樹下石上 113・・・民の暮らし邪魔をする政治
それが民の窮屈さになっている・・・そう書いた。
➡町名主の緩やかさ ~宙結び随想~
あれから三年・・・
不正が正されないまま、
この国は悲惨なまでに荒らされている・・・
TPP11
それに準ずる2国間自由貿易協定
内閣人事局人事権
リニアへの国庫支出
防衛費の増大
集団的自衛権
水道民営化
種子法廃止
消費増税
大企業優遇
逆累進課税
・・・
官尊民卑・・・
あげればきりがない。
簡単に言ってしまえば、
わたしたちの生活といのちが削られた3年だった。
そして、今のままなら
それはこれからも続くだろう・・・
またまた、十二国記話で恐縮だが、
悲しいかな、今の日本には、すでに手遅れの名言がある。

王に即位した陽子は、靖共らが牛耳る王宮を離れ、
瑛州の遠甫の下で遊学していた。
飢えたことのない蓬莱(日本)出身の陽子には、
この世界の飢え、貧困に対する認識が乏しかったため
遠甫※に教えを請いに行ったのだ。
※慶国きっての明君といわれた達王に請われて
仕えたとされる伝説の松伯(しょうはく)※。
※松伯(しょうはく)・・・位名
十二国記(慶国)では、
人は、成人すると百歩四方を与えられていた。(給田)
つまり、十分な生活が営める土地と家を
国からもらうことができるのだ。
そこで、王である陽子は尋ねる・・・
「私は土地を与えて、何をすれば……?」
遠甫はこたえる・・・
「日照りに備えて水を蓄える。水害に備えて川を整備する。
飢饉に備えて備蓄する。妖魔に備えて兵を揃えておく、
何を悩むことがある」
「国を豊かにしてやろうなど考えるのは後でいい。
まず、国を荒らさぬこと。自らを律し、
少しでも長生きすること。これだけを考えればいい」
西日本の民より宴会を優先した為政者・・・
千葉の民より内閣改造を優先する内閣閣僚・・・
いまだ、人工災害の因を究明するどころか
わざと放置しているかのような政府・・・
わたしたちの国・・・いや
世界中のほとんどの先進国が、
この遠甫のいう「あたりまえ」と真反対の政治をやっている・・・
育つ前に取り上げ・・・
与える前に奪う・・・
そして、奪われた民を「棄民」のままにする・・・
これが、いま先進国と言われる国がやっている政策だ。
為政者がすすめる豊かさと、
わたしたちが願う豊かさが
これほどまでに乖離した時代も今までなかろう。
偏り、歪み、正されない・・・
陽子が自分の故郷蓬莱(日本)を振り返ってこう言う。
「私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、
良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。
たくさんのことがひずんでいた」
いま、いのちを売り渡すこの国の衰退は、
太古を舞台にしたこの小説にすでに顕れ、
政策は、とうに劣っている。
「毎日の暮らしを犠牲にして
守って戦うものなど何もなかった。
毎日の暮らしこそ守るべきものだった。
人間の暮らしは、何ものにも優先して
一番大事なものなんだ」
―とと姉ちゃん、花森安治役の唐沢さんのセリフ―
この国の為政者に尋ねざるを得ない・・・
どちらを向いて政治をしているのですか?と
そして、あなた方にこの言葉を送ります。
「天下は仁道をもってこれを治むべし。
民を虐げてはならぬ、戦乱を嗜んではならぬ、
税を重くし、令を重くしてはならぬ。
民を贄にしてはならぬ、民を売り買いしてはならぬ、
公地を貯えてはならぬ、それを許してはならぬ、
道を修め、徳を重ねよ。万民の安康をもって国家の幸福とせよ。……」
・・・十二国記 太網・・・
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genre : 心と身体
樹下石上 112・・・自分を治める心
人間ってのはそこから抜け出すために
必死になるんだよ。
それをする気になれないってことはさ、
ねえちゃん、実は 抜け出したいと思うほど苦しくなかったんだよ。」
「抜け出さなかったのは、姉ちゃんは
不幸に気持ちよく浸ってただけじゃないのか。
そんなやつにどうして同情してくれるのさ。」
昨日の十二国記には本当に名台詞が多い。
上記は、「清秀」という少年のセリフです。

