京都、神馬
お久しぶりです。
さて、今週の動画配信ですが、
一回お休みをさせてください。
急なお知らせで申し訳ありません。
ブログの方も2回お休みをいただきました。
ありがとうございます。
実はその間、京都に行って参りました。
流れ的に、シオンの議定書の続きですが、
今回は、ちょっと小休止で
旅の様子を綴りたいと思います。
旅の性質というのは
皆さん十人十色でしょうね。
何を求めているかによって
旅のルートが変わる・・・
皆さんは何を重点に置かれて旅をなさいますか?
私の最近の旅は、
居酒屋めぐりが中心になっています。
居酒屋はもちろんチェーン店ではありません。
最近はどこに行ってもよく似た居酒屋ばかりですが、
その土地その土地で何十年も愛され続けている
個性的な居酒屋の暖簾をくぐることが
何よりの趣味となってきました。
東北の旅以来、
そういったスタイルが定着しつつありますが、
今年の鎌倉あたりから
私はこの本を参考に伺っています。

そして今回は、この本の表紙を飾っている
「神馬」(しんめ)さんです。
なんと、創業昭和9年・・・
いまは、三代目が切り盛りされているようです。

この本の表紙は、筆者の太田和彦さんが
書かれたものだと初めて知りました。

居酒屋は、その土地の風土と人に支えられます。
長年愛されるにはそれだけの理由があります。
私なりにその空気に触れさせていただく・・・
ともすれば、私などは一見さんになりそうな客です。
ですから、お邪魔いたします…という謙虚な気持ちで伺います。
それは大切な礼儀です。

また、こういったお店の魅力の一つは
常連の方と大将との会話が耳に入ってくるときです・・・
「あ、いらっしゃい」
そんな何気ない言葉から
暖簾をくぐられるお客さんの常連具合がわかります。

「今日はお一人様が多いから流れが読めないな」
「すみません、14日からは休みなんです」
「7時過ぎやったら空くと思いますが、電話させてもらいましょうか」
休み前、私が読み続けているシオンの議定書とユダヤの歴史・・・
彼らが奪いたい文化がこういった居酒屋にはあるのです。
居場所
人情
常連と旅人客の繋がり
丁寧に作られた肴とお酒
お店に入るとすぐに
おそらく三代目のお母さん(二代目女将)でしょうか・・・
私のような新規客にも
年季のこもった「いらっしゃいませ」で
おもてなしをしてくださいました。
古い居酒屋には
柱や飴色の机、お品が書かれた札に
この人情が沁みこんでいます。
また来たいな・・・
本当に心からそう思います。

手前の燗炉は、ものすごく年季の入った銅製でした。

そして奥になぜか太鼓橋があります。
これは、お店前の千本通を広げる時に
お店がお稲荷さんと重なってしまい、
お稲荷さんを直に踏むのはいかがなものかということで
太鼓橋を掛けられたようです。

自分の人生が尽きるまで
居酒屋百名山の内
一体あと何件うかがえるかわかりませんが
趣味の一つとして楽しみたいと思います。

[スポンサーリンク]
「路」
こちらの本は、地形と気象で歴史上の都市を解説しています。

幼い頃、地形と歴史で衝撃が走ったのが、
桶狭間の戦いでした。
信長が今川義元を打ち負かした戦ですが、
わずか3000ほどの兵力の信長が地形を利用して、
2万5000人の今川軍を奇襲でやっつけます。
戦の鉄則は、相手が嫌がる
場所
時
方法
をとるといいらしいですが、
まさに信長はこの3つを上手く使ったことになります。
もちろん、古い歴史のことですから、
それが本当だったかどうかはわかりませんが、
ドラマとしては実に面白いです。
本に話を戻しましょう・・・
この本で驚いたのが、
奈良盆地は、中央に湖があったという事実です。
回りを青々とした森林に囲まれ、
物資に移動は、大和川とその湖・・・
周囲の森のあちらこちらから水が流れ出て、
水田にはもってこいだったとか・・・
しかし、平安時代の桓武天皇は、
この奈良を捨て、長岡京、京都と都を移します。
なぜか?
あれだけ豊かだった奈良盆地が
300年ほどですっかりと環境破壊が起きていたからです。
周りの森はすっかりとはげ山になり、
それによって保水力を失った山は土砂災害が横行・・・
治水も悪くなり、疫病が蔓延・・・
桓武天皇はそれを嫌ったとか・・・
巷の歴史では、
天智系だった桓武天皇が、
天武系ゆかりの奈良を嫌ったとされる説もありますが、
地理とインフラという観点で見ると
歴史はまた実に興味深いものです。
さて、移った長岡京・・・これまた失敗でした。
桂川(上流は鴨川)、宇治川、木津川、瀬田川の合流地だったため、
大雨が降れば、川はもちろん、巨椋池も溢れます。
再び水害に悩まされ、
10年ほどで、
いまの京都に遷都します。
さて、別の視点で・・・
奈良と京都、
いったい何が違うのか?
それは
閉じているか?
開いているか?
奈良は、大和川を上ってきた先は盆地でどん詰まり地、
ところが京都は、東海道、山陽道、山陰道、中山道、北陸道、
あらゆる街道が交差する地点。
その街道の先には海がある。
淀川を下っても回路が確保できる・・・
京都を中心として
四方八方へ陸路海路が伸びる・・・
文字通り開けた都なのです。
世界を見ても、すべての「路」が一つに集約される都は
あまりないとか・・・
これは参考になりました。
京都は1000年以上続いた都・・・
秘密は「路」だったわけです。
そういえば、
年齢を数えるのも「路」を使いますね。
20歳:二十路(ふたそじ)
30歳:三十路(みそじ)
40歳:四十路(よそじ)
50歳:五十路(いそじ)
60歳:六十路(むそじ)
70歳:七十路(ななそじ)
80歳:八十路(やそじ)
90歳:九十路(ここのそじ)
情報や物資を運ぶ都の「路」・・・
それぞれの人生、人と人が行き交い
自分の人生を豊かにしてゆく「路」・・・
「路」の意味は違えども
ともにとても重要な意味がありますね。
歴史の違う顔を垣間見る
実に興味深い本です。
[スポンサーリンク]