人知れずに・・・
人知れず努力していらっしゃることはあるでしょうか?
努力という言葉が重たいのであれば、
人に何かを言われたわけでもないのに
何かコツコツ、継続的に、
もしくは断片的にでもいいのでやってしまう・・・
まさにそれが服従でない、幸福を育てる場なのです。
「人知れず、何を、どう努力するのか?」
この「何を」の部分が、
個性であり、あなたらしさです。
そして、「どう」に部分が、
まさに、工夫の幸せであり
選択力であり
自己決定感なのです。
この二つが合わさって、幸福感を得られるのです。
ですから、子どもが進んで勉強をしているのなら
まずは見守るだけにするのです。
やったそばから、
そのやり方は効率が悪い!とか
今それをやっていて間に合うのか?とか
そういうことで口挟まないことです。
彼ら、彼女らが、やっと、
自分の幸福を自分で育てようとしているわけですから
それを台無しにしてはいけません。
さらに工夫したいと思うのであれば、
子どもたちは、勝手に尋ねてきますし、
もし、尋ねてこなかったり、
途中であきらめて投げ出すのであれば
それまでです。
その場では、子どもの個性も幸福感も育たないということです。
子どものことは、子どものいのちが知っています。
親の方で、
勝手に場を決めて、
やり方も決めていては、
何のための人生でしょうか・・・
服従の中に、幸福感はありません。
親も待つという我慢が必要なのです。
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夏、小満のころ⑨・・・からだから
「JUJUWORKS」というチーム名で活動はしていた。
佐野元春の曲「ジュジュ」からとっている。
とにかく創作すること、踊ることが大好きな仲間ばかりだった。
その同志数名と立ち上げた公演名は、
みなと考えに考え、「からだから」と命名した。
これでハード面、ソフト面両方つくれたことになる。
「からだから」は仮名の切れ目で2つの意味を持つ。
「からだ・から」は、
文字通り「からだ」での身体表現のこと・・・
「から・だから」は、頭で考えず、空っぽにして踊る・・・
立ち上げると決めてから
忙しい日々がつづいた。
舞台の手配・・・
パンフレット、チケット作り・・・
照明・音響さんへの手配・・・
作品創作、後援依頼、運営分担、集客・・・
全て一からだった。
作品作りは、夜中まで続くこともあった。
いまのようにインターネットもSNSもない時代・・・
作品に使う曲を求めて、何軒もCD屋を回ったり
マンパワー全開で、チラシを配り、チケットを売った。
自分たちの持っている経験と知恵を総動員したと思う。
ものすごく楽しかった。
この年、ちょうど三重県総合文化センターがこけら落としの年で
たしか、そこの小ホール(250~300名)を格安(半額?)で借りることができた。
舞台との巡り合わせも 本当に不思議である。

(からだから1)
どのメンバーも出し惜しみなどみじんもなかった。
あのときのエネルギーをどう表現したらいいだろうか・・・
だれにも命令などされてなくとも
「こうする」と決めた理想に向かって進んでいた。
三重のダンス文化を変える・・・
若輩者たち(笑)が集まって
勢いと笑顔だけが取り柄だったような気がする。
やれない理由を探す時間はもったいなくて
「何とかする!」ための方法だけを探した。
「必ずやれる」という根拠のない自信が自分たちを支えた。
それでも、なぜか企業戦士のような
ガツガツし過ぎた空気はなかった。
どこかそれぞれのメンバーの
凛としたのんびりさやマイペースもあって、
笑いが絶えない牧歌的な要素もあった。
出し切ることのすばらしさ・・・
29歳でメンバーとともに舞台をつくろうと思い立ち
30歳で自主公演の初舞台・・・。
けっして若いとはいいがたい。
でも、年齢は関係ない。
若い人に言いたい。
人生を楽しみたいなら
出し惜しみはやめるべきだ。
また、もったいぶるのもやめたほうがいい。
人生そんなに長くない。
そういうエネルギーの使い方をしていると
自分の周りにもそういう人しか集まらなくなる。
自分が何かをやると決めたら
自分から力を出す。
出し惜しみしない・・・
もったいぶらない・・・
先日の個性でも話したが、
出しても出しても枯渇しないのが
その人の本当の能力だと思う。
一度出し切ってみるといい・・・
それでもなくならなかったら
それがあなたの本当の力だ。
これも幸せになるひとつのコツなのかもしれない・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、小満のころ⑦・・・個性
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
有名すぎるぐらい有名な
金子みすず [1903-1929] の詩です。
大学のダンスの先生はよくこの詩を取り上げていらっしゃいました。
話は少しとびますが
卒業して後、あるダンスの研修会の時です。
わたしは家庭教師の身でありながら
教員が集まるこの研修会に行っていました。
わたしが教員でない詳しい事情は後日に譲りますが
その研修会で「個性」について質問をした教諭がいらっしゃいました。
要約すると、
ダンスの授業の時に、周りのみんなと一緒に踊らず
授業を妨害するように、気を引くように
自分だけ勝手な行動をして その教員を困らせる児童がいる・・・
という内容でした。
その教諭は、
そういうのも個性として認めてあげたほうがいいでしょうか・・・
という質問でした・・・。
横で聞いていた私は、
「それは・・・」
心の中で言葉を紡ごうとすると・・・
先生は即答でこう言いました・・・
「そういうのは個性とは言いません」
その教諭にどういう理由を加えたのか
さっぱり覚えていませんが、
わたしが個性について今のようにしっかりと
柱ができたきっかけになったなった出来事でした。
わたしたち教育に携わる人間は
いつか生徒から問われるであろう
一見答えようのない問いを
自分なりに深く問答する癖がついています。
「なぜ勉強しなければいけないのか」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「人に迷惑はかけてはいけないのか」
「学校には行かなければいけないのか」
「個性とは何か」
そういった哲学のような問いを常に持ち
自分が納得するまで問答する癖がついています。
生徒に問われてもいいように
しっかりと腹に落とし込んでいくのです。
この出来事をきっかけに
私がたどり着いた「個性」とは・・・
目立ちたい、認められたいがゆえに
また、人より上(優越)に立ちたいがゆえに
あえて人と違うことをすることではなく・・・
人との同じことをしようとして・・・
何度もしようとして・・・
それでも思わずこぼれるように
その枠からはみ出てしまう何か・・・のこと
または、
まねてまねて真似しようとしても
どうしてもまねできない何か・・・
とわたしは定義しています。
だから輝くのです。
嫌味でなく、ごく自然に、輝くものなのです。
「わたしと小鳥とすずと」
人と違うことを特別にしようとして
かえって個性をつぶしている人がいます・・・
焦っているようにさえ見える人がいます。
本当に個性的な人は、
公(みんなと同じこと)と私(自分のオリジナル)の境目を聡明に自覚し
とても謙虚でありながら、隠そうとしても隠し切れない
こぼれるような光を放つ人のことをいうのです。
必要以上に はしゃぐことをやめましょう。
必要以上に 人とつながることをやめましょう。(ネットでもリアルでも)
必要以上に 何かを身に付けることをやめましょう。(資格や受認定でも)
そのことで あなたが人の目につき、
目立ったからといって、個性的になったわけではありません。
個性は、あなたが後から身につけたものの中にはありません。
自分は 自分にしかなれないのです。
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genre : 心と身体
tag : 個性自分は自分にしかなれない