「路」
こちらの本は、地形と気象で歴史上の都市を解説しています。

幼い頃、地形と歴史で衝撃が走ったのが、
桶狭間の戦いでした。
信長が今川義元を打ち負かした戦ですが、
わずか3000ほどの兵力の信長が地形を利用して、
2万5000人の今川軍を奇襲でやっつけます。
戦の鉄則は、相手が嫌がる
場所
時
方法
をとるといいらしいですが、
まさに信長はこの3つを上手く使ったことになります。
もちろん、古い歴史のことですから、
それが本当だったかどうかはわかりませんが、
ドラマとしては実に面白いです。
本に話を戻しましょう・・・
この本で驚いたのが、
奈良盆地は、中央に湖があったという事実です。
回りを青々とした森林に囲まれ、
物資に移動は、大和川とその湖・・・
周囲の森のあちらこちらから水が流れ出て、
水田にはもってこいだったとか・・・
しかし、平安時代の桓武天皇は、
この奈良を捨て、長岡京、京都と都を移します。
なぜか?
あれだけ豊かだった奈良盆地が
300年ほどですっかりと環境破壊が起きていたからです。
周りの森はすっかりとはげ山になり、
それによって保水力を失った山は土砂災害が横行・・・
治水も悪くなり、疫病が蔓延・・・
桓武天皇はそれを嫌ったとか・・・
巷の歴史では、
天智系だった桓武天皇が、
天武系ゆかりの奈良を嫌ったとされる説もありますが、
地理とインフラという観点で見ると
歴史はまた実に興味深いものです。
さて、移った長岡京・・・これまた失敗でした。
桂川(上流は鴨川)、宇治川、木津川、瀬田川の合流地だったため、
大雨が降れば、川はもちろん、巨椋池も溢れます。
再び水害に悩まされ、
10年ほどで、
いまの京都に遷都します。
さて、別の視点で・・・
奈良と京都、
いったい何が違うのか?
それは
閉じているか?
開いているか?
奈良は、大和川を上ってきた先は盆地でどん詰まり地、
ところが京都は、東海道、山陽道、山陰道、中山道、北陸道、
あらゆる街道が交差する地点。
その街道の先には海がある。
淀川を下っても回路が確保できる・・・
京都を中心として
四方八方へ陸路海路が伸びる・・・
文字通り開けた都なのです。
世界を見ても、すべての「路」が一つに集約される都は
あまりないとか・・・
これは参考になりました。
京都は1000年以上続いた都・・・
秘密は「路」だったわけです。
そういえば、
年齢を数えるのも「路」を使いますね。
20歳:二十路(ふたそじ)
30歳:三十路(みそじ)
40歳:四十路(よそじ)
50歳:五十路(いそじ)
60歳:六十路(むそじ)
70歳:七十路(ななそじ)
80歳:八十路(やそじ)
90歳:九十路(ここのそじ)
情報や物資を運ぶ都の「路」・・・
それぞれの人生、人と人が行き交い
自分の人生を豊かにしてゆく「路」・・・
「路」の意味は違えども
ともにとても重要な意味がありますね。
歴史の違う顔を垣間見る
実に興味深い本です。
[スポンサーリンク]