令和buzz321・・・観察=愛
年の瀬も見据える晩秋といったところでしょうか・・・
最近の知的好奇心と言えば、
ホロスコープ➡加藤諦三さん➡中野信子さん
このサイクルをぐるぐるとめぐっております。
つくづく思うのは、
人間洞察を長年と続けている人は
まるで深い井戸を掘った後
深部で水が流れ合わさるように
ひとつの普遍性を私たちにもたらします。
この世の法則・・・
何事も観察から始まる・・・
見ることで具現化・物質化し
いのちが吹き込まれるが
やがては滅んでいく過程を経る・・・
観察し、いのちを吹き込んだ瞬間
死への旅が始まる・・・
なんのこっちゃ!?
と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、
今の私の境地はそんな感じです。
観察者は、その死の発見者であり
予言者なのです。
非常に抽象的ですみません。
私たち人類の最大の親切、愛は
発見すること、観察することになるのではないか・・・
ホロスコープ➡加藤諦三さん➡中野信子さん
この三者の循環で感じているところです。

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令和buzz146・・・いのちから遠いものは用済みになる時代
非常に興味深いことが書かれていました。
あるお坊さんが書いていたのですが、
今回のコロナで、
ご家族を亡くしたあるご家族が、
お坊さんを呼ばずに、
家族だけで亡くなった人を送った・・・と。
そのお坊さんがいうには、
東北の震災の時もそういうことが多かったらしいのですが、
要は、最近のお坊さんは、
いのちからも死からも
遠い存在になってしまった・・・
もっというと、
お坊さんを呼んで経を上げるというシステムそのものが
人々からすでに用なしとされ始めている・・・
昨今、坊主というのが
いのちからも死からも遠い生き方をしているからだ・・・
そういうことが書かれていました。
まさにそう・・・
震災の時、気が付き始めた人々・・・
そして、今回のコロナでも気が付いてしまった人々・・・
その共通点は、
いのちや死から遠いものは
用なしという価値になったということだ。
今回のコロナ禍でますます問われること・・・
権威と恰好だけで
何とか成り立っていたシステムは
間違いなく「裸の王様化」していくということ・・・
そして、
それは非常に厳しい言い方をすれば
システムだけにとどまらないだろう・・・
いのちから死から、
遠いところで言動をしている個人も
まちがいなく用なしとなっていってしまう・・・
コロナというフィルターを通して、
会いたいと思う人にはますます人が集まるし
会いたくないという人にはコロナという言い訳で
ますます人が会いに行きたくなくなる・・・
残酷だが本当にそうなってしまうのだ・・・
昨日ある生徒がこういった・・・
「(分散登校の)学校の3時間でさえ辛い・・・
6月からもっとめんどくさくなる・・・」
オンライン
リモート
充実した自分時間・・・
そんな体験をした若者が
学校に行きたくなくなるのは、
彼女に怠け心があるからだろうか・・・
わたしは違うと思う・・・
他の方法があったのに、
いままでなんとなく強要されていた古いシステムの矛盾点に
気が付いてしまったのだ。
そう、
気が付いてしまったのだ。
➡もう戻さなくてもいい
さあ、これからは大人が大変だ。
くだらない会議、
くだらないアドバイス
権威を笠に着た命令・・・
そんなものは、すべて
ますます用なしとなってしまう・・・
afterコロナ、withコロナで
子どもたちに、若者に、
新しい何かを提供できる人間になっていなければ
本当に「裸の王様」になってしまう。
特に、昭和人の皆さん・・・
特に、権威でなんとか成り立っていた皆さん・・・
途方にくれますか?
荷が重すぎますか?
大丈夫です・・・
いのちを育むか、育まないか・・・
育まないものは、ほんとうにやめていく・・・
本当に、
あなたのためにやめた方がいい・・・
これが最大のヒントです。
覚悟はよろしいでしょうか・・・
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genre : 政治・経済