ウン〇の色形を見るように、劣等感を見つめる
不幸の方を選ぶ」
先日、マドモアゼル愛さんが動画でお話されていました。
人は不安の渦中にいたくないのです。
不安とはある意味 劣等感との戦い・・・
その戦いに向き合いたくないのです。
だから手っ取り早く
ダメ男
ダメ女
ダメ友人、
時に、病という「不幸」に落ち着こうとしてしまう。
今のコロナ禍など
まさにこれではないかと思います。
しかし、この戦い・・・
実は、勝敗を決める
A(自分) VS B(劣等感)
ではないのです。
A の一部が B なのです。
つまり、もともと別のものではないのです。
別物と思うから、戦いになるのです。
毎日出す、ウン〇に
いちいち戦いを挑む人はいないでしょう・・・
それと同じように、
もともと身体の中の一部で
たまたま外に出てきて、別物の顔をして
醜く見えるものにすぎないのです。
ウン〇の色形は
自分の健康状態のバロメーターとして見つめるように
劣等感もそうやって見つめればいいのです。
身体の中にある時は
汚いと思っていないのに
身体の外に出た瞬間
汚いものと忌み嫌う・・・
劣等感とはそういったものです。
では、身体の中にあるものも
身体の外に出たものも
どうしたら同じに感じることができるのか・・・
それは、「問い」を変えることです。
悩み事相談の方のほとんどが
「どうしたら○○できますか?」
というパターンが圧倒的に多い。
つまり、プラスを得ようと思案する相談です・・・
しかし、これは
一見プラスを見ている相談に見えるが、
まさに、劣等感に縛られているご相談です。
劣等感から自由になっていない相談なのです。
つまり、心の奥底の劣等感を
見て見ぬふりをしている相談なのです。
この「○○」で自分の劣等感を埋めようとしているのだ。
だから、女性の場合
○○に恋人とか、結婚とかの文字が入りやすいのだ。
私は、逆にこう問いたい・・・
○○を得るリスクと
○○を得ないリスク・・・
「どちらのリスクが許容できますか?」
人生、迷ったらこちらの問いの方が
問題解決の近道のような気がいたします。
こうすることで
本当にこの○○が必要なものなのかを
知ることもできます。
「結婚できますか?」の問いをする前に、
是非問うてもらいたい・・・
「結婚をするリスクと、結婚をしないリスクと どちらが許せますか?」
他にも、
「この男性と付き合い続けるリスクと、 別れるリスク、どちらが許せますか?」
「この会社に居続けるリスクと、やめるリスク、どちらが許せますか?」
私事で恐縮ですが、
考えてみれば、
私のこれまでの選択は、
どちらがいいのか?というよりは、
どちらのリスクなら許せるか?
だったと思う。
一見プラスを得るために悩んでいるように見えて
どちらのマイナスを許容できるかで決めてきた気がする。
学校・会社を辞める時などまさにそうだった。
そこに居続けるリスクと
学校・会社を辞めるリスクとを、比べた結果
自分が自分でいられなくなるリスク(学校・会社に居続けること)の方が
許せないと思って辞めた・・・
実は、このプラスのことばかり考えて選択に悩む人は
まさに冒頭の
「人は、不安ではなく、不幸の方を選ぶ」
典型的なパターンなのだ。
結果、さらに劣等感がたまりやすい体質になっていく。
私は
「自分が自分でなくなる不幸を選びたくない、
めちゃくちゃ怖いし不安だが、そちらを選ぼう」
と選択してきたように思う。
わたしが特別強い人間だとは思わない。
ただ、人生必ずリスクが伴う。
ならば、どちらのリスクが許せるのか?
そう考えた方が、劣等感とうまく付き合う人生になるような気がする。
「人は、不安ではなく、不幸の方を選ぶ」
こういう人は、
プラス(得たもので劣等感を埋める)と引き換えに
自分を捨ててきているのだから
かえって劣等感がたまり
不幸になっていくのも無理はない。
私たちには、いつも
二つの道があります。
①自分の劣等感(不安)を認めて
人生を歩む決心をすること
②自分の劣等感(不安)を運良く誰かに埋めてもらい
そのまま一生イケると信じて人生を歩むこと
①と②
どちらもリスクは伴います。
あなたは、どちらのリスクを許容できますか?
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tag : 劣等感
劣等感はエサになる
ちょっと荒れた言葉遣いになりますが
ご容赦を・・・
長年、悩み事相談にあずかっていると
わかってくることがあります。
それは、「劣等感はエサになる」ということです。
変な魚を釣り上げてしまうエサです。
どういうことか?
