樹下石上123・・・さかさまの世の中
芸術がやたらと騒がしい・・・
あくまでも私見だが、
まとめて穏便にするはずの国と為政者が
余計騒ぎを大きくしているようにも見える。
マスコミは、日本の一大事より
外国の汚職やちから足らずの新閣僚ばかりを放映し
面白がるばかり・・・
笑うに笑えない・・・
ただ、国と為政者、マスコミだけではない。
何かをしていい個人の自由も
最近は何やらうんざりする。
嫌◯(反◯)や好◯など、どちらか寄りでないと
駄目のような風潮は、実に息苦しい。
個人は国家を背負えない。
なのにまるで、代表者や当事者のように
感情を露にしたりして吐き出される歪な言葉は、
大きな話をしているかように見えるが、
わたしには、個人の品性の問題であるようにみえる。
意見をしっかりと持つことと、
傍若無人に振る舞うことは、全く関係がない領域だ。
また、自分がまるですべて正しいかのように振るまうスタンスは、
表現の自由ではなく、脅迫と威圧に近い気もする。
そしてなにより、こうした分断を
ほくそえんでいる支配層がいることを忘れてはいけない。
この世の中、実に逆さまになっている。
弱いものを助けず、強いものがのさばり、
弱いものから吸い上げ、強いものに分配している。
国は、個人のいのちを金に変えることばかりを考え、
個人は、仲間を求めるという建前で
敵を探し大きく誇張する。
私たちが本当に学び、注視し、こだわらねばならぬものは、
いのちを育むことだけだ。
それ以外は、少しずつ確実に切り捨てていけばいい。
個人も国も、人として目指すことはたぶんそれだけだと思う。
今の世の中、そういう意味でさかさまだらけ・・・
「こんな世の中、面白がらないとやっていけない」
本当にその通りだ。
今日も希林節で乗りきろうと思う。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
樹下石上 110・・・おごらず、人と比べず・・・
録画で見たが、やはり素晴らしい・・・

「おごらず、人と比べず、、
面白がって、平気に生きればいい」
いったい、こんなことを言える神がどこにいるというのだ。
この言葉の根底には、
「こんな世の中だから・・・」というのがあるのだろう。
彼女の言葉にもうひとつこんなものがあるからだ・・・
「楽しむのではなくて、面白がることよ。
面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中」
この指を
この手を
この足を
この頭を・・・
面白がるために使おう・・・
そう決めよう。
「本物だからって
世の中に広まるわけじゃないのよ。
偽物のほうが広まりやすいのよ。」
圧倒的に、偽物の方が大手を振って歩き・・・
弱き声を踏み散らかしていく世の中だから・・・
とことん面白がろう・・・
真剣になっても、深刻になるのはやめよう・・・
どこかでくすぐりを入れよう・・・
平気で生きて、
平気で死ねるように・・・
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tag : 樹木希林
秋、霜降のころ⑦・・・宝島社と樹木希林
樹木希林さんとのコラボで新聞広告を出したらしい。

世の中には、害にしかならないくだらない広告が多いが
こういうセンスのある広告は、実に波動が高い。

以前ここでも取り上げたが
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」という名台詞・・・
➡「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 ~2016睦月・宙結びの申言(もうしごと)~
今回は2種類あるようだ。
残念ながら中日新聞にはどちらもないが、
宝島社のオフィシャルサイトにはあった。


字をアップ・・・


「水に流す」
「面白がらなきゃやっていけないもの、この世の中」
いつの間にか私も
樹木希林の言う「依存症」のようだ(笑)
宝島社の広告で気に入ったものを見つけた。

さあ、わたしは国まで行かなくともこう言いたい・・・
「いい日をつくろう、何度でも」
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑬・・・か・かた・かたち
それは、いのちが生まれるところだ。
そして、その時に書いた渦の正体がわかる本に出会った。


