ラジオ人生相談
ラジオ人生相談を聞くことがある。
今は、タイムリーに聞けなくても
YouTubeでアーカイブがあるので便利だ。
相談を受けるパーソナリティの方はどの方も素晴らしい・・・
言葉の選び方、
毅然とした態度、
豊富な智慧、
どれもひよっこの私には勉強になることばかりだ。
しかし、ふっと考える・・・
相談と教育の違い・・・
それは、「短期」か「長期」かだ。
これはどちらが素晴らしいかを言っているわけではない。
単なる時間的視点だ。
教育の場合、何かを伝える・・・
これはもちろん、
教科の問題ではなく、心の問題のことだ。
しかし次の日、元に戻ってしまっていることは多々ある・・・
いや むしろ多い。
それほど、自分を変えることは難しい。
よくラジオ人生相談では、
「よろしいですか?」で終わる。
相談者も
「はい、わかりました。ありがとうございます。」
で終わる。
まるで、数学の解法を聞いた時の生徒の反応だ。
わたしは、電話が切られた
その後の相談者がどうなっているかが気になる。
気になってもどうしようもないが、
人生は数学の回答のようにすっきりしないし、
一定数の相談者が元に戻っているように思えるからだ。
もちろんその統計もないから、
想像でしか言えないが
拙い私の経験上そう言える。
何度も何度も同じ質の相談でやってくる人には特徴がある。
それは、自分の本当の闇を見つめられていないこと。
実は、どの人も、もちろん私も
これが一番難しい・・・
「自分は本当は何が気に入らないのか?」
「自分は本当は何に怒っているのか?」
「自分は、何を隠して代替物で満足しているのか?」
ほとんどが、
7歳ごろまでの幼少期の父母との関係から生まれた憤りだが、
それをそれとして
ちゃんと「自分の中の憤り」を見つめているか?
感謝とか、ありがたいは
その憤りを見つめたうえでしか
本当に打ち立てられないと思う。
「わたしは、両親に憤りなんてありません・・・」
そういう人はそれはそれで幸せでいいと思います。
しかし、そういう人に限って
笑顔が引きつっているのです。
不自然なのです。
「心の闇」
わたしの場合、保育園を一人で通園していたさみしさを
「一人でできる」という誉め言葉でごまかしていた。
しかも、家の前を通る同じ保育園の母子の後に
ついて行きなさいと言われ
それをちゃんとこなした自分は「偉い」と思っていた。
しかし、大人になってやっとわかった。
あの時、ほんとうは寂しかったのだ。
ひとりで行かせた母を恨んでいたんだ。
心の奥では怒っていたのだ。
それがわかってからやっと
母と出会いなおした気がする。
そして今の私たちの関係がある。
そういう心の膿出しのような過程を経て
そこからやっと「感謝」が沸き起こるのだ。
「それでも、やっぱりありがとう」
ここまで来てやっと人生後戻りをしなくなる・・・
ラジオ人生相談を受ける人は、
是非単なる愚痴こぼしに終わってほしくない・・・
ラジオ人生相談のパーソナリティの皆さんは、
単なる方法論を言っているのではなく
普遍的な自分の心との向き合い方を助言されているのだ。
[スポンサーリンク]
theme : 人生を豊かに生きる
genre : 心と身体
tag : ラジオ人生相談