山、山、そして山・・・
思わず固まる瞬間がある。
それは、大きく左右に曲がるカーブの先、
トンネルを抜けた後の視界に
それは、ふいに、
本当にふいにという言葉がぴったりだが、
大きな大きなすそ野が目の前に飛び込んでくるときだ。
一瞬なにが視界に入ったのかわからない・・・
ゆっくりと視線を上にやると、
それは偉大な山であるとわかる・・・
江戸末期、黒船がやってきたとき
江戸の人々は、それを船と認識できなかったようだ。
「伊豆大島が噴火しながらやってきた!」
と今なら笑い話になるような記述も残っているらしい。
近くで見た人は、あまりに大きすぎて、見たことがないその黒船を
ただ黒い壁のようにしか見えなかった人もいることだろう。
経験したことがない大きさと美しさが
目の前に現れるときは、そういう時と似ているのかもしれない。
偉大で、あまりにも美しい・・・
そういうものが突然目の前に現れる・・・
大げさでなく、うち震えるのだ。


(ともに岩手山)
山、山・・・そして山・・・

(月山・湯殿山)

(早池峰山)

(蔵王)
日本海側、新潟を抜けて山形に入ると
遠くに大きな山・・・
なんだなんだあれは・・・
こんなに遠くから見える山・・・
東北の旅で、唯一入った個人の喫茶店で
地元の方に確認・・・


(野菜が本当に美味しかった山形)
鳥海山だった・・・
この鳥海山は、行きの山形~秋田・・・
帰りの岩手~山形・・・
二たび三たび出会えた嬉しい山だ。

(ホテルから朝の鳥海山)

(夕暮れの鳥海山)
霧に煙る駒ヶ岳・・・
山頂がお隠れの黒姫山・・・
行きも帰りもお隠れの妙高山・・・
なぜか故郷のような鳥海山・・・
遠く憧れを残したままの白神山地・・・
意外に可愛かった月山・・・
アツイタい湯殿山・・・
なにかを守るように鎮座する大砦の蔵王山・・・
薄いベールをかぶった立山・・・
大きな山だけではない。
無数の山をくぐり抜け、
本当に
山、山・・・そして山の旅だった。
古代人は、山を神そのものとし、
龍が住まう場として大切にし、
磐、蔵、座、樹、などの依り代を守った。
水、気・・・
人間が必要ないのちの源は
すべて山を通して人に分け与えられる。
ふるまってもふるまっても
尽きることのない蕩蕩たる恵みを抱える山・・・
現代人は、この山から、必要なだけ頂けばいいものを
なぜ、山が苦しむほど枯渇させる穴をあけ、平気でいられるのか・・・
(やはり、リニアはいらない)
日本列島を、そこに住まう人々を守るのは
やはり山だと再確認した旅だった。
十力の金剛石 花巻、賢治に会いに
その十力の金剛石はまだ降ふらない。
おお、あめつちを充てる十力のめぐみ
われらに下れ
宮沢賢治「十力の金剛石」より
彼のこの哀しみ、切なる祈り・・・
まるで、庶民が搾取され続ける
今の日本、いや世界を言い当てている。
どこまでも奥が深く、
それでいいて、上空に突き抜け、
繊細で、斬新な彼・・・
それゆえ 時に予知者となる宮沢賢治・・・
恐らく私の一生をかけても
きっとたどり着くことはできない彼の世界観は、
今後、全人類にとって
探求と発見の連続になることと思う。

今回 花巻で彼の童話村を訪ねたことで
また素晴らしい作品に出会えた。
「十力の金剛石」
初期の作品らしいが、
私は全く知らなかった。

童話村、はじめて入った白い部屋・・・
その部屋に入った瞬間、私は涙が止まらなくなった・・・
「???」 の ぴよさんの横顔をしり目に
流れるままにしておいた。
その白い部屋には、さらに白い椅子が何台かおかれていて
自由に腰掛けることができる。
白の中の白...
大きな夜空の木の下の白い椅子に座ると
足元に文字が見えた。

「十力の金剛石」の一節だった。
そして十力の金剛石は
野ばらの赤い実みの中の
いみじい細胞の一つ一つにみちわたりました。
彼の言葉は、音であり、色であり、
やがて、幻燈になる。
こころが退化した私たちには、
彼の活字だけではもう十分な映像を引き出す力がない。
「十力の金剛石」
涙が出るほど美しいお話です。
彼は、ずっとずっと遠くに行ってしまって
現代のわたしたちが追い付けない場所にいることでしょう。
それでも私たちは、追いつこうと努力しなければいけません。
でないと人類が滅びてしまう気がするのです。

