とうとう見つかった
ある言葉に出会い衝撃が走った。
それがどんな言葉だったのか、
内容も作品・作者も覚えていたが、
正確な言葉を忘れてしまった。
類語を検索窓に入れて
幾度か探したけれども
ここ数年、行き当たることはなかった。
しかし昨日、
とうとう見つかったのだ。
この本の中だった。

その言葉とは、
「われわれが
人生から何を期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が
何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」
V.E.フランクル「夜と霧 - ドイツ強制収容所の体験記録」
訳文なので
まどろっこしい文だが、
簡単に言ってしまうと
人生に何かを期待するのではなく、
人生があなたに何を期待しているかを問うことが大切
そういうことだ。
V.E.フランクルは続けます。
人生の意味の問題に正しく答えること、
人生が 各人に課する使命を果たすこと、
日々の務めを行うことに対する責任を負うことに
他ならないのである。
この言葉を読んで、
わたしの人生は、
このままこの会社に残り、責任を果たせと言っているのか?
それとも飛び出した新天地で新たな使命を果たせと言っているのか?
そう考えた。
「責任」という言葉を
重すぎて嫌う人はスルーしてくださって構いません。
乙女座の私は、この「責任」が
どうしても響いてしまうのです(笑)
上記の本の中では
「使命感」の説明の中で登場していた。
使命感は、
やる気につながる3つの段階の中の一つだ。
ついでに、その三つを挙げておこう・・・
①見通し
いつ終わるのか?
どれだけやれば努力が報われるのか?
②目的
目標は、単に数字、判定基準を目指すこと
目的は、もっと大きい、それをやる意義みたいなもの
③使命感
人生が自分に何を期待しているのかを知ること
そう考えると、
いま世界中が倦怠感に包まれているのがよくわかる。
やる気がなくなるのも仕方のないことだと頷ける。
②が無茶苦茶で
①の見通しが立たないからだ。
飲食店には、基準があいまいな規制を再三出すし、
そもそも、
陽性者と感染者数をごちゃまぜにして発表しているあたり
すでに無茶苦茶である。
数字そのものの定義が幼稚極まりない。
一体、どんな数値になれば
コロナを終わらせようとしているかさえ
国民にはっきりと示さない。
いつこのコロナを終わらせるのか?
国はこの基準をはっきりとしていないなかで
一体どこまで頑張らせようというのか?
国のいい加減さは目に余る。
やはり彼らは、
第二次世界大戦のころから
何一つ変わっていないのだ。
これは余談で推測だが、
オリンピックの開会式と閉会式の時に
いくつもの台風が来ていたが回避され
式は執り行われた。
わたしは、国はDS側に回避を依頼し、
気象改変装置&回避装置を使ったと思っている。
でなければ、あの数個の台風は両式当日に
直撃していたはずだ。
その後のこの異常な長雨は
その取引の見返りとして降り注いでいるような気がする。
沖縄返還と日本の良質の繊維業をトレードした佐藤首相のように
DS側と日本は常に割の合わない交換条件ばかりだ。
割が合わないというのは時間軸で考えればいい・・・
一旦壊れると、取り返すことが難しく
長期にわたって国民の被害が続くものと
短期的にその場で済むものとのトレードだ。
あくまでも予測だが・・・
だいたい、台風が東から西へカーブしてくるなど
真面目に学ぶ中2生がかわいそうになってくる。
中2の理科の教科書「天気」に
この進路コースはどこにも書いていない(笑)
それよりも、地震兵器とか自然改変装置は
もう国会でも常識ですから
そちらの方を教科書に載せてほしいものです。
それならこのカーブも説明が付く!
13:09~どうぞ・・・
話を戻そう・・・
デルタ株で大変と言いつつ
パラリンピックには、何万人という子供たちを観戦させると言い、
パラリンピック・甲子園はやっているのに、
国体は中止、
飲食店は危険と言いつつ
満員電車は黙認している・・・
緊急事態とあおりつつ、
厚生科学審議会 (ワクチン接種後の死者数・副反応数の発表)は
お盆休みを取って
一週間何の理由もなく発表を飛ばしている。
(今日発表です)
もう、
パッパラパーのめちゃくちゃ状態だ。
わたしが記憶する限り、
ここまでおかしな国と世の中になったのは
初めてのような気がする。
こんな世界で
「使命感」を探すのは本当に難しいかもしれないが
今日もわずかな光を信じて頑張るしかない。
そんな時恋しくなるのが
だれに見られるわけでもなく
懸命に咲く小さな花だ。

(つゆ草photo by piyoさん)
彼らはどんな世の中になっても
V.E.フランクルのいう
「人生から問われている意味」
を懸命に全うしている。
見習うべき存在だ。
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