今日のライブ配信
霊的炎「ベスタ」
秋、寒露のころ⑭・・・炭火に癒される季節
先日FBでシェアした記事に
炭火のことが出ていました。
「或いは、乳がんが少なかった時代の女性のように、
朝日や炭火などに含まれる遠赤外線や近赤外線を
受けることです。このような諸々のものを、民間療法とか民間伝承などと言って
無視している場合ではありません。無知にも程があると言えます。
海外の文献もよく調べて、勉強していただきたいと思います。」

うちの店と塾ではすでに火鉢を出して
お茶を出しています。
間違いなくお茶がまろやかになります。

炭の燃える薫り
お茶が沸く音や湯気・・・
そして、ほんのり薫るびわ茶
小さいころ私の家でも練炭かあり
冬休みの寒い朝、それを起こすのがわたしの仕事でした。
今こうして再び、この建物でこういったことができるありがたさ・・・
塾で子供たちを待つ間、
しばしこの火鉢のそばで読書することがありますが
その時、じんわり足元が温まります・・・
何とも言えない安らぎを覚え
「健康」などあえて考えなくとも
からだが勝手にそうなっていく感じがします。
昭和から平成・・・
平成から次へと・・・
確実に西洋化した衣食住・・・
不便から便利へと喜んだのもつかの間、
それは私たちのからだが自然から離されることを意味しました。
これから家を買う人は、
リフォームした古民家にしてはいかがですか・・・
AddCafeの周りにも
たくさんの空き家が増えました・・・
その中には、密閉性の高いサッシの家もありますが
まだまだ、木造の建築物も残っています・・・
日々流れる音も
コンクリートの反響は人の精神を病むとわかっています。
木造空間に流れる音はそれだけで安らぎを与えてくれます。
とはいってもほとんどの方が
火鉢や木造をすぐに取り入れられる環境ではないと思います。
戸外で七輪でサンマを焼いたり
晴れた気持ちのいい日には窓を全開して気を通したり
無理やりですが(笑)
友達とバーベキューとか・・・
何とか自然の感覚を退化させないようにすることは大切かもしれません。
日常、できるところから
自然とはなれない・・・
自然に近づく・・・
自然を確認する・・・
そういう工夫が必要になりました。
今日はいいお天気・・・
土、風、火、水・・・
からだいっぱい吸い込みにいきましょうか・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、大暑のころ⑫・・・死者を迎える、送り出す
原爆記念日、終戦記念日、お盆・・・
そういう意味で
見える見えない合わせて
人口密度も高くなるし
死者を思う人々の祈りが満ちるときでもある。
今日は夢で「書きなさい」とメッセージをいただいたので書いてみる。
死者の迎え方、送り方は
世界各地で様々だが共通しているのが
「火」「水」「流す」「飛ばす」
河原での「花火」はその大掛かり版と言っていい。
昨日、韓国ドラマの「トンイ」が終わった。
60話もある大作だったので
印象に残るシーンは尽きない。
その中の一つ、紙の灯篭が空へ舞うシーン・・・

(「トンイ」より)
エンディングで毎回流れた。
韓国では 願い事を書いて飛ばすらしい・・・
原型はおそらく、死者への感謝だと思う。

(「雲が描いた月明かり」より)
他にも、タイやポーランドでも飛ばすらしい。

(タイのチェンマイ「万人天灯」)
このランタンや花火を見て思わず人々がもらす言葉・・・
「きれい・・・」
この言葉が、
何よりの供養になる。
しかもみんな穏やかな笑顔だ・・・
久しぶりに会った親類縁者に
笑顔で「きれい」といわれて喜ばない人はいないであろう・・・
女性ならなおのことだ(笑)
また、この世からの去り際に
「うつくしい・・・」
とつぶやかれて嫌がる人もいないであろう・・・
そういう意味で
花火や灯篭を楽しむことは
死者への誉め言葉となり、供養ともなるのだ。
そして、世界中でこの
「きれい・・・」がつぶやかれるのを想像してほしい・・・
きっとその人の心も、まわりも・・・
みんな美しくきれいになっていくに違いない・・・
死者を迎え、送り出すのは
あの世とこの世、両方への賛歌でもあるのだ。
(ポーランド「ランタンフェスティバル」)
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体
夏、夏至のころ④・・・ニの風
夕方、窓を開け放っていた塾の日・・・
ある生徒と二人だった。
「先生、わたしのランドセル、水色だけど
それにも意味があるの?」
(うーん)
いつものように空に視線が向く・・・
すると・・・
水、火、祭事、縄文、東北・・・
矢継ぎ早に言葉・・・
そしてその情景が出てきた・・・
夜のとばりが下りている・・・
7.8歳の子供たちが
短く刈られた草の上で円になっている。
中央には大きなたいまつ・・・
何かの祭事だ・・・
その周りを背中にたいまつを背負った子供たちが
ゆっくりとまわっている・・・
ふとその生徒の姿も見える・・・
次の瞬間、その子供の背中に火が燃え移る・・・
祭事のすぐ横、
子どもの背の丈もある草むらの横には
小川が流れている・・・
火を消そうととびこむ子供・・・
今も昔も 子供は宝・・・
そんな中で起きたあってはならぬ事故・・・
責任のすべては祭事を取り仕切る私にあった・・・
かえらぬいのち・・・
後悔と自責の念・・・
わたしは自然と涙があふれてきた・・・
「あの時は本当にごめんなさい」
気が付くと生徒に謝っていた・・・
「いいよ~」とあかるく生徒・・・
その時だ。
網戸を外すかと思うほど強い南風が吹いた・・・
まちがいない・・・
同時に顔を合わせるわたしたち・・・
ほほえんでいた・・・
無言の中、今世 互いが出会った意味が分かる・・・
出会えてよかった…
たがいに再会を祝福する安らぐ顔に変わっていった。
輪廻転生の中
人が出会う意味はひとつしかない。
いのちを祝福しあうため・・・
それ以外にはないことを知れば
今の自分が・・・
そして周りにいる人たちと何をすべきかが
おのずとわかる。
そしてわかったあとは
もう知らなかったときの自分に戻ることはなく
それ以外したくなくなる・・・
これが、二の風である。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体