令和buzz270・・・カオスの美
今はカオス状態だ。
小さな子供の背丈ぐらいの雑草が生い茂り
手を付けるにも戸惑う状態だ・・・
毎年、この流れになる。
そんな時は決まってある方法をとる。
しばらく放置だ・・・
ずぼらでサボり癖の言い訳だが
人間の手に負えない、もしくは
手に負えたとしてもこちらの労力が負けてしまうときは
戦わないのに限る。
問題が発生した時、
人がとる方法は2つあろう・・・
緊急を要したり、
いのちにかかわることであれば、
すぐさまそれを取り除くことをせねばならないが、
それ以外は、放置する方が勝手に解決するときがある。
なぜ解決するのかはわからないが
抵抗をしないと本当に解決することが多い。
私はそれは、場の力、カオスの力なのではないかと思う。
または、複雑系の知と呼んでもいい。
うちの塾は、休憩時にちょっとしたカオスが生まれる。
学年も、やっている学習内容も違うし
通っている学校も違う・・・
その子たちが、
ゼノをやったり、
だるま落としをやったり、
将棋をやったり・・・
私はその場を笑って見ているだけだ・・・
すると、そこかしこで「いのち」がうまれる・・・
誰が生み出したかはわからないが
自然と調和が生まれるのだ・・・
天が生んだとしか言えない「いのちの場」は、
だれもそれを壊すことがない・・・
つまり、
人が嫌がることをしたり
けなしたり
意地悪をしたりということにならない・・・
むしろ、みんながそれぞれ人が喜ぶことをし始める・・・
狭い通路ではゆずりあったり
手が空いた人はおやつを配り始めたり
自分たちの輪の中へ誘ったり・・・
まさに、天が作りし「いのちが遊ぶカオス」・・・
このカオスは、最先端のコンピューターでも
予測できないらしい。
大人が作った制限のある自由ではなく
子ども自ら作った「調和あるいのちの場」・・・
それを目の当たりにするとき、
わたしも彼らが醸し出したそのいのちの末端で
お裾分けをいただき、その場を楽しむ一存在へと変わる。
指導とか、教授とかそんな言葉が
とても野暮に聞こえる世界が確かにあるのだ。
「私の関係するのは絶対的に人を解放することであり、
無条件に自由にすることであります」 ジッドゥ・クリシュナムルティ
(この動画のそれぞれの振り子がきっと彼らなんだと思います。)
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