「それでいいんだよ」
私が対処に迷ったときに行う「内的問答」だ。
特に、子どもたちと向き合うとき
そういった場面が増える・・・
私の仕事において、これ以外に
問いかける問いなどないのではないかと思えるほど
大切な問いだ。
一方消えていく問いがある。
それは「善悪」・・・
一言で「善」というが、
それはいったい誰にとっての善なのか?
というシンプルな問いかけが常に必要だ。
この世の多くは、
その当事者以外にとっての作られた「善」になっていることが多く、
その反対が「悪」・・・
特に、歴史を紐解けば、
国はこの「善」を何度も強要し、悪用し、
民を欺いてきた・・・
戦争の時は、多く殺した方が善で
「勲章」までいただいていた。
学校に行くのは「善」で
行けなくなることは「悪」だった。
また、一日、8時から15時まで
きちんと座っていることが「善」だし、
落ち着きなく座っているのが「悪」だ。
これは今も残っている・・・
まだまだある・・・
意味のない宿題を体裁よく整えて出すことが「善」だし
出さなければ「悪」だ。
入りたくなくても
部活を3年間することは「善」だし
途中でやめることは「悪」だ。
通知表という脅しで親にも子供たちにも
我慢比べを強いて はや数十年は経つ・・・
こんなことを続けているのに
独創的で
個性豊かで
明るき元気に生きて欲しいと
学校関係者は言う・・・
それは無理でしょう・・・
少なくとも一部の人間にとっては
地獄でしかない・・・
最近、本当に思う・・・
子どもたちに育ってほしい素地は、
「善悪」のカードを自分仕様にすること、
そして、もう一つ大切な力がある・・・
それは、その「善」を通していく勇気・・・
自分にとっての「善」はときに
この世の荒波を航海するような辛さがある・・・
そんなときでさえ、
自分仕様の「善」を卑屈に引っ込めない
「勇気」という太陽を育てて欲しい・・・
「それでいいんだよ」
わたしは、せめて追い風を と
この言葉を言うときが多いようだ・・・
theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
tag : 善悪