十年、をちこち・・・㊽
私は、父が最後の病床に就くまで
盆と正月のお墓参り以外は
ほとんど家に帰らない人でした。
いまでは、
ひとり暮らしで、病と共存している母に
月に数回会いに行くことが自然になりました。
いま私は母に、「本当に出会っている」気がします。
物心ついた時から
私は母と特に仲が悪いわけではないのですが
リズムというか、タイミングというか
そういうものがなんとなく合わないと感じていました。
中学高校の多感な時期は
話しかけてほしい時にほっておかれ
話しかけてほしくないときにねほりはほり聞かれ・・・
そんな感じでしょうか・・・
母としても
常に相談なく動き
事後報告だったわたしに
どうしてあげていいのかわからない
戸惑いがあったのだと思います。
私は小中高と家では極端に口数の少ない子供でした。
三者懇談でも
「何にも言わないので・・・」と
母が言っていたのを思い出します。
「何を考えているのかわからない子」
母はそう思っていたようです(笑)
感謝の気持ちはたくさんあるのに
「子ども」としての甘えがそうさせていたのだと思います。
昨年父が亡くなったことによって、
そんな関係が大きく変わります。
私としては人生初ぐらい実家に近寄るようになり
本当に、いろいろなことを話すようになりました。
幼いころの話や
あの頃こう思っていたとか・・・
母が何度も繰り返す今昔話にも
はじめて聞いているかのように
不思議なほど気持ちのいい相槌が打てるようになっている自分に、
本当に驚いています。
18歳で愛知を離れ、
三重に来てからの年数のほうがとうに長くなっているわたしが、
今ようやく、ほんとうに母と出会っている・・・
そんな感じです。
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
十年、をちこち・・・㊹
母とよくいくうどん屋が定休日で、
岐阜の別のうどん屋へ向かいました。
夕方から塾があったので
すこし気がもめましたが
気を取り直して、向かいました。
食事を終え、母を助手席に乗せ
車を出し、主要道路へ出ようと一旦停止・・・
左右を確認中・・・
「ガガガガーーー」
揺れました。
わたしが止めていた駐車スペースに
慌てて入れようとした別の車が
わたしの車の後ろをその車の横であてていったのです。
幸い、母も私も怪我一つなく
母にも動揺がなかった事故でしたので
本当にありがたかったのですが、
かすかに慌てていたわたしの心が
昼食の時間が限られ、さらに慌てて駐車しようとしたサラリーマンの心と
こうして出会うことになったのです。
スピリチュアル好きの方は
すぐに「引き寄せ」という方もみえますが、
それは、少し違います。
そのことは、流れが合えばまたお話します。
この事故で、私は急にいろいろな人と話したり出会うことになります。
当事者の方、地元の警察の方、保険の方、車のディーラーさん・・・
事故がなければ出会わなかった人と
話したりあったりすることになるのです。
これが人生の妙です。
日頃は全くみえないのですが、実は
いつもつながっていたというOnenessを再確認します。
スーッと音を立ててクローズアップされる「近づく」感覚・・・
空間の量子が膨張と収縮を繰り返しながら
「私」をつくりあげ、「私」に近づく感覚です。
仏教ではこれを「空」といいます。
「空」は空っぽということではなく、
すべては見えなくともつながっているということです。
被害者と加害者・・・
夫と妻・・・
親と子供・・・
先生と生徒・・・
社長と従業員・・・
店主とお客・・・
人間界は、自分という存在が迷子にならぬように
さまざまな対照物を置くことで
自分の立ち位置を確認します。
そうしないと落ち着かないからです。
とても便利なシステムですが、
これに慣れてしまうと、
このいつでもつながっている・・・
見えないだけ・・・という感覚がなくなり、
急に横柄な態度をとったり、
逆に媚びたりする癖が付きます。
今回、法律上では私は被害者ということになりますが
それは同時に加害者でもあるのです。
人間界でこの上下左右が付いた時点で、
被害者であり加害者でもあるのです。
わかりにくければこう考えてください。
「いつ何時、逆の立場になるかわからない」
「一事が万事、塞翁が馬、お互い様」
(立ち位置が決まった時に、その対極にある立場も内包するということ)
Oneness、ワンネスというカタカナが苦手な方は
ぜひ、この言葉からお入りください。
「わたしはあなたであり、あなたはわたしである」のです。
いつものうどん屋が閉まっていて
別のうどん屋へ行き、急いだ気と慌ただしい気が出合ってしまう。
実は出会うのではなく、自分がある立ち位置を取ったがゆえに
対照物であるもう一つの自分、自分の中にあったもう一つの存在が
カタチになり現れただけなのです。
事故も恋愛も就職も結婚も・・・
すべてこのOnenessの世界だからこそ起こる
不思議な妙なのです。
なんにせよ不幸中の幸い・・・
大難は小難、小難は無難・・・
ありがたいことです。
この事故の意味の問いかけは今も続いています。
そして、
「本当に出会ったものは別れない(分かれない)」
このことについて次回続けましょう・・・
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体