(四角内のか・かた・かたちは管理人加筆)
ちなみに、イスラムのスーフィズムの祈りの儀式で円舞をしたり
ろくろで土を回すと活きた器ができるのはこういう原理だろう・・・
わたしはいま、自然体の受験を目指している。
受験や勉強そのものは、「狂科」にすぎないが
それでも、受験がいますぐ消えるわけではない。
ならば、彼らのいのちが
より自然体で過ごすことができる・・・
もしくは、自然体をつらぬける受験というものがないか・・・
そういうことを模索している・・・
もちろんそれは、努力を要しないとか
さぼればいいという単純なことではなく
それこそ、自分が呼ばれている高校や大学に
いや、もっというと自分が呼ばれている未来へと
自然と向かえるようなそんなアドバイスができはしないかと考えている。
いのちが輝く場が、
たまたま偏差値が高いところで
結果的に偏差値を上げる子もいれば
そうでない子もいる。
そうやって、
その子のいのちが輝く場所をともに探すのが受験(進路)指導と
堂々と言える時代が来ると思っている。
だからそのためには、
そういった指導は、宇宙の真理なのだと
裏付ける理論がないか探している最中である。
今回その根拠一つ、大きな一つに出会えた。
以前、医療と教育は同じ末路をたどるといった。
それは、こういうことだ・・・
これだけ病院が増え
医者にかかる人が増え
医療費もうなぎ上りなのに
なぜ病気がなくならないのか・・・
それは、医者が、病気には目を向けているが
健康(いのち)には目を向けていないからだ・・・
それと同じように、高度経済成長期より
これだけ中小大、さまざまな塾が乱立されているにもかかわらず、
いわゆる偏差値の高い高校へ受験ができるようになる生徒が
なぜ多く生まれないのか・・・
80%、いやせめて、半分の50%を超える数になっておかしくない。
そうなれば自然と偏差値が高い順に定員数も増えて当たり前である。
しかし、現実はもう何十年もたっているのにそうなていない。
これはどういうことか・・・
(ここからは、仮説・・・)
それは、塾は生きた教科を扱わず
死んだ狂科を扱ってるからだ。
生き生きとした子供のいのちに
死んだ狂科は入っていかない・・・
そもそも、勉強と、それにまつわる活動のほとんどが
子どものいのちにそぐわないからであろう・・・
(仮説おわり)
人のからだは進化するようにできている・・・
わるいことがあれば、
自分で治す力が体には備わっている・・・
医者も教育者もそれを手助けするだけだ。
なのに、いっこうに日本が、
偏差値か高くなって仕方がない(天才続出!?)
という子どもばかりにならないのは
どうしてだろう・・・
それは、なにかがずれているからだ・・・
がん患者に対して、
抗がん剤や放射線治療、手術を施しても
ガンがなくならないのは
そもそも、その治療が間違っているからだ…
教育も同じ・・・
まちがった導きをしていれば
成績に対するとらえ方が歪み
「自殺」や「いじめ」・「劣等感過多」など
いのちを削る結果になる・・・
わたしはこのずれに対して、
堂々と こういう理由なんですといった根拠を示し
日常をほぼ勉強のみで子供の力量をはかる大人や
それを求める窮屈な指導に一石を投じたいと思っている。
私たちの仕事は、医者ではないが
いのちと向き合っていることには変わりない・・・
医者は文字通り、生死を左右するが、
教育に携わる私も、
「生きながら死んでいる」子どもになるような指導は罪である。
子どものいのちが輝く先へとそっと
背中を押すだけである。
勉強が好きな子はいい・・・
でも勉強が嫌いというだけで生きにくい未来になるのは何かおかしい・・・
大人の良し悪しの基準がお金(給料)になるように
子どもの良し悪しの基準が勉強・・・なのか?
そうなっていることへの違和感がこの世から消えていく・・・
もしくは自分で消せるほどのエネルギーを・・・
子どもたちに授けられたら・・・
わたしの日々の言行や与えられたこの場が
いのちを生み出す「かた」になれたらと
こころから思う。
いまは、零細塾の塾長のたわ言と笑っていただいて構わない。
でもいつか、
樹木希林さんのような年齢になったら
堂々と、飄々と言えるように
地力をつけていきたい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
秋、寒露のころ⑧・・・入口まで連れていくだけ
子どもをある世界の入り口まで連れていくだけ・・・
と思っている。
それ以上は、わたしの出る幕ではない。
こういう哲学になったのは、
私のある体験からだ・・・
わたしは、教採に落ちたため
臨時採用を2年続けた・・・
二年目はとある私立の教員・・・
