塾の当たり前をやめた塾
自分のペースでやる・・・
これは人間の尊厳だと思う。
では、比較的好きでないことをやらなければならないときは
①ある程度人に強制されなければ出来ないので
指示や強制のレールは必要
②嫌いなことであればなおのこと
自分のペースで、自分なりの目標で、好きなようにしたい
さあ、あなたはどちらでしょうか?
「比較的好きでないことをやらなければならない」
今の世の中、会社員の場合
こういった仕事の方は多いだろうか・・・
また、自分にとって価値を見出せないことで
さらに嫌いなことは、特にきつい・・・
私の場合自営なので、
会社員の時に比べれば
嫌なことで不必要なことはほぼ100%なくなった。
まず、就業時間を自分で決められるという自営のスタイルは
会社員とは比較にならぬほどの恩恵だ。
会社員時代は、
好きな部分はあっても
毎日決まった時間までに入らなければならないし
たとえ不必要な時間であっても
定時までそこにいなければならない・・・
人の性格によっては
早く仕事が終わろうが
他の状況との兼ね合いで
そこにとどまらなければならないときもあろう。
これがすでに縛りとなる。
話を戻そう・・・
先ほどの①or②・・・
私はやはり②を選択する。
だから、自分の塾を立ち上げた時は、
②のスタイルにしようと思った。
おそらく世の中の大半の塾が①のスタイルをとっているだろう。
私もサラリーマン時代は、
他の塾と比べて少なかったとはいえ
そういう部分を残していた。
今でこそ、②のスタイルで定着しているうちの塾・・・
昨日もテスト週間の彼らの勉強スタイルを見ていたが、
このスタイル②にしてよかったと、しみじみ眺めた。
テストが好きな子はいない・・・
勉強が好きな子も5%ぐらい・・・
テスト前日であっても
私がレールを引くことは一切ない。
黙々とワークを繰り返す子・・・
教科書をひたすら読み続ける子・・・
時々ため息をつく子・・・
前日というのに、まだワークがこなせていない子・・・
時々眠そうにして肘をついて目をつむる子・・・
わたしは、それらほぼすべてを把握しながら
そばにいるだけだ。
そんなやり方でいいのか・・・
とか
そこは注意しなくていいのか・・・
とか
そういった意見もあるだろう。
でもそれをして彼らが育つだろうか?
素直に従わせれば、彼らは考えるようになるだろうか?
もちろん、
解けない問題の質問や勉強法の質問があったり
人生の悩みを受け止めたり
進路の相談を受けたり
そういった時間もある。
また、子どものいのちにとって緊急事態の時は
強弁な姿勢で臨む時もある。
しかし、それ以外は
すべて彼らのペースに私が合わせる。
1日24時間、
彼らと一番付き合いが長い人物は
彼ら自身だ。
嫌いなことだからこそ
「自分のペースで好きなようにしたい」
これこそ
子供たちをはじめから下に見ず、奴隷にせず
尊厳が育っていくのを待つ・・・
大人たちは、
好きなことを
好きな時に
好きな時間にできる・・・
そんな夢のような生活はないと端から否定するだろう・・・
でも、本当にできないだろうか?
大人たちこそ、ミハエルエンデのモモに出てくる
あの灰色の男に時間を預けたままにしているのではないか・・・
嫌なことを
嫌なペースで
嫌なやり方でやらされたとしたら
これはもう人間でなく奴隷ではないか・・・
自分を卑下した奴隷の心が育ってしまうのではないか・・・
嫌いなことだって
自分のペースで
自分のやりたいように
自分の尊厳をもってできれば、
好きなことはもっと可能性がある・・・!
そうやって、彼らには育ってほしい・・・
教育とは洗脳の部分がある。
だからこれも私の洗脳かもしれないが、
「尊厳」という言葉の中にこそ、
教育の意義があるような気がしている。
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