価値ある古書として生きる
今週は、4/15(土)8:00~ライブ配信いたします。
話題は、風の時代の言葉変換力・・・です
ネット社会では過剰な3次元への期待がメタバースだ。
そして、生身の人の内面(知恵と哲学)への過剰な期待が
ChatGPTだ。
「奥」で感じ合いたいという人間の原初の欲求が、
インスタントでゆがんだ形で表れている。
いつでもどこでも好きなところに自由に行き、
己の寂しいほどの空虚さを埋めてくれるものが
どこかにあるという妄想が、
この後戻りできない技術革新の顕れだ。
繰り返すが、この革新は後戻りはできない。
しかしどうだ。
ゴーグルをつけ、手足にコントローラーを縛り付け、
寝ても起きてもこの格好・・・
逆に身体的に不自由どころか、虐待・蹂躙を与えている。
一日24時間という輝かしい主体的・相対的な時間を
情報と刺激の反射にしか使っていない悲劇・・・
まるでブラックユーモアだ。
また、葛藤という暗いトンネルを
除いてあげるというのが「ChatGPT」だ。
やってみればわかる。
ちなみに「彼との関係を修復するには?」と聞いてみた。

笑えるほど完璧だ(笑)
こうやって大抵のことは完ぺきに教えて
漏れがない・・・
それよりも、私の様に
遊び半分で問いを発する人がきっと多いChatGPT・・・
この人間の波動が
宇宙に放たれることの方が、公害のように危惧される。
この害が、宇宙と人間の間に靄のように差し掛かって
我々の真我をますます遠いものにしている気がする・・・
ChatGPTなど使わなくても
もともとわたしたちは、「宇宙」というAI(真我)が
問いを発することで応えをセットにしてくれている気がする・・・
問いを発して、ほぼ完ぺきな答えを瞬時に手に入れることは
私たちにとって本当に幸せなことなのか・・・
これまでの人類は、
確かに手に入れられなくて苦しんだ歴史なのだが、
手に入れさせてくれる・・・
感じさせてくれる・・・
この便利なツールたちは
私たちをどこに連れて行こうとしているのか?
先日20歳になったばかりの卒業生に
このChatGPTについて話題を振ってみた・・・
確かにTVで見たことがあるようだったが、
全くと言っていいほど関心かなく
身近に取り入れてもいなかった・・・
それよりも、
今の彼氏のこと
将来のこと
今後の人生のこと
・・・
尽きない「正解のない問い」が話題の中心になった。
これは何を表すのか・・・
生まれたときからネットにつながっている
彼女たち冥王星射手座世代がどんな哲学で
このリアルとバーチャルを捉えようとしているのかは
とても興味深い・・・
昭和の私たちは、価値ある古書として存在できるのか・・・
彼女たちが承認し取り入れる新しい世界に
新しい哲学を生み出すきっかけを
バトンパスする役目なのかもしれない・・・
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
「もっと不自由に」

「もっと自由に」・・・らしい。
13歳以上が対象だそうだ。
これを見てどこが「自由」なのか?
まじめに突っ込みたくなる。
すでに、ゲーム漬けになっている子供は、
知らず知らずのうちに毎日を奴隷のように支配されて、
支配されていることさえ自覚なしに支配されている・・・
私など、ふっとこんな風なロゴに変えて遊んでしまう。

メタバースも
ムーショット計画も
気持ち悪くて仕方がない。
自分の頭で考えない=支配される
以前の「悪魔を出し抜け!」の
悪魔のアドバイスを忘れてはいけない・・・
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genre : 心と身体
tag : メタバース
これからますますリアルが大切!
人で始まり、人で終わるのが人生
最近、日本語が通じないことが多い。
特に飲食店の接客や
ディーラーの若い店員への電話、
アパートの管理会社に不備を説明しても、
その通りになったためしがない。
私の伝え方が悪いのだろうか・・・
以前、「どうしたいですか族」の話をした。
運ばれた料理の品数が足りなかったので
店員を呼んで伝えると
「どうしたいですか?」
(いやー💧)
こちらが困惑してしまう返事が帰ってくる。
自分では何も考えず
変な主導権をこちらに丸投げしてくる学生アルバイト・・・
私は最近こういう人を「どうしたいですか族」と呼んでいる。
先日も、
アパートの管理会社にお願いしたことが
全く違う形になって返ってきた。
受付のお姉さんと
担当のお姉さんの伝言ゲームがうまくいっていないのだ・・・
いったい今の日本の若者はどうなっているのだろうかと、
心配になってしまう。
要は、ツボを得ることが苦手な、
いや、できない若者が増えたのだ。
相手の話の核心をつかむ力が弱くなったのだ。
相手は何を言いたいのか・・・
その核心をつかめないのだ。
この場合、話の核心とは、
相手の話の中で何をしてほしいのかの中心をつかむ技術だ。
おそらくその原因は、いまのSNSに仕組みにあるような気がする。
彼らは自分が見たいもの聞きたいものしか接しない。
SNSのAIの仕組みがあまりに便利で
その人の興味あるものが永遠に流れて来るだけなので
ネットという広い世界と思いきや
実は常に狭い世界しか触れることがないようにできている。
彼らが興味あるものと
興味ないものとの境目は
毎日毎日固く高い壁となって構築される。
おそらくその弊害が出ているのではないだろうか・・・
幸田露伴は、この核心を会得する方法を3つ挙げている。
① 学んで得る
② 観察して得る
③ 行って得る
③は、いまそこで働いているのだから、
行動しているので、
時間をかけることに尽きるが、
問題は、③に行くまでの
①②が圧倒的に不足している感じがする・・・
幸田露伴の時代は、もちろんSNSなどないので
興味があろうがなかろうが世の中では様々なことが展開する・・・
①の学ぶは、学校の勉強のことではない。
日常の立ち居振舞い、言葉遣い、
トラブルになったとき、
どんな言葉を選ぶのか、
どんな言葉でそれを回避するのか、
言い訳が先にたつか
自分の非を認める度量があるかどうか・・・
②は事象や人に関心がなければさっぱりである。
関心とは、
自分と違う何かにたいして、
新しい発見にたいして、
新鮮な心が生まれることである。
つまり、ああ、そうか!
心が動くかどうかである。
最近はマスクもしているので
こういった洞察力を身に付けられなくなって
ますますひどくなっているのか・・・と思うと
少々憂鬱になってくる・・・
幼少期から、中学高校期にどんな力が必要かと問われれば
「気付く力」
私はこれに尽きると思う・・・
媚びるために気付く力ではなく
能動的に世界を変えようと気づく力だ。
忙しくても足元に落ちているおしぼりの袋に気づく力・・・
相手の話を一通り聞いた後、
言葉の奥に隠れている本当の要望を察する力・・・
この場に足を運んできたお客さんが
何を解決しようとしてお見えになったのかの核心をずらさない力・・・
そういった力が身につくのは
確かに「経験」という時間もいるが、
それだけでなく
本当にそれに気づきたいと思う本人の向上心かと思う。
結局、どんなにIT技術が進もうが、
どんなにメタバースの世界が浸透しようが、
DSがその世界に私たちを強制的に閉じ込めない限り、
人はその中だけで生きるわけではない。
メタバースの世界だって、
あちらには人がいるってことを忘れてはいけない。
人とは、例えば、
意図的に私たちの脳を誘導、破壊しようとしている側や
純粋にそれを楽しんでいるユーザーなどだ。
「気付く力」
要は、この力こそが道を拓くということだと思う。
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