努力は必要か?
あのT桜のTさんがインスタを通して
久しぶりに現れてくださいました。
本当に偶然だったのですが・・・
やはり、そうなんです。
そうなっているんですね。
そうなってるんだ・・・というものに理屈や証明はいりません。
わたしが、すべてがわかってるのではなく、
むしろわかっていないので
神様がこうやって現象で見せてもらえるのです。
だから私は、現象で分かったことを
皆さんにお伝えしているだけです。
「ああ、そうですか・・・」とクールに受け止めたり
「ああ、そうなんですね!」と感動で受け入れたり
「そんなことは気のせいだ・・・」と思われたり
人それぞれでしょうが、
その人それぞれが大事なのも事実です。
この「人それぞれ」が、いまの世の中本当にできにくい・・・
その人は、「そう」できているのに・・・
それには理屈も証明もいらないのに
無理をしてそれを変えようとしても
互いが徒労に終わるだけです。
その「そう」に気が付くこと・・・
人生を楽にするコツです。
継続の反対の一つは、「中断」ですが、
中断だって時には大事なんです。
戦国武将は、敵を攻める時
攻める作戦より、退却するときの作戦を念入りにしたといいます。
いのちがかかっているのですから当たり前です。
でも我々現代人は、「継続は力なり」という努力目標の言葉を
あまりにも崇拝しすぎてしまっていて
「中断」を忌み嫌う・・・
わたしなど、学校の部活を辞めたいけどという生徒に
辞めていいんじゃない・・・
というときがあります。
内申に響くとか
やったものは途中で投げ出したらダメとか
そういう道徳的なことよりも重要なことがあります。
それは、その子の「そう」がどこにあるかです。
私たちは、その子の「そう」を発見できないので
通り一遍の道徳を振りかざして、安心しようとするのです。
また、発見する努力を怠っているだけかもしれません。
その子の「そう」がいのちです。
それが輝いているか・・・
努力は万能ではありません。
努力 < 夢中
「夢中」は「努力」に勝てないからです。
だから、夢中になれない努力は
撤収した方が身のためです。
もちろん、文字通り、人にもよりますが、
たいていの場合は、無理して努力を続けても
いい結果にはなりません。
その子の
わたしの
「そう」
それが、努力よりも、いのちに近いものなのです。
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