夏を迎える君たちへ
授業中、彼らを見ていてふっと降りてきた言葉・・・
言葉が逃げないように、
その辺にある紙の裏に書き記した・・・

このコロナ禍を過ごしている君たちだから
分かったことがあると思う・・・
従うことはなんてつまらないことか・・・
従うことでは何も生み出せない・・・
「ちがう」と思うことを大切にすること
見つけること
気付くこと
それでしか
人生は創造できない・・・
もうわかったと思う・・・
大人たちが言うことは時に
大きく間違っている・・・
利権という大きな闇の中で
大人たちはただただ怯え
君たちでさえ利用されていること・・・
どうか
そんな暗い世の中でも
いのちを輝かせてほしい・・・
自分で選んで、
自分で経験して、
泣いて笑って・・・
それでも後悔なんてなく、
この時の、あの時の、悲しみでさえ
いのちの輝きだと知ってしまえば
人生なんて
ちっとも難しいことじゃない・・・
自分の尊厳は自分でしか守れない・・・
従うなんてつまらない生き方は
心の底から忌み嫌い手放していこう・・・
君が選ぶことで
尊厳は生まれ、
行うことで
喜びが生まれる。
いつの日か振り返ったとき
その尊厳が道のあちこちで輝く・・・
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : 尊厳
令和buzz322・・・PG12?
うちの塾でも、
「泣いた」
「2回見た!」
と話題沸騰中だ。
わたしと言えば、
生徒が先生にも見てもらいたいと
はじめの3巻ほどわざわざ持ってきてくれたが
1巻の途中で挫折した(笑)
で、昨日、ずっと疑問だったことを
今の生徒のお兄さん(元生徒)に聞いてみた。
疑問とは・・・
同じ話のはずなのに
本の漫画があり
アニメがあり
なのに、なぜまた映画に行きたくなるのか?
人間の心理として興味があったのだ・・・
答えはわかった・・・
それは、映像の綺麗さと音響の効果だという・・・
なるほどと納得した・・・
しかもアニメは、この無限列車の前で終わっているらしく、
そこもポイントらしい・・・
で、その鬼滅の刃が「PG12」なるものに指定されているらしい・・・
このPG12とはなにか・・・
「刺激的で小学生の観覧には不適切な内容も一部含まれている。一般的に幼児・小学校低学年の観覧には不向きで、高学年の場合でも成長過程、知識、成熟度には個人差がみられることから親又は保護者の助言・指導に期待する区分である」
この文をまじめに読み、
まじめに実行するならば、
「親又は保護者は助言・指導」をした方がいいようだ。
それにしても一体何を助言するのか?
しかも それを「期待する」?
この腑抜けた文章をいったいどう捉えたらいいのか・・・
おそらく鬼をやっつけるシーンの
グロテスクさを和らげる助言!?や
いのちの大切さを助言!?
ということかしら???
