平成の後ろ影②・・・目に見える家電から見えないデジタルへ
白黒テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機・・・
後に、3Cのクーラー、カー、カラーテレビ・・・
なるほど、人間の労働力、
特に女性の家事労働を軽減した画期的な家電がうまれ、
余暇時間を楽しくさせ、家庭に届く情報が増えた時代です・・・
平成の三種の神器を調べると
DVDレコーダー、薄型大型テレビ、デジタルカメラ・・・
しかし、もうこれはかなり古い感じがします。
いまやスマホやタブレットですべてを事足りる時代・・・
もう「家電」という表現も合わない感じです。
平成が終わろうとしている今、
デジタル機器×インターネット通信の世界が果てしなく広がろうとしています。
その産物であるAI・IOTの進化で
身のまわりのありとあらゆるモノがインターネットに接続され
通信回線を利用するデータ量が急増すると予想されているため
次世代通信インフラが5Gになるという。
2020年に実用化するらしい。
昭和と平成の違いは、目に見える家電から
目に見えない通信×デジタル機材といえるかもしれない。
確かに昔のテレビも不思議だった。
中はどうなっているんだろうと不思議に思い
町の電気屋さんがテレビの後ろを開けて修理するのを興味津々で見ていた。
しかし今では見えない世界がその比ではない。
目に見えない世界が深遠で膨大過ぎて
使えることは使えるが
いったい何が起きているのかわからない人も多い。
また、それをつかえるかどうかで生活ががらりと変わってしまう。
人が機械を使いこなすまでには時間がかかる。
使いこなせない人は、機械がもたらす特典を享受できず、
時代に取り残され、不便な生活を強いられることになる。
大学生活で親の仕送りを受け取るのに
初めてATMを使ったのを今でも覚えている。
キャッシュカードというものを初めて手にした時の緊張も覚えている。
銀行のATMが出始めた時、自分のお金を引き出すのに
四苦八苦したお年寄りは多かったのでは?と思う。
私はまだ若かったため、そんなに億劫ではなかったが、
あのときも、人間が機械を使うというよりは
機械が人間を教育する感じだった。
あれから、30年以上がたって
いまでは、機械が人間を教育する場面が実に多くなった。
私の母などはもうとうにその時代を追いかけるのをやめているが、
私だっていつまでこの技術革新についていけるのかわかったものではない(笑)
機械が人間を教育する・・・
強制度が高くなり、この度が過ぎれば、
機械を使いこなす習熟度で
人を支配することも出来てしまう。
昭和の時代、学歴で就職が決まった時のように
デジタル機器に対する習熟度で恩恵享受に差が生まれ
果ては貧富の差にまで発展するのだろう・・・
あたらしい技術はどんどん使えばいいと思っているし利用するべきだと
私自身も異論はない。
しかし、そのことで大きな格差が半強制的に生まれるのは
少し慎重になったほうがいいかもしれない。
仏教経済学(エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー)は
仏教徒の考える機械化には二種類があると述べている。
①人間の技能と能力を高める機械化
②人間の仕事を機械という奴隷に引渡し、
人間をその奴隷への奉仕者にしてしまう機械化
いまはまちがいなく②になっているだろう。
その技術がいのちを育むか
それとも窮屈にさせるのか・・・
学校などでタブレットなどを使ったデジタル教育が進むとか
GTECなど、新しい英語検定も導入されているいっぽうで、
いのちや健康に関する懸念は後回しにされている感じです。
日本では、電磁波の問題はほとんど出てきません。
なぜならそれはスポンサー事情によってマスコミでは超タブーだからです。
一方、5Gの強烈な電磁波によって健康被害が出るとして
環境先進国の欧米では保育所や小学校でWi-Fiのスイッチを
切ることが推奨される風潮になっていますし、デモまで起きています。
アメリカシリコンバレーの元技術者(ジェレミー・ジョンソン氏)さえも
警告を発しています。
「IT産業がここまで盛んではなかった時代、
僕はこんなに頭痛持ちではなかった」
「電磁波にまみれた普通の生活を営み続け、
健康を害した人たちを多く見てきた」
➡5G電波による健康被害「生殖機能低下、脳機能変化…」科学者らが懸念! 世界の電磁波規制に遅れる日本!
➡謎の鳥の死。5G導入地域で起きた恐怖の悲劇。5Gが引き起こす健康被害の可能性と日本への本格導入が進む前に知っておきたいこと
・・・・・
東京オリンピックに向けて
この国ではますますこの技術革新は加速するでしょう・・・
だから、悪いことはあまり流れてこないと思います。
便利さを享受する傍らで
健康を害しては元も子もありません。
いつの世も科学技術は諸刃の剣・・・
見えない技術の世界・・・
自分の健康は自分で守る・・・
平成は、そういったことを自ら意識をしないと
守れなくなった時代とも言えます。
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平成の後ろ影①・・・大相撲
それが大相撲・・・

