令和buzz255・・・ある教育長の発言問題
遠藤浩教育長(55)が問題発言で辞任した。
もとの発言について
ネットでは賛否両論、
「とんでもない!」
とする人もいれば、
「全文を読んで真意をつかめば問題はない」
という人もいる・・・
一応、全文を上げさせていただく・・・
「教育長報告
〈遠藤教育長が以下のとおり報告〉
子供たちにとって本当に短い夏休みが終わった。子供にとって、遊びも学びの
一つなのだろうから、今年の夏の子供たちの成長は小さいのだろうか。そうであっ
ては困るのだが、きっと多くの子は「諦める」ということを学んだのであって、何
かに夢中になることはできなかったのだろう。間違いなく「コロナ世代」の誕生で
ある。
大きな災害があると、子供たちの心のケアにも注目が集まり、学校にカウンセラ
ーが派遣されたりする。しかし、コロナ世代に対する心のケアはカウンセラーが得
手とする守備範囲ではないと思う。災害で傷ついた心、その心の声を聴くことから
カウンセラーは始めることになるだろう。コロナ禍による心の傷?は、恐怖などに
よる心的ストレスとは異なるのではないだろうか。コロナ禍が子供に与えたのは、
命を守るためには仕方がないと「諦める」ことである。やる気みたいなものを削い
だはずである。
そんな子供たちの顔をあげさせ、前を向かせるのは教員の仕事である。教材とな
るものを与え、考えさせ、まとめさせ、発表させたりする。その流れの中で、諦め
たことをしっかり受け止めさせる。ごく当たり前の授業でいい、あまり特別なこと
はしなくてもいい。
繰り返すが、今学校に求められているのは、単純なカウンセリングマインドでは
ない、教員の指導力なのである。ここで立て直しておかないときっと学年が進むに
つれて不登校傾向を示す子が増えていくことぐらいは誰にだって予想できる。
8月は平和を強制的に考えさせられる。原爆の日があり、8月15日の終戦の日
があるからだろう。現在の式典の映像と当時のモノクロ映像、砲弾とともに死体が
映し出される。
担任をしているときには、夏期講習の合間に「きけわだつみのこえ」から引用し
た資料で生徒に戦争とは何かを考えさせていた。
ところで、こうした死を前にした手記のようなものを読んでいると、どことなく
死が美しいもののように感じそうになる。愛するものを守るために死ぬ。それは正
しい愛の形なのかもしれない。しかし、それが教育によって作り出されたとするな
らば、その教育あり方そのものが間違っていたはずである。教育は死に方を教える
のではなく、あくまでも生きる術を教えるべきなのである。
※不適切と指摘のあった部分
今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することで
はないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動
く。
コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろ
う。きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。
紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう。罪のない人間
の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける
限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。」
みなさんは、どうお感じになっただろうか・・・
この発言に仮に問題があったとすれば、
3つ考えられる・・・
①この教育長が本当に
コロナ禍のような閉塞感を打ち破るには
戦争のような紛争しかないと考えている場合
②①でないにしろ
コロナ禍での教育対応の例が、
「戦争という事例」でしか浮かばなかったこと
②①の様には思っていないのに
そう思わせてしまう文章構成力の足りなさと
使う言葉の不適切さ
ではないかと思う・・・
その発言後、
謝罪をした内容や心が真実かどうかは
本人にしかわからないことだ。
今となっては、①かどうかは調べようがない。
ただ、私が気になるのは、
仮にも、自治体の教育長という方が、
②③という脆弱さを抱えているということだ。
これからお話しする内容はあくまでも私の感覚ですので
そのつもりでお読みいただければありがたいです。
まずHPに行くと、どうやらこれは、
「広島平和記念式典派遣事業が
新型コロナウイルス感染症拡大防止の関係で中止
となったが、代替策について教えて欲しい。」
という質問に対しての答えの一部のようだ・・・
修学旅行やそれに付随する現地平和教育が
このコロナで中止になったからだろうか?
