誰のための教育か?
この言葉たちに現れています(笑)
— 内海聡の内海塾 (@utsumijuku) March 27, 2022
TVや新聞ばかり見ていると、
こういった言葉が刷り込まれるわけです。
しかし、時々新聞も役立ちます。

大昔、愛知で2年ほど
臨時採用で教員をしていたことがありましたので
愛知の様子はなんとなく知っていましたが、
それにしても、
わが県三重の合格判定は、他県と比べて
あまりに偏りすぎているのがわかってしまいました。
何に偏りすぎているのか?
それは、公立高校合否判定時の
内申書基準(依存)率が
100%・・・
まずは内申から並べられるのです。
他の県では、そこまで内申を重視していないのです。
ふつう、
受験に向けて中一から
内申を気にする生徒はあまりいません。
大抵は途中から頑張ってくるものです。
➡三重県立高校入試用調査書
➡【三重県】県立高校入試での内申点の計算の仕方
テストの点数を上げることで
自分の内申の低さをカバーできるシステムの方が
子どもたちには希望が持てます。
そういう意味で
内申ではなく当日の点数を
一定率優先しなければ、
フェアーでない感じがします。
これでは子供たちは、
三年間内申を人質に取られ
自由に(?)先生に反旗を翻せません。
もちろん保護者は言わずもがなです。
内申100%重視というのは、
先生の基準に従えと言っているようなものです。
この偏りは、この近辺の県と比較すると
かなり異様だということがわかります。
だいたい、内申など
先生の主観が入らないわけがありません。
おとなしい生徒の内申は上がりにくく
目立つ生徒は内申が上がります。
点数合計が50点以上も上がったのに
内申が1つも上がらなかったおとなしい生徒もいます。
そういった子供たちの不満と遠慮は
日常的にもう何十年も聞いています。
さて、実話です。
公民のテストのお話です。
Q:話し合っても意見の一致が見られないとき
多数決の原理を取るのが一般的だが、
その際気を付けた方がいいことは何でしょう?(記述)
うちの生徒が答えた解答・・・
「少数意見も尊重すること」
なんと!これが✖だったのです。
部分点なく0点です。
ありえません。
教科書にも書いている文言です。
その生徒はそのことを根拠に
一度は抗議に行ったそうですが、
先生の回答がこれまたおかしい・・・
「尊重という言葉は
それを優先するということだから違う!・・・」
は!?
尊重に、「優先」という意味合いはありません。
※価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。
何よりも、教科書に書いてある・・・
その先生の論理では、
「人権の尊重」=「人権の優先」と言っているようなもので
どこかピントがずれています。
ちなみにその先生は
外国暮らしが長い方だそうです。
(生徒談)
日ごろから言葉遣いが少しおかしかったそうです・・・
はい、
これを、先生の主観・偏見と言わずしてなんというのでしょう。
せめて、辞書を引いてほしかったです。
結局その生徒は、もうめんどくさくなってしまって
2度目の抗議はあきらめました。
ちなみにその先生は次のテストから、
「解答は教科書通りに書かないと✖」という
採点基準にしました。
わかってらっしゃるんですね、ご自分のミスを・・・
さらにおかしなことに、
他の生徒が他の先生のところに抗議に行くと
すぐに〇になる・・・
先生間の統一見解・基準が話し合われていない証拠です。
もう、先生ガチャ状態です。
これが、
先生主体で内申書を付け、
それが高校の合否判定の第一要因になってしまう弊害です。
私は三重県でこの仕事が長いですから、
こういったことは上げればきりがない話です。
先生が天下となってしまう教育現場・・・
そういえばこんな先生もいました。
これはこの中学では一番長いから偉いんだ!
と宣った先生もいました。
こんな先生を苦々しくは思えども、
十代の子どもたちがあらがう術を持ち合わせることは困難です。
県会議員の皆さん、
県教育委員会の皆さん、
どうが学校見学で
建前だらけの行儀のよい授業時の先生ばかり見ないで
生徒の生の意見を本気で聞いてみてください。
これからの時代、
媚びるだけの子どもを作って何になるのでしょうか?