しかも、学校の運動会で
柱(鬼を退治する側)のきめポーズや
鬼の首を取った振りになっているのが
よくないとかのご意見もあるらしい・・・
もともと、4歳から6歳ぐらいまでは
他人の視点に立ったり、
自分の視点以外で物事を見たりする力が成長途中らしいので
(つまり、なり切ってしまう)
映画の中で起きていることと
自分の世界との混同が起きるからなのだろう。
それが「コワい!」となり、
トラウマになる・・・
そういうことなのだろう・・・
もちろん個人差もあり、
家庭内の価値観にもよる・・・
幼い心への配慮という点ではもちろん必要だが、
それは、こういったPG12指定(10/5)が起きる前に既に
本人や家庭で行われているのではないだろうか・・・
「専門家のアドバイスは、脳の活動を停止させる」 中野信子
これは、専門家の意見がお門違いだったとしても起きる現象らしい。
つまり、専門家の意見が正しかろうが間違っていようが
意思決定をつかさどる脳が活動を停止してしまうのだ。
昨日偶然この箇所を読んだ私としては
実に複雑な気持ちになる・・・
今回の政府お抱えの
コロナの専門家の意見(半強制)など最たるもので
他にも、政府が学問や文化に口を出して久しいが、
ここでも子供たちの価値判断に
細々と基準を設けて枠を引く最近の風潮には
もう閉口しかない・・・
「過ぎたるは及ばざるが如し」
いいことわざがあるではないか・・・
漫画や映画など、
子どもが好きと言っているものに
大人は程よく距離を持つことが大切だと思う・・・
そして、われわれの尊厳でもある
「意思決定」は手放さない方がいいだろう・・・
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
冨岡 義勇(とみおか ぎゆう)さんもそういってますよ。
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夏、小満のころ⑬・・・人間の尊厳
5月に定植したキュウリやトマトの苗が
先日来の雨ですっかり大きくなって
ひと回り大きな支柱がいるのだ。
すでに実も付けている・・・
苗が育つということは雑草も育つということで
このころの畑は、生命の息吹を否が応でも感じる(笑)
少し体を動かしてからのこのブログ・・・
何もしないときよりも気持ちよく筆が進むのは
からだと言葉が連動している証拠。
名随筆家や文豪と呼ばれる人で
散歩好きな人が多かったが
少しわかる気がする。
さて、3人目の恩師は、
中学の時の体育の先生、T先生だ。
そのころは確か30歳ぐらいだったと記憶している。
中1のある日、授業の合間、休み時間だった。
一つ上の中二クラス、
教室横の廊下を歩いているときだった。
教卓の椅子に座って、
顔を臥せっているT先生がふと目に入った。
周りには囲むように数人の女子生徒・・・
黒板の軌跡を見れば
おそらく女性のからだの構造が書かれていたので
保健の授業、性教育の授業だと想像できた。
当時は、体育、技術家庭は男女別々・・・
周りは女子しかいない。
先生はどうやら泣いているようだった。
しかもかなりの号泣だったとみえて
わたしが通った時にはそのしゃくりあげがまだ続いていた。
すこしびっくりした。
「何があったのだろう・・・」
その先生が、いまのような学級崩壊などゆるすわけもなく・・・
おかしいな・・・
そう思っていると、
同じソフト部の先輩(あまり好きな先輩ではなかったが)が
先生の肩に手を添えようとしていた・・・
「先生、元気出して・・・」
わたしからみても意外に軽いノリで告げていた・・・
その瞬間!
「あんたになにがわかるんだよ!」
先輩が手をのせるかのせないか・・・
暇はなかった。
ばっと、その先輩の手を叩いて遠ざけた。
わたしは、もう一度驚いた。
その時の先生は、もう「先生」ではなく
一人の人間、個人だった。
あとからわかったことだが
それは、「人間」であり、「女性」であり、「母」であった。
性教育の授業・・・
女性のからだを教えている最中、
先生はご自身の流産の体験を思い出された(話された)という。
おそらくご自分ではもう心の整理がついていたと思っていた・・・
だからこそ、授業で、生徒の前で話そうとされたのだろう。
だが、意外にもそうではなく、
まだ心の奥に残っていたあの時の感情が
堰を切って流れ出したにちがいない。
いのち、哀しみ・・・
おそらく、先生自身もその展開はあまりにも不意打ちで、
教室という公の場にもかかわらず、思いがけずに
「人間」となり「女性」となり「母」となってしまったのだと思う。
なんて素直な先生なのだろう・・・
安っぽいドラマのように、慰めようとしている生徒(女性)に対して・・・
安易に理解しようとする軽はずみな生徒(女性)に対して・・・
「なにがわかるのか!」と突っぱねる
先生のその態度に、わたしは感動し、釘付けになった。
この感動という言葉が正しいか今もわからないが、
とにかく私の心は、ああ・・そうか!と悟りのように大きく動いたのである。
安易な傷のなめ合いを拒む
「凛」とした一人の女性、人間の尊厳・・・
先生は別にねらったわけでもないが、
人間の「ほんとう」が激しく吐露されたあの場面で
思春期の私が感じたものは大きい。
そういう先生たちが今も私の心にいて
わたしという人間を育て続けてくれている・・・。
実に、感謝しかない・・・。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体