ちょっとそのあたりはよくわからないが
おそらくそうだろう・・・
仮に、問題発覚後の教育長のコメントが真実で
「現在のコロナ禍において、
社会全体に閉塞感のようなものがあり、
それを打開する方法として、
戦争や紛争をはじめてしまうのではないのかという、
人間の愚かさを憂いたもの」
だとすれば、答弁の文脈の不適切を指摘せざるを得ない。
純粋に文章能力の不十分さであろう・・・
なぜなら、読み手聞き手は、
答弁者もしくは作文者が、
先に結論を言わない場合、
最後に行くほど重要になると感じるからだ。
最後、つまり・・・
「今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動く。
コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろう。
きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。
紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう。罪のない人間の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。」
が、趣旨となってしまう。
まずは、冒頭にしっかり自身の信念を
お書き(お話)になるべきだった。
流れはこうだ。
どんな時も戦争の惨禍は行われてはならない。
冒頭でこう書くだけで
文全体の印象ははっきり決まる。
つづいて、あくまでも案だが・・・
歴史を紐解けば、内憂の閉塞時に
かつての為政者たちは戦争という方法で
矛先を外に向けさせて、ことをしのいできた。
↓
その結果、明治以降、戦争の惨禍は消えるどころか、
第一次世界大戦、第二次世界大戦と
人命を軽視する規模がどんどんと拡大していった。
↓
現在、世界中がコロナ禍であるが、
決して同じ過ちを繰り返してはならない。
↓
時に、被爆国である日本は
世界中にそれを発信できる重要な立場にある。
↓
ただ、現在、
修学旅行等での県外の移動を自重し、
学校の平和教育の中止が余儀なくされた今年は
子どもたちにその火を途絶えさせないよう
教育現場でも深い指導力と工夫が必要だ・・・
・・・・・・云々・・・・・
これはあくまでも例だが、
この教育長の真意が①でないなら
そういった流れが必要だった。
最悪にも、最後の段落にこれを持ってきた・・・
↓
今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することで
はないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動
く。
コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろ
う。きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。
紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう。罪のない人間
の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける
限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。
例まで、「クリミア」とし、
よく国際問題にならなかったなと
あまりの軽々しさに怖いものまで感じる。
特に、この段落の冒頭で
「今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、
どこかで大きな戦争が発生することで
はないだろうか。」
と、方法論まで打ち出している。
これは、説明的文章でよく行われる「呼びかけ型提案文」で、
作文者(発言者)の意見ととらえられる・・・
これでは誤解を持たれても仕方がない。
また、不適切な表現と指摘されて後のコメントも
流れがおかしい・・・
当該部分の内容については、現在のコロナ禍において、社会全体に閉塞感のようなものがあ
り、それを打開する方法として、戦争や紛争をはじめてしまうのではないのかという、人間の
愚かさを憂いたものです。閉塞感を何か別のものに置き換えて矛先を変えることが人間にはよ
くあることのように思えているのです。
繰り返すが、読み手にとって文章は、
後半になればなるほど
重要にとらえがちである・・・
「閉塞感を何か別のものに置き換えて
矛先を変えることが人間にはよく
あることのように思えているのです。」
を最後に持ってきている。
これでは、この文の重要度が増してしまい、
(矛先を変えることが人間にはよくあるから)
「で?」
となってしまう・・・
答弁の冒頭で
「今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、
どこかで大きな戦争が発生することで
はないだろうか。」
と言ってしまっているので、
下手をすると、うがった見方で
だから戦争がいい方法?となってしまう。
この教育長に問題があるとすれば、
これら文の流れの重要性に
気がついていないことだろう・・・
また、細かいが、とても重要なこと・・・
実は、用語もおかしい・・・
「8月は平和を強制的に考えさせられる。」
「強制的に」ではなく、「自然と」であろう・・・
思わず学校と教育委員会の姿勢がうかがえる💧
また、
「ここで立て直しておかないときっと学年が進むに
つれて不登校傾向を示す子が増えていくことぐらいは
誰にだって予想できる。」
学校はリモート学習で事足りることがばれてしまったから
こんな発言になってしまったのだろうか・・・
どちらにしても、
自分たちの立場を守るために学校があるわけではないし
不登校が悪いわけではない。
このように、用語の使い方も不適切さが出ている・・・
ただ、古来よりこういわれている・・・
「文は人なり」
文章を見れば書き手の人となりがわかる。
(フランスの博物学者ビュフォン)
問題①ではないと願うが、
この言葉もまた、事実であることが哀しい・・・
先の戦争では、大本営発表が国民を先導し騙し続けた。
国民は、
自分たちの生活、いのちまでささげて
国を信じていた。
今のコロナもそうなっていないか?
現場の先生には、
ぜひそのことを検証しながら現場に立っていただきたいし
教育委員会の方々もぜひそのことを検証していただきたい。
8/11段階で、以下の質問に答えられない厚生労働省、
それに従っているだけという文科省・・・
上から受けるだけでなく、教育委員会からも疑問を呈してほしい・・・
1.コロナは風邪とありますが指定感染症でもあります。
厚労省は、実際危険性はどれくらいのものと認識しているんですか?
2.厚労省のでは「PCR陽性者」=「感染者」と捉えているんですか?
だとしたらその理由は何ですか?
3.死者が陽性だった場合、別の死因であっても「コロナが死因」とカウントするように各都道府県に求めたことが報道されています。その理由はなんですか?
そして、子宮頸がんワクチンの時と同様、
これからあなた方が勧めるであろう
ワクチンの危険性も学んでほしい。
そして、おおもとであるコロナの医学的事実を
きちんと知ってほしい・・・
ホント、お願いいたします。
先の教育長は答弁で言う・・・
「きっと多くの子は「諦める」ということを学んだのであって、
何かに夢中になることはできなかったのだろう。
間違いなく「コロナ世代」の誕生である。」
いや、いや・・・
諦めているのは、あなたたちではないですか?
あなたたちが、
諦めている「コロナ世代の大人たち」になっているのです。
自らの身体と精神の自由と
考える崇高さを手放し、
諦めを選んだ大人たちに
辟易としているのが子どもたちです。
私も、まわりの子どもたちは
何も諦めてませんよ(笑)
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