父を妖魔に殺され、母を病気で亡くし、自身も失明し、
最後は、昇紘(しょうこう)とい酷吏の馬車に
ひき殺される悲運の少年・・・
その少年が、自身の不幸自慢をする「鈴」に怒り、
不幸の平等性を説いた時のセリフです。
「誰かが誰かより辛いなんて、うそだ。
誰だって同じくらい辛いんだ。
生きることが辛くないやつがいたら
お目にかかってみたいよ、おれは・・・」
相談行をしていると
時々この鈴タイプの方に出会います。
自分の不幸の種はたくさん数えるのに
おかげさまの種は、気づくことさえできないタイプの方です。
また、「~のせいで」が実に多いタイプです。
そういう方が来られると
「はてはて、どこから取り掛かろうか」(笑)となります。
この鈴のように、清秀から言われて
気が付くような方ならいいですが、
たいていの方は長くかかります。
人は居たいところにいて
やりたいことをやっている・・・
それが仮に、傍から見たら、
わざわざ何でそんな苦しいところにいるんだろうと
思えるようなところでもです。
喜の快もあれば、
悲の快もあるので厄介です。
人の快・不快は、そう単純ではないのです。
また、悩み事相談を受けていると
「本当に聞きたいのはそれじゃないな・・・」と思えることもあります。
核心がずれているのです。
ご本人さんは、気が付いているのかどうかわかりませんが、
表向き話される内容と
真に向き合うべき内容がずれている方がいるのです。
例えば、旦那と折り合いが悪く、
そのことを相談される女性が、
実は、結婚そのものの動機が
ご自身の心に素直でなかった場合があります。
「一人でいるのが嫌だった」「早く会社を辞めたかった」と
打算的だったことが根本理由であることもあります。
これは、旦那自身の問題ではなく、自分の現状を
自分で何とか打破しようと動かなかった心の問題です。
そしてそれが、ずっと続いている・・・
たしかに、時に逃げることも大切です。
でも、逃げてはいけないときもあることも事実です。
その境目は実に難しい・・・
もちろんこれは、社会的な問題も抱えているため
個人一人だけの問題ではないのですが
最低限、「自分を治めるのは自分」という
そんな「自負」を持っているかどうかの問題です。
人の心は、風船のように
時に上がったり
時に沈んだり
時にフラフラさまよったり・・・
人に不機嫌をまき散らかす八つ当たりも
人を自分と一緒に落ち込ませようとする暗重さも、
すべて、「自分を治める」という心を育てなかった
怠心からくる災いなのです。
そして、大変逆説的ですが、
ひとり、一生懸命その心を育てようとしている人には、
見える存在、見えない存在にかかわらず、
必ず応援者が来るのがこの世の不思議です。
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genre : 心と身体
樹下石上 111・・・こうべを上げよ
非常に感動した場面があった。
この章は、どこにでもいる普通の女子高生だった中嶋陽子が
慶という国の王になっていくファンタジーだ。

初めて王として初勅※を出す場面は
まさにいまの日本への初勅と言っていい。
※初勅:
これから王がどんな国を作ってゆくか、
どう国を導いてゆくかを端的に現す法律。
王直々に宣下する。
長いがここに文字越ししてみる。
「他者に頭を下げさせて
それで己の地位を確認しなければ
安心できない者のことなど
私は知らない。
それよりも、人に頭を下げる度に
壊れていくものの方が問題だと
私は思う。
人は、真実に相手に感謝し
心から尊敬の念を感じたときには
自然に頭が下がるものだ。
他者に対しては
礼をもって接する。
そんなことは当たり前だし、
するもしないも
本人の品性の問題で
それ以上のことではないだろうと
いっているんだ。
私は、慶の民に
誰でも王になってもらいたい。
地位をもって礼を強要し、
他者を踏みにじることになれた者の末路は
昇紘、呀峰(悪王)を例に見るまでもなく
明らかだろう。
そしてまた、踏みにじられることを
受け入れた人々がたどる道も...
人は誰の奴隷でもない。
そんなことのために生まれるのじゃない。
他者に虐げられても
屈することのない心...
最悪に襲われて
くじけることのない心...
不正があれば正すことを恐れず、
けだものに媚びず...
私は慶の民に
そんな不羈(ふき)の民になってほしい。
己という領土を治める
唯一無二の君主に...
そのためにまず、他者の前で
毅然と頭を上げることからはじめてほしい。」
接待で骨抜きにされ、
真実を伝えないマスコミ...
内閣に人事と金を握られ
我が身かわいさに忖度を続ける官僚と政治家...
自分一人では、なにもできないし、
変えられないと下を向く民...
陽子の初勅は「伏礼を廃す」...
私たちは、自他共に
いつの間にか歪んだ伏礼を当たり前とあきらめ、
見て見ぬふりをしてきたのではないか...
毅然と頭を上げることから・・・
さあ、今日も元気に行こうではありませんか・・・
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