秋、霜降のころ⑩・・・大笑いと熱弁
いつものように午前中「宙言」をしていると
どやどやと駐車場に人が入ってくる・・・
実は、お店を10年していても
いまだに初めてのお客さんには緊張が走る・・・
ましてや開店の12時前に人が来られると
のんびり屋の私は少しそわそわし始める。
できるだけ平静を装ってお出迎えすると・・・
なんと全て常連の方だった・・・
安堵・・・
甘えてはいけないのだが
常連の方だとホッとする・・・
3組すべてがはじめての方の場合と
全て常連の方とでは心の勝手が違ってくるからだ。
うちのお店の常連様は
私たちのペースや店の仕組みをご存じなので
待っていただく間、台所で変に焦ることなく、
丁寧に準備ができる。
それでもそれなりに急ぐのだが
悠々として急ぐ・・・という感じだろうか・・・
一通り召し上がられて相談や雑談が始まる。
昨日は、ある病で悩まれていらっしゃる方がみえた。
宙言で学んだことや、母と経験したことを話しながら
何としても健康になっていただきたいとついつい熱が入る。
千島学説のこと
症状=病ではなく、
身体が必死によくなろうとしている現象だということ
その方は苦しい抗がん剤治療から寛解され、今はお元気なので、
たくさん健康な血液を食事や笑い、身体を温めることでつくること・・・
そして何より、自分の性別を楽しみ認めて、
決してその性別に縛られないフレキシブルなとらえ方で生きること・・・

(「朱蒙」のサヨンのような生き方で健康になれる人もいる)
実は、自分で自分を
性差によって縛り
その役目や性質を硬くとらえて
そのことを長く続けることによって
病になる方も多いのです。
またこれは、機会があればお話いたします。
人生どちらの性別でも、大丈夫と明るく生きて、
ストレスのない笑い多き生き方を選ぶこと・・・
そんなこんなが次から次へと浮かんできて
ついつい熱弁する・・・
安保先生
宗像先生
船瀬さん
近藤先生・・・
心あるドクターやジャーナリストの言葉が私たちを包む。
納得、笑い・・・ジョーク・・・またまた大笑い・・・
毎日5000個生まれる我々の体内のがん細胞が次々と
笑いによって活性化した免疫細胞によって死んでいくひと時・・・
政府が医者が性別が男が(笑)・・・どんなであろうと、
わたしたちの人生はわたしたちの好きにさせていただく・・・
そんなことでまた笑いあう・・・
決して出逢いをねらったわけではない
こういうひと時は本当に潔くて気持ちいい・・・
ああ、今日はいい一日だったぁ~
そう言って立ち上がられるお客さんの背中を見送りながら
私自身も本当に幸せな一日にこころから感謝・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、小暑のころ⑨・・・大衆酒場のカウンター
今日はそのうちの一軒をご紹介・・・
おそらく将来
老後のdayサービスならぬ
eveningサービスになりそうな酒場、
津新町駅前の「たこ」・・・だ。
以前書いた記事、大衆酒場の掟では
「かつての職場近くに、ずっと気になる大衆酒場があったが
酒場での粋がわからぬ、子供の自分には、分不相応と躊躇していた。
TakeOutのたこ焼きを買うとき、ちらっとみえる大人の雰囲気・・・
まだそこにデビューするには、わたしの経験も智慧も薄かった。」
と表現した。
創業は60年ほどまえ。
昔は、もっと線路沿いだったらしいが
ずいぶん前に今の場所に移ったらしい。
昨日も、相棒ピヨさんと暖簾をくぐった。
のぞくと店は一杯・・・
カウンターに6人、テーブル席に4人だけという
小さな店は、今日も絶好調!
いつもの土曜日の顔ぶれが並ぶ。
4人掛けに座られていた常連2人が、
俺ら行くから・・・と席を譲ってくださる。
こういう機転の利かせ方が
大衆酒場では「粋」になる。
それにしてもみんな、
ここに来るために働いているんじゃないかと思う。
人生ケセラセラ・・・
若者のような派手な明るさはないが
朗らか、にこやか・・・とにかく店全体がやさしい。
土曜日によくいらっしゃる70代のおじいちゃんがいる。
かぶってこられる上品なパナマハットが
以前の会社の地位を物語る。
かといって、えらそぶるわけでもなく気さくな人だ。
4人掛けにピヨさんと二人・・・
たこの今日の名物を堪能していると
カウンター席が少し空いた。
するとパナマハットのおじいちゃんが
わたしたちにカウンターをすすめる。
断る理由もないので
促されるままカウンターへ・・・
肩すり寄せ合うほど狭いカウンターでは
人の情が直接しみ込む。
カウンターでのマナーは
程よくなじみながら、それでいて
だらだらとなんでも垣根を越えていいものでもない。
この塩梅が微妙で心地よい。
初心者の私は、しゃべりすぎず
主張し過ぎず、聞き役に回るのでちょうどいい。
こういうお店では
その人が話すちょっとした会話に中に
同伴の人との間柄とか
何のお仕事をされているのかとか
どういう生き方をされてきたのかとかが
探らなくとも時間をかけてゆっくりと入ってくる。
昨日はそのパナマハットのおじいちゃんが
意外にも自分の身の上話を始めた。
ずいぶん前から飲んでいるようなので
ほどよく ろれつは回っていないが
姿勢はあいかわらず毅然としていらっしゃる。
人生の晩年、こうやって酒を飲んで
楽しいことを話していればそれで充分・・・
そう話されていた。
この方は、母の年齢になるまでにはあと10年だろうか・・・
母を見ていても思うのだが
人は晩年、自分の歩んできた足跡みたいなものを
何かとつとつと 誰かに話しておこうと思うのかもしれない・・・
そういう意味で、ひと世代 ふた世代 若いわれわれが
しばしの間、聞き役に回るのも決して悪くないと思える。
笑い話があった・・・
わたしのことを「彼氏彼氏」というので
(以前は、「奥さん」だったような!?)
おそるおそる
「わたしは一応女性で・・・すみません。生物学的には・・・」というと
「いやぁ~知っとったよ・・・よく話してくれた」
私「???」
「そういう人は、アメリカやフランスでは普通にいるから・・・
周りが何と言おうと気にしなくていいよ。自由に生きたら。
そういう人への差別はあかん・・・」
えらく深いところで慰められた(笑)
わたしにとって性別はどうでもいいのだが
せっかく慰めてくださっているので
言われるままうなずいていると
「今日は、たのしいなー」と・・・
私 (まあ、いっか) 苦笑
大きなズレではないが、
こういう微妙なズレが生じながら(笑)
会話が進んでいってしまうのも
カウンター席ではなにやら楽しい・・・
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体