式典だ。
仏式と大きく違うのは、
何月に亡くなろうとも
全員をこの日に偲ぶ式となる。
そして個人ではなく、亡くなった方全員を偲ぶ。
亡くなった方の遺影が飾られ、
普通の礼拝があり、それにすこしの聖餐が加わり
牧師さんが亡くなった人たちをご紹介して終わり・・・
だいたい、一時間半ぐらいで終わる。
費用は普通の献金程度・・・
神社の賽銭程度でも構わない・・・
式も費用も実にシンプルで、
無信教の私にぴったりの式次第だった。
もちろん、キリスト教にも疑問点はいくつかある。
しかし少なくとも
葬儀や法事に関してはとても自然な感じがする。
死者をしのぶのは、遺族の心しだい・・・
だれのこころが主役かわからない
仰々しい式よりよほどいい。
父も形式ばったお金のかかることが大嫌いだったので
本当にすがすがしい気持ちになる。
この世には、無駄な儀式が実に多い・・・
儀式が無駄になるのはなぜか・・・
それは、「こころ」が伴わないからだ。
こころが伴う儀式は「かた」という本来の役目を果たす。
「かた」とは、目に見えない「か」(宇宙のエネルギー)を
この世に「かたち」に具現化する装置となるが
こころが伴わない「かた」は
単におっくうで滑稽だけで、役にも立たない。
その典型が「国会」だろう・・・
実は私たちにもその「かた」は備わっている。
それが、「立ち居振る舞い」と「言葉」と「思考」である。
今、あなたが、わたしが
何を考えたのか、何を言ったのか、どうふるまったのか・・・
それはやがてこの世に具現化する・・・
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
今日も一日、美しい言葉で・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、霜降のころ⑦・・・桜
父が怒るとそれはもう家じゅうが凍る思いだった。
そんな父が、はじめて入院したのは
わたしが中2の終わり・・・
桜真っ盛りの春だった・・・
カブに乗っていた父が
軽トラックと接触し転倒・・・
頭を強打したのだった。
その病院は木曽川沿いの桜並木が豪快な通りに面していた。
わたしは自転車で父を見舞いに行った。
たまたま母が用事で病室をあけていた。
点滴と管でつながれた弱々しい父に
わたしは戸惑った。
それは、これまでのどんな父とも違った。
優しい声もかけることもできず
そばの丸椅子にちいさく座っていると、
父が何かもごもごと言い出す。
頭を打ち、顔にまひが残っていたため
口がうまく回らない。
うまく聞き取れなかったわたしに父はいらだったのか
突然、バリバリと点滴の管を引き抜き
のっそりと体を起こし、歩き始めたのだった・・・
どうやらトイレのようだ・・・
わたしはなすすべもなく、しばらく呆然としてしまったが
気持ちを返して看護婦さん(当時の呼び名)のところへ走った・・・
事情を説明しようとすると
のっしりよろよろと歩く父の姿が視界に入ってきた・・・
麻痺が残る手足でまともに歩けないのだが、
それでも一人の人間の尊厳を必死に示そうと
いらだちを見せながらも歩こうとする父・・・
「神辺さ~ん!だめですよ~」
小走りに静止に行く看護婦さんと
廊下の壁伝いで必死の形相の父・・・
その時の父の姿があまりにも哀しくて泣きたくて
今でも鮮明に覚えている・・・
やっとのことで病室に連れ戻され
事は収まり、母も戻ってきた。
事情を説明しようとしたが
わたしは涙を隠すのに必死だった。

帰りの自転車・・・
桜は満開の終わりを告げるように
はらはらと花びらを風に舞わせていた。
わたしは、これまで生きてきて
あんなに哀しい桜を味わったことがない。
自転車のペダルをこぎながら
中学を出て働こうかなと真剣に思ったものだ。
父と子
母と子
親子というのは、
いつか必ずいのちの重心が申し送られる日が来る。
わたしの場合、木曽川沿いのあの桜とともにやってきた。
あの日から、桜が特別な存在になった。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、夏至のころ⑤・・・三の風
その朝、わたしは髪を切りに
ある駐車場を歩いていた。
いつものハンチング帽をかぶっていた。
めったにハンチング帽が風で飛ばされることはない。
それに、多少の風はあったが、
特別、風が強い日でもなかった。
何を考えて歩いていたか
まったくおぼえていないから
たぶんぼーっと歩いていたと思う。
ふいに突風が吹き
ハンチングのつばをかすめた。
手で押さえる暇はなかった。
一瞬・・・
あっという間に5メートルほどとばされた。
「めずらしいこともあるもんだな」
その時は何気にそう思っただけだった。
が、夕方、父が亡くなったと知らせが来た。
あとからだが
亡くなった時間を知って驚いた。
ちょうど、あのハンチング帽がとばされた時
父がこん睡状態に入り
魂が肉体を離れようとしていたころだった。
父が来ていたんだ。
日頃、人さまのサインは気が付くのに
自分のことになるとすこし鈍くなる。
なかなかうまくいかないものだ(苦笑)
父は腕のいい背広の職人だったが
本当によく趣味に遊んだ人だった。
鳥
花
歴史
バイク
野球
チャップリン
噺(はなし)
・・・
みんな父に教えてもらった。
父がなくなって後、
背広の襟首につけるタグをもらってきた。

古びたその箱の中には
茶色になった新聞の切り抜きが入っていた。

その色から相当昔、父が切り抜いたものだと察しが付く。
父は洋ランのための温室を自分で作っていた。
おそらくその時のものだろう・・・
父 愛用の鳥の図鑑も譲り受けた・・・
鳥にしても歴史にしても
父はよく調べていた。
知識があったほうが遊びも数倍楽しい。
父のまめさが現れる図鑑だ。

子どもは親を選んで生まれてくるというが
もし選んだとしたら
父から人生を遊ぶことを教えてもらいに来たんだと思う。
仕事も大事だが
遊ぶこと、工夫して遊ぶこと、
そして、まじめに遊ぶこと・・・
そういうことを教えてもらったと思う。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体