2023桜三昧
それが、淡墨桜・・・

私の故郷の氏神様とのご縁も深い
継体天皇が植えたれたという伝説が残る桜だ。
ここへの道は、最後一本道なので渋滞を避けるために
毎年朝早く出発する・・・
今年は桜祭りも復活されていて
多くの人でにぎわっていた。
秘密の(笑)絶景スポットがあって
遠く能郷(のうごう)白山を望む小高い丘からの眺めが
私は一番好きだ。

今年は、雪解けが早いため
頂上付近の雪もかなりとけていた。
岐阜は桜の名所が多く、
ここへ到着するまでに
墨俣一夜城の長良川沿いの桜も
味わいながらドライブができる。
犀川の堤防には樹齢50年を超えるソメイヨシノが
約800本、約3.7kmにわたり続く。


その後到着するのがこの淡墨桜だ。

(展望台からの全景)
さらに場所を各務原に移し、新境川へ・・・
今年は、標高100メートル余りの小高い山の上から見ることにした。



すばらしい眺め!
登山をしている親子やご夫婦に時折出会うが、
皆、互いに気持ちよく挨拶を交わし、
登山者独特の連帯感と優しさに包まれる・・・
今回驚いたが、
登山前と登山後で、桜が1/3~半分ぐらい散っていたのには驚いた。
川はすっかり花筏だ・・・


今年は、そこかしこでシートを広げて
くつろぐ家族連れでにぎわっていて、
ああ、かけがえのない日常が戻ったなーと
本当にうれしい桜三昧だった。

三重から行かれる方は、
是非!このドライブコースがお勧めです(笑)
長良川沿いを走れるし、
山・川・桜の三点セットが魅力のコースです。




春、清明のころ⑩・・・淡墨桜は語る
千代に其の名を栄盛へ止むる 継体天皇
みのしろと のこすさくらは うすずみよ
ちよにそのなを さかえとどむる

毎年どうしても足を運びたくなる桜がある。
それは、岐阜県本巣市根尾のある淡墨桜だ。
この桜は、わたしと父母、
それをつないでくれた産土様と
少なからずご縁を感じる桜だ。
それは、「真清探當證(ますみたんとうしょう)」という
岐阜県の根尾村に残されていた謎の本に由来します。
私はある時期、自分のルーツを辿って、直感と書物、
そして今の現状に思索をめぐらした時期がありました。
そんな時に出会った本です。
この古書は、現在の愛知県一宮市周辺を主な舞台に、
継体天皇の出自や根尾の淡墨桜の由来までが記された本です。
原本は残っておらず、昭和11年に書き写された写本が根尾村に残されていて
それを、田中豊という方が、根尾村文化財保護審議会の許可を得、
平成11年に、約9ヶ月をかけて復刻版を完成させたのです。
そこには、日本書紀の記述とは異なる内容がかかれてあり、
それは、私の故郷の氏神社である
旧葉栗郡木曽川町「籠守勝手神社」の伝承と合致しているというのです。

「日本書紀」では、第26代継体天皇は近江国で生まれ、
幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前国で育てられ、
のちに大和朝廷に迎えられたとなっていますが、
系譜では、あまりにも唐突に継体天皇が現れ、
しかも、「迎えられた」というわりには、冷遇され
なかなか大和政権には受け入れられず
20年もかけて中央政権(大和)に入っていた天皇ですから
日本書紀の記述ははなはだ怪しいことになります。
ここでは詳しいことは延べませんが、
とにかく迫害された継体天皇がいよいよ大和へ上るときに
地元の人との別れを惜しんで手植えしたのが今の淡墨桜と言われています。
継体天皇にとって、
よほどこの根尾の生活が楽しかったのでしょう・・・
前述の和歌の「薄住」は、住んでいたこの地を
短い年月で去らねばならない寂しさを表し、
「淡墨」と掛けているのです。
そういうわけで、すべての真実を知るのが
樹齢1500年以上たったこの淡墨桜というわけです。
➡継体天皇とうすずみ桜―古代秘史『真清探当証』の謎 (伝承が語る古代史)
私が「継体天皇とうすずみ桜」を読んで5年になりますので
もちろん細部は忘れてしまっていますが、
それでもここに出てくる継体天皇とその父親である皇子、
その皇子と兄が隠れた籠守勝手神社、
真清田神社(祭神:天火明命(アメノホアカリ)はニギハヤヒノミコトの別名)
そういった尾張ゆかりの地のつながりを読んだ時、
感動のあまり身が震えたのを今も忘れません。
しかも継体天皇の奥さんは、
尾張目子媛といって尾張地方の姫です。
さて・・・
私の好きな絶景ポイントはここです。

遠くに能郷白山が雪を頂いて見えています。
この山は、毎年4月13日の例祭には
猿楽に近い能が奉納されていますが、
猿楽などの原初芸能に従事していた民が
当時、迫害されていたことも
この桜にさらなる哀愁を加えます。

(豊富に流れ込む雪解け水)
「迫害」と「服従」・・・
長い歴史の中でいったいどれほどの民が
その憂き目に遭ってきたことでしょうか・・・
先日の犬山でも思いをはせましたが、
➡城下町犬山(後)
私の古代史の旅は、どうやら勝者にはさほど興味がなく、
いつもこうした敗者の哀愁をたどってしまいます。

正史(日本書紀など)とは、単なる勝者のhistory(彼の歴史)・・・
敗者の伝記、歴史書は、焚書され改ざんされ
闇に葬られていきます。
今の政府と変わりません(苦笑)
歴史の光と影・・・
その場に足を運ぶことで見えてくるものがあります。
苔むした地面からひっそりとのびるシダの葉のように
この光と影のはざまから「お話」の方から浮き出てきてくれるのです。
そういうお話が、世の中にはまだまだ数多(あまた)在る・・・

ついつい毎年足が向かってしまうのは、
こうした歴史のはざまにうまれる一種の望郷の念を
肌で感じたいからかもしれません。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体