令和buzz147・・・毎日ブログの効用
店と塾が10周年を迎えたときだった。
今から思えば、この最初のページが
「ブログを毎日書く」のスタートとなった。
➡十年、をちこち・・・①
あれからもう2年もたつ・・・
初めは、
会社を辞めて今に至るまでの道筋を
書いたら終わろうとしたが、
何となく毎日書くのが習慣になってしまって、
やめることが気持ち悪くなり、
そこから随筆家を目指して(笑)
(今も目指しているが)
毎日書くと決めた・・・
毎日書くと、inputとoutputのサイクルが早くなり、
本の読み方もネット記事の読み方も随分と変化した・・・
毎週やっている宙の言の葉でもoutputは行うが、
毎日ブログは、やはりサイクルが早い・・・
もちろん本も読むが、
本の要約サイトや
YouTubeの要約動画で学ぶことも多い。
特に動画は、ドライブ中でも学べるので
本当に便利だ。
➡年齢とともに読書がしずらくなったあなたへ①
➡年齢とともに読書がしずらくなったあなたへ②
➡年齢とともに読書がしずらくなったあなたへ③
これは私に限った話ではないが
情報過多、発信過多の今の時代は
情報を得ること自体がコストになっている・・・
一番のコストが時間だ・・・
効率的に情報を入れないと(input)
入れるだけで一日が終わってしまう・・・
毎日ブログを書いて思ったこと・・・
それは、outputをするのが
一番のinputということだ・・・
outputすることを前提にinputをすると
より早く自分の持っている言葉への置き換えが始まる。
つまり、outputに必要なこと以外は
程よくinputを間引きながら要旨をまとめていく・・・
これが、咀嚼だ。
人間は太古の昔からこうやって
知恵に変えてきたんだなということがわかる・・・
つまり、
どれだけお気に入りに記事をためようが
PCのデスクトップのフォルダーにメモをストックしようが
outputしなければ、何の役にも立たないということだ・・・
outputというのは、
別に文章を書いて発信するということだけではない。
自分の生活に取り入れることも
自分のこれまでの考え方が変わり、
人生が楽になってきたぁ~と思うことも
立派なoutputだ。
なぜなら、そんなあなたに出逢う第三者が
あなたによって元気になったり、
気づきがもたらされたりするからだ。
話を戻そう・・・
毎日ブログを書くことはinputした内容を
大急ぎで自分の言葉に変えなければならないので
思考のスピードも速くなる・・・
どんなに拙くとも
毎日書くと決めているので
毎日落としどころを見つけなければならない・・・
以前ダンスをしていたの時の
即興作品に近い。
どんなに迷ったとしても
始めと終わりを作らなければならないからだ。
自分の言葉に変えるときに不思議なことが起きる・・・
いつかどこかで読んだフレーズが
心のどこかでとりあえずおいて置いたアイデアが
今自分が思考している内容に
後追いしてくれる時がある。
裏付け・・・
そういう言い方もできるかもしれない。
わたしにとって、この毎日書く・・・が、
会話の潤滑油になったり、
面談時に不意に出てきて助かったり、
YouTubeのヒントになったり、と
何かと循環を生み出している・・・
毎日ブログ・・・
これは意外に私に向いているらしい・・・
[スポンサーリンク]
一年間書いてみました。
ぐるっとめぐって、穀雨に戻ってきた。
穀雨とは・・・
春季の最後の節気。
春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期を迎えます。この時季に、特に雨が多いというわけではありませんが、穀雨以降、降雨量が多くなり始めます。
「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節です。
変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってきます。
昔から、この日を田植えの準備をする目安にしているようです。
穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。
一年間毎日「二十四節気への手紙」としてブログを書き続けた・・・
特に節気と関係のない記事が多かったので恐縮だ(笑)
達成!!と思いきや、意外に冷静だ。
というのも、この記事のタイトルを「春、穀雨のころ・・・」と書きかけて
ふと手を止めた・・・
ああ、一年経ってる・・・
一年たったことを忘れ、
いつものように始めてしまったのだ(笑)
一年間連続でブログを書き続けたのは、
もちろん生まれてはじめて・・・
紙の日記はとんと続かないのにブログだと書ける・・・
それはやはり見ていただく方がいる・・・
いいね!も拍手も励みになる・・・
そういうことだと思う。
ただ、それだけでない何かを感じているが、
いまはうまく言えない。
ブログを書くようになって、
気がついたことがある。
それは、「ブログ」が会話と論文のはざま的な存在だということ・・・
論文ほど固くないが、それなりに裏をとったり筋を考える・・・
でも、あとから付け足したり訂正できる・・・
会話は、「人の噂も七十五日」で毒舌や直球を投げれるが、
ブログは、一旦冷まして冷静に書く・・・
以前、「青いインクで赤い感情を書く」を書いたが、
感情を書きなぐるのは私の性には合わない。
文はきっと「人をあらわす」と同時に
人を育てる・・・
乱暴な言葉を書けば、
乱暴な人間になり、
丁寧に書けば丁寧な人生になる。
いまもそう思う。
昨日、ふと石牟礼道子さんの随筆を読み返していた。
この方の文は本当に美しい。
ありありと水俣の、不知火の風景が目に浮かぶ・・・
体験したことがない人間に
体験を見せるのが随筆の醍醐味・・・
しかし、そんな陳腐な言葉も通用しないほどの
彼女の筆力はもうこの世の人とは思えない霊力さえ感じる。
私がこの一年、文によってどんな風に育ったのかは
自分ではなかなかわからないので
その判断は皆さんにお任せする。
ただ、一日一日をきちんと振り替えって
きれいに折り畳んで引き出しにいれるように、
日常のささやかな感情を
丁寧に見るようになったのは間違いない。
冬に3日間高熱を出して書くことがしんどかった以外
特にスランプもなく書けたのは、
きっと、書き手としてまだまだ大したことがないという証だろう。
さっそく、次のシリーズに行こうと思う。
ちょうど令和元年初日も近いし、
それに合わせてスタートしたいが、
それまでの10日ほどは
単発で平成を振り返っていこうかな・・・
そう思っています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体