悩み事相談に見える方の中に
いつまでたっても「悩み」から抜け出れない人がいます。
例えば、異性問題・・・
ダメな男をつかまえて(つかまえられて)
ボロボロになったので別れる・・・
でもしばらくすると、
また同じような男性と付き合っている・・・
わたしなど、これはきっと趣味であり、
嗜好の問題だなと苦笑いしますが、
本人はいたって真面目に相談に来られます。
バカな男につかまって
バカな時間をつかって
バカみたいに疲れ果てて別れる・・・
これの繰り返し・・・
なぜそんなことが起きるのか?
それは劣等感です。
劣等感とは、
他人と比べて自分が劣っているという感情です。
この劣等感は、
できない自分への情けなさや恨みの感情も伴います。
時に、嫉妬や、被害者というエネルギーバンパイアになって
消化しようとする人もいます。
SNSではこういう人をよく見かけます。
しかし、これらの手法を選ばない人は、
別の手段を考えます。
それは、
異性によって
この劣等感を埋めてもらおうとすることです。
(この「異性」の箇所は、
時に「子供」「孫」「親」「旦那」「奥さん」など
別の言葉になることもあります。)
自分の劣等感を
他の誰かに埋めてもらう・・・
ここからすべての不幸が始まります。
特に、女性の場合でお話ししましょう・・・
経済的に不安➡結婚
一生一人は寂しい➡付き合う、結婚
仕事がつらい➡結婚
適齢期だから➡結婚
これをすべて悪いとは言いません。
しかし、問題は
無意識に自分の劣等感を埋め合わせようとして
その劣等感がエサとなって異性が近づいてきたとき、
それは、恋愛ではなく
交換条件の互いのプラスマイナスがゼロになる
契約が結ばれたにすぎないのです。
いや、本当に厳密な「契約」なら
裏切れば、違約金が発生しますが、
契約もどきですからいくらでも
予定不調和が起きます。
相手は、どんなに好きでも他者です。
他者は、自分がコントロールできる領域ではありません。
それなのに、この契約もどきによって期待をしてしまう。
これで自分の劣等感を見ないで済む・・・
あの人に埋めてもらえる・・・
そう錯覚するのです。
しかしその期待は、十中八九外される・・・
なぜなら、劣等感は自分担当の問題で
他者担当ではないからです。
そして、相手もそのエサである劣等感を利用したわけですから、
大体子供さんが授かったあたりに、契約内容に破綻を迎えます。
これは、お互いが支え合ってという
本来の共生ではないので
必ず互いの劣等感で嫌になります。
劣等感で集まったのに
劣等感で嫌になる・・・
これはある意味当たり前です。
なぜなら本来、
劣等感とは自分で見つめるしかないからです。
これがダメ、
あれがダメという劣等感を自分で見つめ、
長年、ちゃんと自分で苦しんだ人は
ある時ふっと、こう思います。
「自分はこれでいいんだ」と。
ダメなところ
足りないところ
そんな自分でいい。
これが自分なんだと開き直り強くなれます。
それを、自然体というのです。
よく「個性よねー(キャピキャピ)」と言っている人は
全く分かっていませんのでご注意を・・・
個性などと声高に言わなくていいものが
本物の個性であり自然体です。
その自然体である自分は
きっと誰に会っても無理をしないので上手くいくし、
また変な人も引き寄せません。
変な人というのは
エネルギーを奪う人です。
エネルギーを奪おうと虎視眈々と狙っている人は
その人自体が劣等感の塊で
その劣等感を誰かから奪ったエネルギーで
埋めようとしていますので
劣等感のエサには敏感です。
こうやって、劣等感の負の連鎖は
いつまでも続いていくのです。
劣等感のお話・・・
明日はちょっと角度を変えてお話いたしましょう。
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令和buzz252・・・劣等感、優越感の正体
自分だけでなく、
人だけでなく、
自分が店を始めた日時、
宙結びを始めた日時、
そんな一大決心をした日と自分を比べています。
まず、今日は普通の太陽の星座のお話・・・
占星術をされていらっしゃる方からすると
当たり前のことですので
超初心者が嬉々と楽しんでる風景として
あしらっていただければ幸いです。
星座には、それぞれキーワードがあるようです。
こちら・・・
①
牡羊座 - 「I am(私は私)」
牡牛座 - 「I have(私は所有する)」
双子座 - 「I think(私は考える)」
蟹座 - 「I feel(私は感じる)」
②
獅子座 - 「I will(私は志す)」
乙女座 - 「I analyze(私は分析する)」