いわずと知れた、日本の国技であり、神事である。
思い起こせば、夕方小学校からかえってくると
店のTVからはいつも取り組みの呼び出しが聞こえていた。
父も母も相撲好きだった。
当時は、憎らしいほど強い北の湖や輪島、
初代貴乃花が土俵をにぎわせていた。
そのころの私は、父や母が相撲談義をしていても
ふ~ん・・・
という程度で特にファンでもなかった。
夕方6時近くに、結びの一番があり
「この相撲一番にて、本日の打ち止め~」と
独特のふし廻しが聞こえる。
そして、勝負のあとはよく座布団が舞った・・・
なぜ座布団を投げるのか?
そう、尋ねたのを今も覚えている。
名勝負になると母は決まって
「力が入る・・・」
そう漏らしていた。
私にはなぜ力が入るのかさっぱりわからなかったが、
思えばあの頃に日常の自然な風景に「大相撲」があった。
ただ、わたしは相撲よりソフトボールにのめり込んでいった。
しかし、年齢のせいかどうかはわからないが、
「相撲は美しい・・・」
そう思わせた力士がいた。
昭和人ならだれもが知っている「ウルフ」・・・千代の富士だ。
優勝記録を31に伸ばし
大鵬をいよいよ抜くか!というときに引退をした。
また、千代の富士の連勝記録が、
昭和63年九州場所で53で止まり、
双葉山の69連勝突破の夢は消えた。
翌朝の朝刊一面に
「千代の富士、連勝ストップ!!」の文字が踊ったのを
いまでも覚えている。
彼の引退を決めた大勝負をご存知だろうか...
最近まで何かとTVでお騒がせになっていた
二代目貴乃花との名勝負だ。
当時、貴乃花は「貴花田」
18歳9ヶ月...
新旧の劇的交代のシーンだった。
まさに、昭和から平成へのバトンパスだった。
この名勝負は、実は以前、
千代の富士が北の湖に引導を渡したときと同じだ。
視聴率も驚きだ。
千秋楽の大相撲中継視聴率は52.2%、
千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、
現在でも大相撲中継の最高記録となっているらしい。
そういえば、昭和から平成にかけて消えたものに
「お茶の間」という「間」がある。
家族が一家団欒を楽しみ、寛ぐ部屋のことだ。
録画もなかった時代、誰かが決めたチャンネルを
いい悪いに関わらず、家族全員が見ることになる。
だからお茶の間だ。
平成が進むと、個別のものが増えていった。
部屋、TV、車、電話・・・
すべてが個人に一台になろうとしていた。
そうやってお茶の間は消えた。
そして、もう一つ消えたものに
大相撲の美しさを挙げたい。
もちろん、単なる私の感覚なので
いまも大相撲ファンの方はお許しいただきたい。
いまの相撲の良し悪しを語るつもりは全くないが
わたしにとってあの頃の大相撲は外国人力士がいても
本当に美しいものだった。
千代の富士の土俵入りはいまでも惚れ惚れする。
還暦を迎えた土俵入りも
往時の隆盛をしのばせる。
昭和から平成の過渡期、
時代の流れと言えば仕方がないがいまから思えば、
何か大切なものが消えてしまった時代なのかもしれない。
さて、私事で恐縮ですが、
本日、AddCafe&学習支援塾Onenessは
11周年を迎えました。
ここまで来られましたのも
一重に皆様のお陰さまと心より御礼申し上げます。
これからもマイペースは変わりませんが
末長くお付き合いいただけますとありがたく存じます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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秋、立秋のころ⑬・・・世も末じゃ
まだ実家にいたころ、
政治家たちが不正を働くニュースを見て母はよく言っていた。
そのときは笑っていた私だが、今ではもう笑い話にもならない。
不正を管理する側が
不正を働く・・・世も末じゃ・・・
⏩「視力弱い」で障害者算入 雇用水増し 省庁、不正認識か・・・

これも昔・・・
お笑い芸人が度が過ぎた笑いをとろうとしたり、
食べ物を粗末に扱うネタで笑いをとったりしたとき
昭和の大人は、画面したにテロップを流した。
「よい子はまねしないでください」
これからは、この言葉変えたらどうだろうか・・・
「よい大人はまねしないでください」(平成の子供より)
それぐらい、大人が狂っている平成最後の年です。
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春、穀雨のころ⑦ 昭和1/3、平成1/3、新元号1/3・・・
いまの平成が始まった日である。
調べると、その日は全国的に雨または曇りだったようです。
1989年の天気
いまの予定では、
2019年、4月30日に天皇が退位されるそうです。
5月1日から新しい元号です。
まさか自分が生きているうちに
しかもしっかりと物心あるうちに
元号が二回も変わるとは・・・
自分の寿命から考えると
ほぼ、1/3ずつ元号を分け合って生きることになる。
わたしのなかでは、
昭和は「香り」であり
平成は、「史実」である。

昭和には、どこかロマンという
あいまいさや脚色を挟むことがゆるされそうだが、
平成は、生活であり、事実であり、
経歴詐称が許されない感がある。
かつての人々も
昭和の人は大正を、
大正の人は明治を思ってきたのだろうか・・・
私的には、
昭和=混沌、ごちゃまぜ、勢い➡楽しい
平成=平均化、厳しい、まないたの上の鯉➡ちょっと寂しい
ただこれは、戦争にも大きな災害にも見舞われなかった者のたわごとかもしれない。
そして、
昭和は、子ども時代、青少年時代から見てのそれであり、
平成は、当事者としてのそれである。
立ち位置が、コップの外(傍観)から
内側(当事者)に入った感じである。
時代を外から浮かれて見ている者と
時代を内側からシビアに見ている者との違いとも言える。
やがて時代の内側に入ると
自ずと人生の哀愁に出会うことになる。
それぞれの生・老・病・死に出会うからであろう。
ただ、喜怒哀楽の「哀」に時代を味わわないと
次の「楽」の時代に移れないのかもしれない。
そうそう・・・
苦の中にいて 苦のままで 楽である。
➡十年、をちこち・・・84
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