足し算の限界
この世界に38年ほど携わってつくづく思うのは、
教育現場―これはありとあらゆる現場
学校、塾、家庭に至るすべての場面だが、
その教育現場が子供に施す「教育」と
病院で施される「治療」というのは
どこか共通性がある。
いままでの教育現場、病院は
すべてが足し算の論理だ。
足し算こそ、正義であり、善意であり、
子供を、患者を、よくするものだと信じられてる。
例えば、学校ではワークやプリントを
たくさん与えることがサービスであり、善意であった。
また必要とあれば、テストや模擬テストを毎月のようにして
学力を診断し、その不足分を補う授業を施した。
病院にとっては、毎年の健康診断、それに伴う薬の投与
必要とあれば、入院手術・・・
ともに近代に生まれたこの二つの仕組みは、
まさに近代という父母の願いを受け継ぐ双子のように
共通の流れを持っている。
その結果、教育界ではこれまでに蓄積された過去問によって
問題パターンがどんどん増え、
それに合わせてワークのページが膨大になる。
病院もそうだ。
多くの新しい病名が作られるたびに
その処方薬が開発され
どんどんと与えられる薬、予防接種が増える。
今の0歳児に
いったいいくつの予防接種を打つように推奨されているか?

9種のワクチンを、それぞれ2~3回接種!
どう見ても異常だろう・・・
生後間もない赤ん坊の身体に
異物をこれだけ打つことを異様と思わないのも実に不思議だ。
教育では、費用対効果を考える各ご家庭が、
塾を何度も変え、塾ジプシーとなる。
病院でも、病院ジプシーはいる。
また、開発費と販売費の差額という経済理論で
薬が売られ、お金持ちとそうでないもので治療方法が変わってくる。
引き算でなく、足し算を信じているから
事態はどんどん悪化し、
本来目を向けるべき「いのち」からどんどん離れていく。
これは人づきあいでもそうだ。
自分がまだ、何者かさまよう人が
ご縁欲しさの旅に出て
やたらめったらであった人に、
ご縁だご縁だ
ソウルメイトだソウルメイトだ
といって声高に人とのつながりを増やそうとしている人がいる。
私などこれまでに
何人ものペテロに出会っているから、
※ペテロ:はじめはいかにも仲間のような顔をして
あとから平気で傷つけ、後砂をかけるように裏切っていく。
そうやって浮かれている人を
申し訳ないが、冷ややかに見てしまう(笑)
そういう人は「孤高」を知らないから
「孤独」に一生懸命抵抗しようとして
地に足がつかない人間関係となる。
してくれたこと
もらったこと
(不自然なほど)ほめてくれたこと
この足し算にすがる。
そうして、足し算がその人の価値になるから
相手が何か期待に応えないと
平気で相手を罵り、はじくようになる・・・
先日見たYouTubeで
土橋重隆医師は、足し算の限界を述べていた。
これからは、引き算だと・・・
まさに膝を打つ思いだ。
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