令和buzz344・・・秘すれば花なり
ないがまま
この自然体のあり方は、
本人だけでなく、
周りが安心します。
不自然な人には、力がない。
人を安心させられないので、
人のために動けば動くほど、
うっとうしがられ、嫌われる。
本人は頑張って、
自分を我慢までさせて
人のために尽くしているのに、
見返りの喜びや感謝がもらえないので、
余計不安になって、また余分なことをする・・・
自分より弱い人間には、イライラをまき散らす。
歪んだ依存は、
本人も周りも何一つ幸せにしない。
あるがまま
ないがまま
歪んだ依存で安心を得ようとする人は
人の目が極度に気になる。
だから、SNS上で、
○○的良いことをしました!
○○に気がつきました!
○○のご縁に感謝!
と
自分を特別な存在にさせたがる・・・
承認欲求が強くなる。
歴史上、人類は、このSNSで、
時間や空間を超えて
人から孤独がなくなると期待したのかもしれない。
しかしそれは、かえって
さらなる承認欲求を欲する結果となり
手に入らなければ、孤独感の増大に繋がった。
この本によれば
人が孤独を解消する方法には3つあるという。

一つ目が、「お祭り騒ぎ」
二つ目が、集団や慣習に同調すること
三つ目が、創造的活動をすること
一つ目が、打ち上げ、飲み会
二つ目は、いいね!ボタンに、グループラインに、限定グループ
三つ目は、インスタグラム、YouTubeだろうか・・・
いずれも、一長一短である・・・
「短」はこうだ・・・
祭りの後のむなしさ
集団の同調圧力
見せびらかし、所有としての創造的活動
つまり、この3つでさえも孤独感を消せない。
ならば、孤独感からは、逃げない方がいいのだろう。
孤独な時は、孤高まで突き抜ければ
きっと、孤独は別の次元へ昇華する。
でも、それは、いったい何だろう・・・
一人を受け入れ、平凡を受け入れ、
その先にある「ほんとうの自分」とでも言おうか・・・
「秘すれば花なり」
秘とは、隠すことではない・・・
隠しても隠し切れない花・・・
声高に、自分を表現しなくとも
自分という全体性と個性を持った人との交わり・・・
自分自身を失っていない人との結合・・・
前著のフロムは言う・・・
それは、「配慮」「責任」「尊厳」「知」
どこか、恋と愛の違いに似ている・・・
ある程度、孤独を愛することは、
静かな精神の発展のためにも、
また、およそ真実の幸福のためにも、
絶対に必要である。
ヒルティ著『幸福論』より
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tag : 孤独感