令和buzz209・・・親の成長が先
例えば、親御さんの心配や苛立ちをよそに、
ゲームばかりする子・・・
全く勉強しない子・・・
そんなとき、冷静に・・・
「このままだとどうなると思う?」
そう語り掛けたいところです・・・
しかし、
親子関係において、
この言葉には、二種類の意味があると思います。
このままだったら
あなたは大変なことになるという
脅しのニュアンスと、
純粋にこのままだったら
あなたがどうなるか考えて分析してごらん
というニュアンス・・・
この2種類です。
どちらのニュアンスになるかは、
それまでの叱りの質にかかっています。
これまでの長年の叱りの質が、
すでに親子関係を決めていますので、
それがまずい場合、
前者になることが多いです。
つまり、
親御さんは、日頃の子供の勉強のしなさすぎのために、
すでに、怒りの感情が込み上げていますので、
子供は、守りに入り、プイと横を向くか、
扉をバタンと閉めて、どこかにいってしまうことでしょう・・・
到底、親子で「考える」なんて言う状況にはなりません。
では、どうすればいいのか?
それは、人生の課題にたいしては、
大人も子供も対等であると言う事実を知ることです。
特に勉強に関して、
親御さんが考えがちですが、
子供の悩みを
自分の悩みより下だと決めつけたり、
自業自得だとか、幼稚だと思わないことです。
実は、勉強もせずに、
ゲームばかりしている子にも、
ふとした拍子に
「このままで大丈夫だろうか?」
「自分はうまくいくだろうか?」
そういう悩みがあると言うことを理解することです。
遊んでいるんだから、
そんな悩みは甘い、自業自得だ!
そう思われている親御さんも多いでしょう・・・
もちろん子どもの勉強に関する問題は
子ども自身で取り組まねばなりません・・・が
少し違います。
では、こう考えてください・・・
TVばかり見ているんだから、
晩酌をしてばかりいるのだから、
お父さん、お母さんの仕事や人間関係の悩みは、
自業自得だ!甘い!
そういわれて、素直に「なるほど❗」と言えるでしょうか・・・
それとこれとは別だ、と言いたくありませんか?
ましてや、大人と子供は違う!
大人はお金を稼いでいるんだから当たり前だ!
はい・・・💧⤵
そう言った瞬間、親子関係は、THE END・・・
全く別の資本主義親子(資本家VS労働者)
もしくは、お金を介した主従関係へと変貌します。
どう考えても、年齢的に、制度的に
お金を稼げない子供に向かってそう言うことは
とても卑怯な行為と言ってもいいでしょう・・・
だから、子どもはこう来ます・・・
「好きで生まれたわけじゃない!」
「産んでくれって頼んでない!」
つまり、THE ENDということです。
今の親御さんの中で、
自分が子供時代、そう育ったことで、
当然のように、ご自身の子供にも
同じようになさる方を多く見てきました。
そして、こういう関係で、
親子関係がよくなったご家庭を私は知りません。
子供と真剣に、よりよい関係を築きたいのであれば、
親御さん自身が悩みを相談するに値する人格に成長することです。
子供であっても、相手を尊する立ち居振舞いで
日頃からすることです。
そうすれば、いざとなった時
親御さんの言うことを
子供は自然に聞くものです。
子供さんの成長は、親御さんの成長と
比例関係にあることを是非知っておいてください。
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夏、小暑のころ①・・・なんで勉強しなきゃいけないの?