天秤座 - 「I balance(私は均衡する)」
蠍座 - 「I desire(私は欲する)」
③
射手座 - 「I understand(私は理解する)」
山羊座 - 「I use(私は使役する)」
水瓶座 - 「I know(私は知っている)」
魚座 - 「I believe(私は信じる)」
4つずつ区切ったのは、
①自分と自分
②自分と他者
③自分と社会
そういうエリアであるようです・・・
シュタイナーの神秘学から来ているようです。
(ここでもシュタイナーが出てくるとは驚きです。)
ということは、月星座でいえば、
これらができないということになります・・・
本当の月の姿は、私たちに死をもたらし、
私たちが持つエネルギーを根こそぎ奪う星だそうです。
(マドモアゼル・愛さん)
無理なものは無理・・・なのですから
月による騙しに気をつけなければなりません(笑)
ですから、まずはできなくていいんだという開き直りを得る・・・
そして、追い求めない・・・放っておく・・・離れておく・・・
私事で恐縮でしたが、
昨日自分自身を分析したように、
➡月の壮大な仕掛け
みなさんもご自身のふがいなさ(劣等感)の正体
得たのに何かざわつく心の正体(優越感)を
暴くことができるかもしれません。
月は私たちに、
劣等感と優越感の針を激しく振らせることで
人生の大半のエネルギーを奪っていくのです。
無いものを追いかけさせる(劣等感)・・・
人より多く満たされたと錯覚させる(優越感)・・・
これはすべて、月の罠です。
求めなければ、別の角度から、知らぬうちに、
自然に融合し、不足感は消え去っていくのです
埋め合わせようと無駄な努力をしない・・・
欠損を笑い飛ばす・・・
そこが重要のようです・・・
みなさんも分析してみてください。
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十年、をちこち・・・64
たとえ、お世辞を言うことはできても
思うことは、決してできないのです。
もっとできないことがあります。
それは
自分以外の自分にはなれないことです。
「自分」とは「存在」のことです。
「思う」とは、
「存在」が一種のかたちになったものです。
そして、その思いを何十回、何百回、何千回、何万回
繰り返していくと、思いは凝り固まり
決してそこから抜け出ようとしなくなります。
そのほうが 安全で快適だからです。
時には、安全快適を守るためなら、
人をけなし、責め、傷つけようとする人もいます。
時には、自分でさえも責め、傷つけます。
それは歪んだ安全快適です。
前者は、優越感、
後者は、劣等感です。
どちらも歪んだ安全快適です。
相談行(菩薩行)は、そういうかたの
固まった思考を柔らかくほどくことができれば大成功です。
ほどくのも、わたしではありません。
ほどける「時」の力を借りて、ご自身がほどきます。
ほどくだけで、あとは放っておけばいいのです。
それを、「気づき」といいます。
本来の気づきは、融解(ほどき)をもたらします。
そして、
ほどいた糸は、まったく違う、真新しい布
を織り始めます。
これぞ「美」を目の当たりにする瞬間です。
なぜか・・・それは、
まぎれもなくその方の「いのち」(直霊)だからです。
年齢は関係ありません。
大人も子供も持ち合わせる「美」です。
ご本人も、古い凝り固まっていた思考を無理に捨てる必要はないのです。
(もちろん、捨ててもいいですが)
ほどいて、みつめて、ごくろうさまと労わればいいのです。
今まで頑張ってきた自分にありがとうです。
無理に捨てようとすると
今度は「後悔」という負のエネルギーが襲います。
大変厄介なのが・・・
その隙間に、セラピストがほどけたその人の糸で意図(糸)的に
本人に無断で、勝手に布を織り始めることを洗脳というのです。
相談行(菩薩行)をしていると、
無理やり「きらきらわくわく」に洗脳された人たちが多く来ます。
純粋に不思議でした。
なぜ、この人たちは、そうなってしまうのか?
なぜ、自分の足で歩こうとしないのか?
なぜ、自分の布を織ろうとしないのか?
いったい どうしたらこのような
空虚な「きらきらわくわく」の目になるのか?
「洗脳」の現場とはどういうところなのか?
見ていないものは判断できません。
それを知りたくなったわたしは、
現場を見てみようと思いました。
いやがるpiyoさんを無理やりに誘い(笑)
ある会場へ足を運びました。
ミイラ取りがミイラにならないように・・・(笑)
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体