わが県の場合、
長年この慣習が続いていますので
ひっぺはがすにはかなりの労力がいりますが、
まずは合否判定で内申のウェイトを下げてください。
よろしくお願いいたします。
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theme : 教育問題について考える
genre : 学校・教育
冬、大雪のころ⑩・・・人は誰でも発達障害
「わたしが見えているものが、彼らには見えていず
彼らが見えているものはわたしが見えていない・・・
わたしが聞こえているものが、彼らには聞こえていず
彼らが聞こえているものはわたしが聞こえていない・・・」
これはなにも、発達障害の場合に限らない・・・
親子関係・・・
夫婦関係・・・
友人関係・・・
会社の上司と部下・・・
先生と生徒・・・
人間関係のあらゆる場面で起きうることだ。
つまり私たちはいつもどこか「発達障害」なのだ。
わかってもらえない・・・
だから、わだかまり・・・
決して、笑えない・・・
こういった3Wの世界は油断をすれば
すぐに自分の隣にやってくる。
受験期真っただ中の先生と生徒にも
よくこの3Wは発生する。
その生徒は、書道8段の腕前だ。
すごい!なかなかできるものではない・・・
それを内申の資格欄に書こうと先生に報告すると
「8段は8段でも大した8段でないときもあるから、
何でも書けると思うなよ・・・」と一方的に言い放たれた。
いつも騒がしく、書道という感じの生徒だから
きっと先生は、またいい加減なことを言っているなと思ったのかもしれない・・・
しかし、人には案外、「意外な事実」があるのを忘れてはいけない。
小学3.4年から中学3年まで
塾やクラブ・部活がしんどくても通い続けた書道を
バカにされたと思った生徒は反論する・・・
すると先生は、またまた悪しき決め台詞を言う・・・
「お前、やかましいなぁー、もう前期の推薦を通してやらんぞ!」
こういう恫喝・恐喝を言う先生の存在を
皆さんはあまり信じられないと思うでしょうが
残念なことに事実だ。
しかも、わりとベテランの先生に多い。
実はこういう脅しを受けた生徒を私は何人か知っている・・・
しかも、数人ではない・・・
ほぼ毎年、生徒から一人は聞くから
おそらく、ちょっとやんちゃで言ううことを聞かない生徒への
先生たちの常套文句かと思う。
「すごいやんか!」とか
「8段て、何年やってきたんや、すごいな」が
なぜ、いの一番に出ないのであろう・・・
生徒にしてみれば
わかってもらえない・・・
だから、わだかまりができ・・・
最後の脅しは、まったく笑えない・・・
なぜ、資格の効力以前に、その生徒が積み上げてきた時間のすごさや
それを認めてほしいと願う人の心を理解しようとしないのか・・・
内申に書ける資格なのかどうか云々は
一度賞状(認定証)を確認してからでも遅くないではないか・・・
「すごいな!何年やってきたん?
たぶん内申に書けると思うから一度賞状(認定証)を持ってきてくれる?
書道教室の資格もいろいろあるから先生も確認するわ・・・」
こういう言い方だってできたはずだ。
言葉一つで、受け止め方は全く違ってくる・・・
内申にとって価値がある云々の前に
まずは、その生徒のこれまでの人生での頑張りを
認めたり誉めたりするのが教育だ。
これは、生徒が価値あると思っていることを
先生(内申)には価値はないと言い放つ無神経さが生み出すわだかまりである。
その生徒は言う・・・
「どうせあの先生は、内申さえ出せば
私がへこへこすると思ってるんやに・・・
意地でももてったるわ(笑)」
完全にこころを読まれている・・・(笑)
毎年この時期になると、全国でこの内申絡みの悲惨な事件が起きる。
ひどい時は、生徒を自殺にまで追い込むことがある。
前述の先生は言ったらしい・・・
「先生も疲れているんや・・・」
それはわかる・・・
今の先生たちの多忙さを解決しない限り
この学校現場でのほとんどの問題は決して解決しないだろう・・・
それでもである・・・
やはり、客観的に理解しようと歩み寄るのは、
大人である先生側であるべきなのではないだろうか・・・
私ももちろんそうだが、
「先生」と呼ばれる職種は、自覚の有無にかかわらず
どう少なく見積もっても、相手からすれば「権力者」にすぎない。
その自責の念を常において、
下りている、下りていく「謙(へりくだ)りのこころ」を常に持たねばならない。
はてさて・・・
結局、この生徒の書道8段は、文科省認定で
履歴としてちゃんと書ける8段だった。
ああ・・・
その先生は、今からでも遅くない・・・
自分の早合点と暴言をきちんと詫びたほうがいい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
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