令和buzz46・・・考えさせられる
➡「車いすが健常者・二足歩行が障害者」の世界が体験できるレストランに行ってきた もう理不尽すぎて泣きたい (2/2)
この記事でバリアフリーについて考えた。
それがこの企画の狙いだし、
それが大切だと思うが
読んだ後の違和感はいったい何だろうか・・・
まず、単純にバリアをフリーにするというなら
自走できない人で介助者(記事内の二足歩行者)が
必要な車いすの人はどうなるのだろう・・・
バリアには4つあるという。
①「物理的なバリア」
・乗降口に段差があるバス
・駅のホームまでの階段
・車いすの方が利用できないトイレや出入り口
・身体障がい者用の駐車スペースがない
②「制度的なバリア」
・能力以前の段階で入学、就職、資格取得等の機会が与えられない
・盲導犬・介助犬がいるから店舗に入ることを許可しない。
・幼児連れお断りのお店など
③「文化・情報面でのバリア」
・イベントなどで手話通訳がないこと。
・駅や車内におけるアナウンス情報が障がいのために伝わらないこと。
・緊急地震速報やJアラート。(聴覚障害者にとって、音声だけの情報では気がつかないことがあります。)
④「意識上のバリア」
・身障者用駐車スペースに一般の人が平気で駐車してしまう
・身障者用トイレ(多機能トイレ)を一般の人が利用してしまう
・点字ブロックのあるところに自転車を置いてしまう
・歩道などの道路幅を物でふさいでしまう
今あげたバリアはどれも想像にたやすい・・・
しかし私たちがつい見過ごしてしまうバリアだってある。
例えば、
先の記事の天井の低さ・・・
その閉塞感で窒息しそうな生徒がうちにいる。
頭の上に電気スタンドが来てはダメなのだ・・・
それから、先の記事のスタッフの怒鳴り声・・・
人の声が大音量で聞こえてしまい
思わず耳をふさぐ発達障害の生徒だっているだろう・・・
私も経験しているが
人が怒られているのを自分の攻撃ととらえていた生徒もいた。
しかも、バリアの②などは、
学業の善し悪しで行く高校や大学が違ったり
年収が変わったりするのは「バリア」じゃないのだろうか・・・
なにより、このオーナーのように怒りを爆発させるのは
働くスタッフにとって本当にバリアフリーなのか・・・
おそらく上げればもっとあるだろう・・・
店側から、何か首根っこを摑まえられて
車いすの人たちのことを考えろー!という優しさ!?が
ある一方で
今あげたような
日常の小さなバリアを感じる人のことを
考えていないスタッフの対応・・・
ものすごい違和感だ。
バリアとは、上記の4つだけでないことは確かだ・・・
仕組みの問題ばかりに気を取られ
それを作る個人の感情の問題を考えず、
この両者をごちゃごちゃにするから
こういうことが起きるんではないだろうか・・・
ただ、どちらにしても
「バリア」について考えるいい機会であったことは間違いない・・・
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theme : 私たちにできること
genre : 福祉・ボランティア
tag : バリアフリー
令和buzz39・・・みんなかつては赤ちゃんだった
「ミソジニー (英: misogyny)※」という言葉を知った。
➡北原みのり「車内でベビーカーは畳めない」
※一般に、男性が権力を持つ男性社会であることも多く、男性による女性差別は、個人的な嫌悪だけでなく、歴史的・社会的構築であることもままある。ミサンドリー同様、単なる嫌悪は問題ではないが、直接的暴力・社会的差別となると、問題になる。
私たちはみんなとるに足りない小さく弱い人間だ。
お互いが助け合わねば滅びてしまう。
これでは、戦時中、沖縄戦、
防空壕で敵に知られないように
小さな赤ちゃんを抱えたお母さんが
赤ちゃんの口をふさがせたり
そこに居合わせた兵士が銃で殺してしまった心理と
何ら変わらないではないか・・・
それと同じ心理を規則でねじ伏せ
正当化する・・・
戦後75年もたとうとしているのに
この国はいったい何を学んできたのか・・・
人間の一番おぞましい部分が出る
戦時中でもない平和な日本なのに
皆が他人ごとのようなこの悲しい出来事は
実に身につまされる・・・
どうやら、都バスの規則はこうらしい・・・
➡ベビーカーでの乗車方法
人間の日常の小さな切羽詰まった問題というのは
規則や法律で解決できないことが多い。
たとえ規則があったしても、臨機応変に
その場その場でそこに居合わせる
何人かで何とか折り合いをつけて
気持ちよく過ごすはできないのだろうか・・・
都バスのHPを調べると
車いすやそのほか様々なバリアフリー化は進んでいるらしい・・・
➡バリアフリー情報
その理念は、困ってしまう人へのやさしさなのではないだろうか・・・
ならベビーカーへのバリアフリーがあってもいい・・・
みんな昔はこの赤ちゃんと同じだったではないか・・・
その時、本当に多くの人に助けられたはずだ・・・
この作者も言うように、
ベビーカーのスペースを作ればいいし
車いすのスペースの兼用もいい・・・
規則というのは、
皆が作りたいお互いをいたわる世界を
土足で踏みにじろうとする輩が現れたときに
振りかざせばいい。
人間の「善」を
どこまでも信じようとすることが希望だし
それを伝えるのが教育なのだが、
ふと思った・・・
本末転倒・・・
この国のリーダーが
法律を守らなくともゆるし認めて(支持率が下がらず)
本人もしれっと総理をやっていられるのに
都バスの規則だからと
目の前の困った人に
やさしい言葉や対処を忘れている国に
未来があるのだろうか・・・
朝からこの記事を読んで
ふと考えこんでしまった・・・
都バスの車内に
「みんなかつては赤ちゃんだった」と
看板を掲げてはどうだろうか・・・
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genre : 育児