政治になぜ情がないのか?
生物学は地球の動物を、有情門と非情門に分類する。哺乳類は有情門に入り、爬虫類は非情門である。ところが、西洋史に登場する権力階級は、今も昔も、著しく非情であり、無情である。この限りにおいて、彼らは非情門に属する爬虫類に酷使している。これを否定できない。 太田龍
物価がこれほど上がっても
円安がこれほど進んでも
政府は全く援助の手をさしのべる気配がない。
なぜか?
おそらく日本はすでに
かなり深いところで
DSの支配下にあるからだろう。
世界人間牧場
ワンワールド
ニューワールドオーダー
グレイトリセット
・・・
彼らDSが我々を服従させ
財だけでなく、いのちも略奪するとき、
こういった言葉が使われる。
彼らには「情」がない。
説得しても、懇願しても無駄なのである。
それよりもアメリカのCDCの支店を作ることに
力を入れています。
➡「感染症危機管理庁」設置、岸田首相が表明…日本版CDC創設も
非常に危なっかしいですな・・・
井上正康教授
— Trilliana 華 (@Trilliana_z) June 13, 2022
「CDCの東京センターが出来ると厚労省は完全にその統括下に置かれ、それ以外の対応が出来なくなる。するとワクチンに関しては自由意志は一瞬にして無くなり全て法的拘束力をもって強制される。近い将来修羅場が来る。」
元映像https://t.co/fWNmLSJyIE
これが現実化しない様に戦う覚悟を pic.twitter.com/PyyUKv8vdv
今さらだが、彼らが使う「ワンone」と
わたしたち、特に東洋、日本人が使う「ワンone」は
根本が違うと先日気がついた。
彼らの言うワンワールドの「ワンone」は、
ゼロの次の「ワンone」で、
2より1少ない「ワンone」だし、
100よりは99も少ない「ワンone」だ。
多い少ないの「ワンone」だ。
だから、彼らは 1+1=2 なのである。
もしくは、たった一人(一部の勢力)が
すべてを所有すると言う意味の「ワンone」である。
我々が言う「ワンone」は、
もちろんそういった数字の「ワンone」もあるが、
もともとはお陰さまの「ワンone」だ。
つまり、 自他一如で 1+1=1 なのだ。
私もあなたもたいして差はなく、
誰も特権・特別じゃなく、一蓮托生・・・
困ったときはお互い様の「ワンone」=ひとつだ。
彼らDSには、この後者の「ワンone」は
全く存在しない。
すべてに君臨んし、所有するガメるの「ワンone」だ。
足りなければ、人から奪ってでも、人を間引いてでも
自分の甕を一杯にしようとする「ワンone」だ。
彼らには我々の顔は見えていない。
感情などはもっての他だ。
なぜ我々が泣いているのかわからないのだ。
どうしてそんなことをするのか?
何でそうなるのか?
答えはシンプル・・・
彼らは人間ではないからだ。
爬虫類人(レプティリアン)・・・
ああ、とうとうsoraさんは気が狂ったのか・・・
そういわれそうだが(笑)
わたしに爬虫類人(レプティリアン)を教えてくれた
太田龍さんの本、そしてデビット・アイクさんの本を読んでいると
恐らくそれは事実なんだろうなと思う。
英ダイアナ妃はその秘密を知り、拒絶したため
あのように殺されてしまったのです。
太田龍さんは、16歳から78歳まで
一日も休まずに一日18時間、
休まず勉強をされたと言います。
そして、2009年5月19日に永眠された。
実は、亡くなるわずか2か月前まで講演されています。
車椅子、皮膚疾患のため顔をマスクで覆い、
全身包帯巻きでの講演でした。
わたしは、その最後の講演の文章を読んで
こんな人が大嘘つきで、
適当なでたらめを言うとは到底思えないのです。
それこそ情での理解です。
人として尊敬しますし、
敬意が尽きません。
最近も、この方の本を読んでいるのですが、
もう唸るしかありません。
わたしは、日本への爬虫類人&その混血児DSの襲来は、
・神武天皇の超古代大和の侵略
・藤原不比等の日本書紀編纂
・鎌倉初期から室町にかけての官僚制度
(黄金の国、ジパング奥州藤原氏の滅亡から)
・ザビエル来日
・幕末から開国日本
・日露戦争前後~第2次世界大戦後
・そして、プラザ合意(1985)と見ているが、
とうとう最近は、かなり内部まで浸透している様子だ。
だからこんな冷たい政治になっているのだが、
元々日本人は、情緒の民族と言われているらしい。
これは、岡潔氏(数学者)が
エッセイの中で述べているらしいが、
私はまだ一行も読んでいないので、
これからのテーマにしたい。
読んではいないが、
この岡潔氏の発言は、
肌感覚でわかる・・・
それが、プラザ合意(1985)前の昭和歌謡によく現れている・・・
私ぐらいの年齢の方ならわかっていただけるが
プラザ合意前と後とで
日本の政治も大衆文化もガラッと様相を変えてしまった感じがする・・・
一例では、
歌が歌でなくなり、男女ともに喜ばせ組のような
没個性のユニゾン歌にかわった。
また、巷の日本語が減り、
カタカナ英語が増えた・・・・ことからもわかる。
わたしは、
ちあきなおみさんの「黄昏のビギン」が
世界で一番美しい歌ではないかと大真面目に思っている。
歌詞
奏でるメロディ
変化するリズム
前奏
間奏
後奏
それを見事に歌い上げる歌手
こんな重層感のある雰囲気のある曲は
いま皆無と言っていいだろう・・・
ほろ酔いのときにこの歌を聞くと
老眼も治るのではないかと思うほど(笑)
泣いているわけでもないのに目が潤んでくる・・・
小さいときにちあきなおみさんの歌の良さはわからない。
わからないどころかどこか不気味だった・・・
不気味だったが心に残る・・・
そして、どこかで聞いたあの歌を
大人になってもう一度聞くと
こんなにすごい曲だったのかと唸る・・・
この経年が文化だ・・・
心を育てる情緒だ・・・
子供にわかりやすい歌ばかりが増えるのは
ちょっと危険ということだ。
こういった情緒が育まれる文化、環境が
いまの日本から失くなってきているのかもしれない。
日本人の遺伝的情緒を失わせていくのが
DSの目的であるから、
若い人がこういった歌のよさをハートで共鳴してくださり
街のショッピングモールやサビれた商店街に
ジャンジャン流していただきたいものです(笑)
歌声商店街・・・いいではないですか・・・
それにしてもDSに言いなりなりの
この醜い日本の雰囲気をひっくり返すのは、
ニセ大和魂じゃないですよ。
いってみれば縄文魂です。
今の日本は、DSと古代縄文遺伝子との闘いと
言ってもいいかもしれません。
[スポンサーリンク]
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済