その私立には、わたしの高校の部活の顧問の紹介で一年契約で採用された。
一年頑張れば、正採用という条件も付いた。
だが、そこはわたしにとっては地獄の教育方針だった。
男女交際禁止・・・
異常なほど厳しい月一回の頭髪検査・・・
朝あいさつをしなかった生徒にホースで水を浴びせる副校長(理事長の息子)・・・
その副校長をたしなめた先生が翌日からいなくなった。
赴任一か月で私が学校を辞めたかった。
理不尽すぎる校則を子どもに強要しなければならない教師としての私・・・
ただ、担任をまかされていたので途中で投げ出すことはしたくなかった・・・
また、一年間、子どもとのやり取りは本当に勉強になったし、楽しかった。
当時、いわゆる偏差値がとても低い私立高校の生徒の家庭や生活は
実に複雑な場合があって、現在の「経済と教育」の問題が
子どもたちの心にまで深く影響をしていた・・・
50人いた担当の生徒たちは、50人50人色・・・
毎日かわす日記(学校指定)には、日々いろいろな悩みや怒り、悲しみが綴られていた。
まだ若く、のほほんと生きてきた私に
一年間、一人一人の日記に「赤を走らせ」続けたことは、
世間知らずだったわたしにとってはかけがえのない経験だった。
それでも、進退を決める時期にきても
当初のやめるという決心は変わらず
学校側に辞めると伝えようとしていた・・・
そして、紹介してくださったあの顧問の先生に
とりあえず事情と自分の心の説明を電話でしてみた。
本来は、お会いして・・・と思ったが
ある事情があり、とりあえず電話で・・・とお話をした。
その時だ・・・
一通り話そうとする私の耳に
信じられない言葉が罵声とともに届いた。
「オレの顔に泥を塗るのか!」
思わず受話器を耳から離した。
それほどの怒号だった。
私はびっくりすると同時に
すぐさま心は冷めていった・・・
(なんだこの先生・・・)
私の正直な心の声だった・・・
実は、校則のことは、もちろん大きかったが、それと同じくらい、
「この先生に一生頭が上がらない選択はしたくない・・・」
それもやめる大きな理由だった。
高校で弱小チームを
県内ベスト16か8にまでしてくださったことには感謝していたが、
私の感謝はそこまでだったし、それだけだ。
私はこの先生をどうしても人間的に尊敬できなかった。
(やはりこう出たか・・・)
そんな言葉さえよぎった。
世の中の部活の顧問には2通りある。
生徒が主役、生徒の成長と活躍が何よりもうれしく楽しい・・・という人と、
自分の名誉や地位を守るために試合をしている人と・・・
また、はじめは前者でも、
月日を経るうちに余分な荷物を背負い込んで後者になる人もいる・・・
そのいずれかによって生徒にかける言葉は全く違う。
そういうことは生徒が一番敏感に気が付いている。
高校の顧問は、わたしから見てまぎれもなく後者に映っていた。
それがこの電話で表面に出ただけだ・・・
(わたしはあなたの道具ではない)
どう電話を切ったか覚えていないが
私の意を貫かせていただいたことだけは覚えている。
生徒は先生の道具ではない・・・
ましてや所有物でもない・・・
大きさは全く違うが
昨今のスポーツの問題は、
まさにこういう所から出ている。
一人の人間として人生の岐路に立ち
真剣に悩み結論を出そうとしている・・・
その足元を見て
おのれの名誉欲や自己顕示欲を満たすために
これからの若者を縛るのは言語道断!
このいやな経験から私が気づいた哲学・・・
子どもが岐路に立つとき・・・わたしができることは、ともに考え寄り添う。
その子のいのちが一番輝く場所の入り口まで連れて行ってあげるだけだ・・・
あとは
「グットラック」と
「よかったら、いつでも遊びにおいで」だけである・・・
昨日は、ご縁があってとある高校の部活見学に行った。
オープンキャンパスでは雨天で、お目当ての部活が見れなかったのだ。
お母さんは自営をされてお忙しいので
生徒との会話の流れで付き添うことにした。
そこの高校はとてもご親切にしていただき
思いがけず、練習にも参加できた。
ここまでくればあとは本人が決めること・・・
私は、見守る側に回り、その生徒が答えを出すまで待つだけである。
あれから何十年もたつが、
先日あげた樹木希林さんの手紙がわたしの目指す教師像・・・
今年も受験の時期がやってきます・・・
それぞれの性質によく耳をかたむけ聞いて
その子が一番輝く場所を共に探す。
教育って教えるだけでなく、
寄り添い共に育つことかもしれない。
それが面白くなったら、
ああ、教師になって幸せーっっっョ。
樹木希林
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体