クラゲの知覚
確かにそうであろう。
しかしそれは、諸刃の剣で
悩み事相談を聞いていると
考えすぎの毒素でご自身がやられていることがほとんどだ。
未来を心配して悩む・・・
過去を後悔して悩む・・・
現在の欲で悩む・・・
かくも人間は悩み多き生命体だ。
しかしクラゲは違うようだ。
クラゲには、脳がないからだ。

ぷかぷか浮かんで
気の向くまま・・・
いや、脳がないので「気持ち」はない・・・
水の向くまま・・・か・・・

水槽がせまかろうが
一人ぼっちだろうが
お構いなし・・・
互いばぶつかって
もしゃかりそうになっても
お構いなし・・・
なんてすばらしいのだ・・・
いや素晴らしいと思うのは脳がある人間側だけ・・・

この脳・・・スイッチ一つでクラゲのようになったり出来たら・・・
いやいや・・・今の人間社会だと
ちょっと怖い気がしてきた(笑)
やはり人間は、自分の脳と共存するしかあるまい・・・
我が脳よ・・・毎日ご苦労さん(笑)
旅の食事は「夕食+α」

今回の旅は、その土地その土地の美味しいものを
お酒を楽しみながらいただく・・・
それが目的でしたので、
朝ごはんや、昼ご飯はひかえめとしていました。
というよりか、一日そんなに食べられない・・・

特に朝ご飯は、出発も早かったということもあり
ホテルではとりませんでした。
近くのコンビニで買うフルーツかおにぎりと
母が作ってくれた梅干をパクリ・・・

「梅はその日の難逃れ・・・」
映画「めがね」で出てきたこのセリフを
三重でも実践していましたが、
母が作ってくれた梅干を瓶に入れて
旅にも持っていきました。

昼は、名物がある時は別ですが、
移動時間帯が多かったため、
ほぼ食べないか、軽めでした。
そうして、夜の食事とお酒を楽しむ・・・
このスタイルがなかなかよかったんです・・・

このずんだ餅など
大きな4つも餅が入っていて、
2人で分けてもこれだけでお腹いっぱい・・・
さすがは餅文化の東北・・・
昔ほどででないにしろ、
生活のほとんどが野良仕事、力仕事だからでしょう・・・
東北の居酒屋さんは、
小鉢をいただいても
刺し盛をいただいても

スケールが大きくてけちけちしていない・・・
食文化の根底が「心置きなくふるまう」なのでしょうか・・・
海に囲まれ、名山があり、水もおいしい・・・
田は広く広く、畑で採れる野菜は豊富・・・
だから安くておいしい・・・!!

秋田の道の駅では、
ゆでたトウモロコシが130円~180円ぐらいで売っていて
これを今か今かとお客さんが待っている・・・
ちょっとした行列ができてました・・・
それが美味しいのなんのって・・・
もうりっぱなお昼ご飯でした。
わたしたちはもう、量はいらないんですよね。
美味しい地のものを少しずついただく・・・

旅という日常でない空間にほおりこまれても
からだの反応は正直です・・・
いる物はいる、欲しくない物は欲しくない・・・
こういうことができることを「幸せ」というんでしょうね。

留守中の水やり当番
これが課題でした。
しかも猛暑の夏です・・・
しかし、これもネット検索で解決・・・
本当にすごいですね、最近の商品は・・・
こちら・・・

名前もそのまま(笑)
「水やり当番」
使い方は簡単。

使ってみてわかったこと・・・
水タンク代わりのペットボトルの底を
を植え計鉢の上のラインより
上にすること・・・
ペットボトル側のチューブ先が軽くて浮いてしまうので
小さな石などを輪ゴムで付けて重石にする・・・
そういった工夫が必要でした。
難点は、
いくつもバケツやらペットボトルやらがいること・・・
あとは、一斗缶のような錆びるものを使うと
チューブや三角の先っぽの部分が目詰まりすること・・・
台風などのときは、
バケツが飛んで行ってしまわないように注意すること・・・
こういったことに注意すれば、
十分活用価値があります。
今回は途中で雨が降ったこともあり、20鉢以上あった植木は
1鉢をのぞいてすべて元気なままでした。
その一鉢は、受けていた皿のために根腐れだった模様・・・
水を心配して、水が多すぎ・・・!?
中々悲しい結果ですが、
これからは、皿の有無も工夫すべきですね・・・