毎日毎日しなければいけないと思う?」
実は「しなければいけない」ということはないのだが
日頃の彼らの言葉を使えばそうなるのであえて使った。
人は、嫌なことをしているだけなら
からだが空洞になったりしない。
どんなに好きなこと、好きな仕事に就いたって
つらいこと、いやだなと思うことは起こる。
「好きなことだけをしていなさい」と
似非スピリチュアリストはおっしゃるが
その好きなことをしている似非スピリチュアリストの陰で
いやな仕事を一手に引き受ける
事務方がいたりするものだ。
もう一度言う。
人は、嫌なことをしているだけなら
からだが空洞になったりしない。
嫌なことをしているうえに
自分の存在が誰にも認められなかったり
自分の努力が誰の目にも止まらなかったり
そんな努力大したことがない、
もっとしなさいと言われた時に
虚しさを覚え、虚脱感が起こり始めるのだ。
先日、新幹線で男性がなたを振り回し、
人を死なせ、大けがをさせる悲惨な事件が発生した。
わたしは、ああいう事件が起きるたびに
けっして他人ごとには思えない感情を持つ。
自分も町の一角で
ちいさいながらも教育に携わる仕事をしている。
だから、いまの自分の教育が
彼、彼らの5年後10年後にどういう影響を及ぼすのか・・・
そう考え、日ごろの自分を振り返る癖がついている。
「これからいろいろあるけれど、なんとかなるよ」
そう伝えるためにこの仕事をやっているに等しい。
わたしは、進路を決める彼らに
「あなたが呼ばれているところがあるよ」
といっている。
長いこと受験指導していると
受験とはつまるところ「そういうこと」だとわかってくる。
仮に偏差値が高くて、高い高校大学に行っても
「水」があっていなければ、苦しく、時に不登校になる。
県内屈指の進学校に行った卒業生で
不登校になった生徒を私は3人を受け持っている。
彼らがわたしに教えてくれたのは
自分を認めてくれる「水」の大切さと
人生どこからでもやり直しがきくということだ。
たらればだが、新幹線の若者も
出会う大人が口々にそう楽天的に伝えていたら
もっと変わった人生になったのでは・・・
そう思えるのだ。
「なんで勉強しなければいけないの?」
と定期的に問いかけるのは、
「勉強ができなくてもなんとかなる」ということを伝えたいからだ。
大人が、「お金」がいちばんになっていけないように
子どもも、自分の存在を証明する
唯一一番の要素が「勉強」になってはいけないからだ。
つづく・・・
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夏、夏至のころ⑯・・・なんで勉強しなきゃいけないの?
梅雨も後半になって
毎日が随分と蒸し暑い。
今日も80年前の人の涙が降っている。
➡いま泣いた涙は・・・
さて、今日は先日の塾でのお話・・・
うちの塾は、学年もやっている内容も
それぞれ自分のペース・・・
だから、めったにホワイトボードを使って
一斉に授業をしたりしない。
しかし、その日は、
ある生徒の表情が気になり
ひとつの問いを
子供たちに投げかけた・・・
その生徒が、あまりにも元気がなく
どこか意識もうろう、心ここにあらずで
勉強に取り組み始めたからだ。
けっしてからだの病気ではない。
心の焦点があっていないのだ。
子どもが塾に入ってくるなり
勉強とは全く別の話・・・
例えば、好きなアーティストの話や
気に入らない先生の話や
楽しみにしている七夕や祭りの話など・・・
そういった話から入ってくるときは
まず大丈夫・・・。
しかし正体不明の心の脱力感がある場合は
少し注意が必要だ・・・。
今回、気になった生徒の目は
何のために勉強をするのか・・・
いや、そのもっと奥・・・
自分の存在そのものへの不安定さが垣間見れた。
キャパ以上に勉強をやらされ始めた時に多い目の表情だ。
「嫌だ!」
そうはっきりと拒絶を表す
生命力あふれる目であれば何の心配もない。
それは、「やる!」と同じエネルギーだからだ。
わたしが日々子供たちの様子に気を配るのは
成績ではなく、まさにそのエネルギーだけと言ってもいい。
人は、能動(やるぞ!)も反抗(いやだ!)もできなくなると
淀んだ沼のようなエリアでフリーズする。
やがて、従順とあきらめが入り混じる目になる。
それは、力ない敗北感、なげやり感に変わり
みずからの存在の力を失わせる。
眸の奥にあったかすかな抵抗の光が
さらにずっとずっと奥にしまい込まれ
どんよりとした薄い膜が眸を覆う。
その時、人は空洞になる。
それは、イエロー信号だ。
そうならないように
その日 玄関を入ってくる
子供たちのエネルギーをみている。
からだの疲れは寝れば治る。
こころの疲れは、早い時期に声をひろい、
何が起きているのか下りていかねばならない。
「元気なさそうだけど、どうした?」
そう声をかけることが多い。
さて、偶然そこにいたメンバーは、
高1、中3、中2、中1という構成。
「君たちは何でこんないやな勉強を
毎日毎日しなければいけないと思う?
みんな、考えてみてみ・・・」
根が深くなりそうだと判断したわたしは
穏やかだが力強い声で問いかけた。
この問いは、彼ら彼女たちの心の奥と
日頃、大人たちに何を言われ勉強してきた(させられて)のかが
わかる大切な問いだ。
つづく・・・
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