コロナは新たな一般疾患
以前も書いたスウェーデン・・・
➡心身のロックダウンは本当に正しいのか?
➡スウェーデン気質
そのスウェーデンの今現在を
YouTubeのニュースでやっていた。
「もう規制では止められない。
これがニューノーマルです。」
スウェーデン 政府疫学責任者 テグネル博士
(日本で言う尾身会長のような存在か)
この方は、スウェーデンでロックダウンせずに
感染爆発を起こしたとして
一時期批判を受けた人だ。
現在のスウェーデンのコロナ事情は
こんな感じだが、

この二つの大きなヤマを迎えても、
でも彼の信念は変わらなかった。
この国の感染対策は一貫して
規制しても仕方がない。
「コロナは新たな一般疾患」(ニューノーマル)
日本政治家よ、専門家委員会よ、
すでにそちらでは決まっているだろう100代目総理大臣よ、
Listen !
「コロナはニューノーマルなのだ」
政府疫学責任者 テグネル博士
まだわからないようだからもう一度言おう。
日本が半ば強制している
くだらない「新しい生活様式」とは違う。
コロナは、
New(新しいこと)、Normal(正常、標準、常態)!
つまり、「コロナは普通のこと」と宣言しているのだ。
「大事なことは私たちは普通の日常へ
既製のない社会へ一歩進もうとしている」
スウェーデン ハレングレン保険相
スウェーデン在住の日本人はTVの中で、
死生観が日本と違うという。
確かに現代は
その一面もあるだろう。
しかし、死生観なら
日本の「葉隠」(葉隠聞書 はがくれききがき)の方が
本家本元だろう。
肥前佐賀(鍋島)藩士
「山本常朝(やまもとつねとも)」(1659年~1719年)が口述した談話を、
同藩士で門人の田代陣基(たしろつらもと)が筆録した武士の修養書だ。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」
この有名なセリフは、
時代によって大きく誤解されてきた。
かの三島由紀夫は、
この葉隠を大いに誤解していた故に
割腹自殺をしたのだろう。
決して、切腹や仇討で死ぬことを美化した言葉ではない。
むしろ逆だ。
山本常朝はいう。
人は死ぬよりは生きる方がいい。死にたくない、生きたいと思えば思うほど行動が臆病になり、結果的に恥をかいて切腹に追い込まれることになる。むしろ、死のうと思い切ってしまえば腹が据わり、切羽詰まった場にあっても適切な行動がとれる。
恥をかいて切腹に追い込まれるを
現代のこのコロナ下で言い換えれば
人は死ぬよりは生きる方がいい。死にたくない、生きたいと思えば思うほど行動が臆病になり、結果的に自由を奪われ、やがて安全も奪われることになる。むしろ、死のうと思い切ってしまえば腹が据わり、切羽詰まった場にあっても適切な行動がとれる。
「自由を奪われ、やがて安全も奪われる」
本当に肝に銘じた方がいい。
葉隠の深意は、
生死にかかわらず、
正しい決断をせよ!
ということだ。
「生きたい」
「罹りたくない」
誰もが思う。
それはそれでいい。
ただ、言いなりになっている政府と彼らは、
いままで一度も、私たちのいのちを守ろうとしたことはないのだ。
そんなことは歴史を広げれば
枚挙にいとまがない。
ルールを作っても
基準を設けても
対策を練っても
全てが彼らの懐を潤わすようにできているのだ。
イルミナティの会議でも
私たちの健康など話していないのだ。
➡イルミナティが人口削減について会議している映像がネット上に流出
私たちの死を、
誰から死なせるかについてを、
論じているのだ。
彼らが考えるすべての政策は
いかに自分たちにお金が巡るか?
いかに自分たちの富が守れるか?
いかに自分たちの利益を邪魔するものを消していくか?
そういうことしか考えていないのだ。
ルールを作る者が得をする
基準を作る者が得をする・・・
すべての情報、ルール、検査、基準、政策に
彼らの意図がもれなく張り巡らされているのだ。
「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
それでも、彼らに大切な生活、いのちを預けますか?
先日、ある中3生たちが言った。
ワクチンで死ぬより
コロナで死んだほうがまし・・・
俺も最近それ考える・・・
わずか15歳の若者が
日常で死生観を語らなければならないような政策を
この国はしているのだ。
まさに、あの神風特攻隊の時代から
この国のトップの精神性は変わらないのだ。
「今後もコロナは蔓延する。
社会が認識し、受け入れるのが大切」
スウェーデン 政府疫学責任者 テグネル博士
日本人より上記の葉隠を
理解しているスウェーデンだ。
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令和buzz104・・・心身のロックダウンは本当に正しいのか?
自らの責任で行動を決めることに
誇りを持つスウェーデンと関係があると思っていただき
お許しいただければと思う。
さて、本題・・・
今週から当県でも再び学校がお休みとなっている。
子どもたちには、再び大量の宿題が出され、
その内容や様式を見ると
おそらく5月の中間テストがなくなった時の場合、
その宿題で成績を作るのだろうと予想できる。
このまま、学校が向こう一年間、
登校日を確保しつつの休校になる可能性もあろう・・・
また、マスクをつけることが常となり、
ソーシャルディスタンスが常となれば、
コロナの心配だけでなく
他の機能も失われそうだ・・・
それは、顔の表情から人の気持ちを汲み取ったり
距離を近づけることでお互いの親近感が生まれる・・・
そういった私たちが日ごろ何気なく行っている
コミュニケーション方法が通用しないということだ。
日頃から表情が豊かな人と話すと
マスクをされていても大体のことはわかるのだが
日頃から表情を抑え気味の人は
さらにくみ取ることが難しくなる。
このままいくと、
互いがどこか疑心暗鬼になって
人々がぎすぎすし始める危惧がある。
今まさにそれが進行しているように思える・・・
それに加え、日本の場合、
自粛は求めるが給付がなかったり遅れたりしているため
コロナ以外で心身の体調を崩したり
最悪の場合は自死を選ぶという結果にもなりかねない・・・
世界を見てもロックダウンした国の失業問題だったり
それに伴う心身の崩壊によって
自死に至る人も急増している・・・
実は、コロナ対策でロックダウンをしていない国がある。
スウェーデンだ。
➡新型コロナ対策で独自路線を貫くスウェーデン その理由と現在地
➡封鎖なし「スウェーデン」異色の緩い対策のワケ 国民の「常識」はコロナと戦えるのか
今こんなことをする国は狂気の沙汰なのか・・・
私は違うと思う・・・
この国と、ロックダウンをした国、
イギリスとを比較した衝撃的なグラフがある。
【英国とスウェーデンの人口 100万人あたりの新たな感染者数の推移の比較】

