建前で苦しむ子供たち
そのYouTuberの方がお勧めしていたので購入しました。

「これからの生き方と働き方」
私の太陽星座は、乙女座9度ですので
サビアンシンボルによれば、
「未来派の絵を描く男」ですので、
こういったタイトルは心に響きます(笑)
読書の導入は、「はじめに」と目次を見るところから始まる。
今回は、「日本語版の刊行に当たって」もあったので
先にそちらも読んだ・・・
この作者が、経営哲学者という肩書があるため
「はじめに」から魅力的な本だということがわかる。
心理学的にいって、利己主義は長く作用しない。人は自分より大きな何かに夢中になるほうが、幸福を感じるからだ。その何かとは、他者を巻き込み、対立ではなく協力をもたらす何かだ。
その後私は、ある章に飛んだ。
「第十章 これからの正当な教育」P312
そして、もどって「お金が抱える問題」 P33
おやおや!?
そのあたりから、
だんだんと、トーンダウンしてくる自分がいる・・・
名著であることは事実だと思うが
自分の感情には嘘は付けない。
私が、教育の問題で気がかりなこと・・・
・個人の能力(成績)ばかりを評価するのが
あたりまえということ
・その評価で、進路や将来の大半が決まっていくこと
・子どもたちの24時間が、
あまりに大人に奪われていること
(先生の努力がないくだらない授業、宿題、強制的部活、心無い評価等)
・個人の能力と、生涯年収がリンクしすぎていること
・私たちの人生と広い意味での「自然」との関係が
希薄であるということ
・実は、私たちの人生や労働、学びの喜びや意味が
世界金融資本家の手にあることを、知らせていないことと
それを解決するために一個人の力が小さいと思わせていること
・国 > 企業 > 個人の順に重要視されている暗黙知がある。
その際、家庭が企業に溶けていること、飛ばされていることも問題
・何より、お金の仕組みを変えないまま、
教育の仕組みをいじくろうとすること
(すべての根源は、最後だが・・・)
「教育の問題」
それこそ、学生時代から何十回、何百回と考えてきた
かゆいところに手が届かない・・・
そうやってもやもやした気持ちが消えないまま
もう何十年もたっている。
だからこそ、自分の小さな塾という場で
手探りでもいいからこの解答のない世界を泳ぎ続けるしかない。
この本、
すべてを読んでいないので
偉そうに言えないが、
作者の言葉を借りれば、
前述の私の「開かれた問題」に対して
何か再び閉じていく感じがしている・・・
というのが、いまのところの正直な感想だ。
本から、一例をあげよう・・・
子どもが学校で優秀な成績を収めるのに必要な7つの力がある、という。
「自信」
「好奇心」
「志向性」
「自己管理能力」
「関連性を見出す力」
「他者と意思の疎通を図り協力し合う力」
「満足を先延ばしにできる力」
ここまでで、この意見に異論をはさむ方は見えないと思う。
しかし、次はどうだろう・・・
「自信」を伸ばす授業
「好奇心」を伸ばす授業
「志向性」を伸ばす授業
「自己管理能力」を伸ばす授業
「関連性を見出す力」を伸ばす授業
「他者と意思の疎通を図り協力し合う力」を伸ばす授業
「満足を先延ばしにできる力」を伸ばす授業
このあたりから、うさん臭くなってくる。
授業が行われれば、必ず教師からの評価が待っている。
「自信」への評価
「好奇心」への評価
「志向性」への評価
「自己管理能力」への評価
「関連性を見出す力」への評価
「他者と意思の疎通を図り協力し合う力」への評価
「満足を先延ばしにできる力」への評価
もうここまで来たら、
勘弁してくれと逃げ出す方が多いのではないだろうか・・・
ここに教育問題の中心があるのだ。
つまり、システムにのっけたとたん
息苦しく、監視的で、つまらないものになるのだ。
ここに並んだ力は、もともとすべて「自動詞」だ。
つまり、自分が必要に迫られて伸ばしたいと思ったときは
いのちを吹き込まれるが、
「授業をされる」「評価をされる」という
使役と他動詞的要素が入った瞬間、
重苦しく、いのちを縮める活動となる。
私の現場感覚では、
一番初めの「自信」に気が付いてもらうだけでも3年は優にかかる・・・
もっとややこしいのが、建前上
教育は「個性」だの「生きる力」だのと うたっているが、
要は、本音は
「成績(学歴)」
「収入(年収)」
成績が、親族のために・・・
収入は、企業のために・・・
これが、実質的に目的であろう・・・
百歩譲って、これらの過程を目的でなく、目標としてとらえても
何かおかしなことになっている。
あくまでも小さな過程の目標が、いつの間にか目的となり
その子の人生の意味を消していく・・・
何一つ、当人のためを思ってのことではない。
(もちろんそれ自体を本当に目的としている人に
とやかく言いたいのではない)
この大きなずれを確信犯として隠蔽しているのが
学校というシステムであろう。
いま教育に必要なものは「システム」や「結果」ではなく
育む過程の「感情」だと思う。
それは、
「安心」と「多様性」・・・
この「開かれた仮説」を実証したいという私の夢は
もちろん今も終わっていません。
いのちあるものがいのちあるように・・・
今のところの私の結論がこれです。
この本もまだまだ途中・・・
作者と対話する気持ちで
つづきを読んでみたいと思います。
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theme : 教育問題について考える
genre : 学校・教育
tag : 教育問題