令和buzz338・・・学力とは安心感のこと
今の本は、10万部売れたらベストセラーですが
昔の本は、50万部、100万部でした。
この本もそうです。
当時の帯には65万部突破と書いてあります。

先日もこの本について書きましたが、
改めて読んでみると本当に凄い本です。
子ども、
特に小学校の低学年ごろの子どもたちは
家庭の空気がそのまま学力の土台となります。
まずは、親御さんが学び好きか?
子どもは親が好きなものを
好きになる傾向があります。
親御さんが歴史が嫌いなのに
歴史が好きになる子供さんにはならないのは
自然な道理です。
親御さんが本も読まずに、
単語で命令口調で話すのが常であれば、
子どもが論理的に考えるようにならないのも
自然の道理です。
そして、何よりも、親御さんが落ち着いているのか・・・
近づいて安心できる空気を作っているのか・・・
これはもっと大切なことと言えましょう・・
この本にも書かれていますが、
ちいさな子どもさんが勉強しようという気になるのは
いったいどんな時か?
それは・・・
「親がそばにいてくれて、優しくしてくれる時」
異論がある人は少ないと思います。
明治の学生発布以来、
子どもたちの教育の目的は
「富国強兵」の一端を担うこととされてきました。
立身出世・・・
実に胡散臭いのですが、
システムごとそうしてしまったわけですから
ご家庭が躍起になってしまうお気持ちも
わからないわけではありません。
意外に思う人もいるかもしれませんが、
令和になった今でさえ、
国の教育の目的は、
富国強兵
立身出世(させる)なのです。
ゆとり教育も個性化教育も
一部のエリートをあぶり出すための詭弁にすぎません。
教科書は、一般的生徒には
3割しかわからなくていい設定されているようです。
以前ブログにも書きましたが
➡迷走する教育
教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った三浦朱門は、
こう発言しています。
【新・学習指導要領の答申(ゆとり教育時代)の最高責任者として関わっている】
「つまり、できんものはできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、
できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。
百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。
限りなくできない非才、無才には、
せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
(中略)
国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、
すごいリーダーも出てくる。
日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。
それが“ゆとり教育”の本当の目的。
エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
(ゆとり教育の目的は、エリート教育だったより)
これがなによりの証拠です。
国は、ひとりひとりの豊かさや幸せなど
ちっとも考えていないのです。
学力と収入をがっちりリンクさせ
数少ないパイを奪い合えというのです。
政府は、
自分たちの意に添う知識人だけを優遇し
富国に役立つ大学に助成金を増やし、
そこで学ぼうとする若者だけに授業料を免除したり
給付型の奨学金をあてがうのです。
今の状態では、教育は
生産性だけを求める資本主義教育です。
わたしは、これを教育と呼びません。
わたしは、教育を文化と考えています。
私の父が歴史好きだったため
私も好きになりました。
チャップリンの映画から
TVの落語から、弱い者への寛容という世界を知りました。
母が聖書を読んでいたため、
「汝」などという難しく古典的な言葉にも触れました。
だから、就学前の小さなお子さんには
学力ではなく、愛情のある教養がたっぷりと必要なのです。
早急な結果だけの学力ではなく
※涵養が必要なのです。
※涵養:水が大地に染み込むように無理をせずゆっくりと養って育てることです。
リビングでたっぷりの愛情がある
たっぷりの会話がなされ、
人として語彙力が豊かになる時間の使い方・・・
要は、親御さんのさりげない根気が
子どもの根気となり、教養となるのです。
それこそが、まさに見えない学力というわけです。
もちろん、政府の要請通りの教育をしたいという
ご家庭があってもいいでしょう・・・
どちらにしても教育とは、
その子の20年後、30年後に答えが出るものなのです。
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