【英国とスウェーデンの人口 100万人あたりの新たな死亡者数の推移の比較】

どうだろう・・・
このグラフを見る限り、
ロックダウンがコロナ対策として
有効に働いているとは到底思えない。
このグラフは、以下の記事から抜粋させていただいているが、
➡新型コロナウイルスへの「ロックダウンという愚行」のほどを、強固な封鎖を貫徹する英国と、ほとんど何もしないスウェーデンの数字の比較から見てみる
そこにはこう書かれている・・・
1. 報告された症例数に関して、データは、英国のロックダウン政策が、スウェーデンの「ロックダウンをしない」政策より成功しているという証拠を示していない。実際、百万人あたりの感染者数においては、スウェーデンは英国よりも症例が少ない。
2. 報告された死亡数に関しても、これまでのところは、英国のロックダウン政策が、スウェーデンのロックダウンをしない政策より成功しているという証拠を示していない。実際、百万人当たりのスウェーデンの死亡者数は英国よりも少ない。 (theblogmire.com)
さらにこう続けている・・・
このように効果がない政策なのに、そのロックダウンのせいで、現在の英国では、何百万人もが仕事を失い、何千ものビジネスが破壊され、多くの人々のメンタルヘルスの状態が大幅に悪化し、そして、自殺が増加しており、介護者が来ないために高齢者たちが次々と自宅で亡くなっている。
新型コロナウイルスの影響での「全世界の失業者数」に関しては、億か数十億かの天文学的なものとなっていると思われます。
たとえば、その全失業者のうちの 1パーセントが自死に至った場合でも、それは新型コロナウイルスの死者数などとは比較にならない「人命の毀損」です。
このように、この2国だけを比較すると
良かれと思ってなされるコロナ対策が
却って人々の心身やいのちを断つ結果となっているように見える。
ならば本末転倒・・・
コロナで死にたくないと思えば思うほど
他の要因で壊れ死んでいく人類の現実・・・
私たちは、
何をもって「生きている」と定義するのか・・・
コロナだけ抑えれば、
またそれによって死ぬことだけ抑えられれば
「死んだように生きること」も
「別の死」にさいなまれることも
仕方がないのだろうか・・・
そこが今問われ始めていると思います。
コロナが長引けば長引くほど
真剣に私たちは考える必要があると言えます。
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