秋、立秋のころ⑫・・・医療系ドラマが多いわけ
わたしはあまり見ないので気にも留めていなかったが
昨日、録画していたある医療系ドラマを見た。
これは子供たちにも人気があるというので
とにかく一話だけでもと思い、
どれどれ・・・と重い腰を上げてみてみた。
そのとき・・・
「ああ、最近医療系多いな・・・」
と思ってふと気が付いた。
-意見には個人差があります-
その一話は、小児がんで入院をしている子供が
一度手術を受けて、投薬治療の末、再発し
もう一度手術をするという状況だった。
学校に通わせたいと願う母親は二度目の手術を
子どもに告げられずにいる話だった。
母親の子どもへの願い、
母親の誕生日を家族で祝ってあげたいと願う子供・・・
「いつ退院できるのか?」と尋ねる母子のやり取りは
涙もろい私は、涙なしでは見れなかった・・・
しかしだ、しかし・・・
これは、抗がん剤治療への
根性美化話にもつながりかねないと思った。
抗がん剤の副作用に耐える子供を
「強い子」「きっと二度目の治療にも耐えられる」と誉めるシーンは
それまで涙してみていた私の頭をとても冷静にした。
心で流す涙の温度とは反比例に、頭が冷めていく自分がいた。
(ディズニーの映画やアニメを見ていても、
こういことがわたしにはよくある)
世の中には、
抗がん剤治療や手術で、
よい結果になる人もいれば、そうでない人もいる。
医療の進歩で救われるいのちもたくさんある。
もちろんそうである。
ただ、うちの母は、ご存知のように
手術も、薬も・・・治療の選択方法としては選ばなかっただけだ。
ただ、どちらを選ぶにしても
光と影があるのはまちがいない。
それなのに、抗がん剤治療を
「この子は頑張って耐えられるから・・・」というセリフひとつで
抗がん剤の副作用に目をつむらせるドラマは
やはり「ドラマ」だなと思わざるを得なかった・・・
しかも、ドラマ設定が、普遍的な決して人間が否定しがたい
母子という「情」にからめるのは、ドラマ「コウノトリ」も同じだ。
だから余計、真髄に気づきにくくなる。
これを書いている矢先、
医学部の学費が全額無料に。ニューヨーク大学が画期的な奨学金を発表
というニュースが飛び込んできた。
アメリカ医科大学協会によると、
2017年にアメリカの医師の75%が学費のために借金を抱えており、
私立大学卒業の医師の借金は平均2240万円ということだから、
たしかに無料は素晴らしい。
しかし、そこまで医者を増やして
いったい何が待っているのだろうか・・・
無料商法・・・
ふとそんな言葉が浮かんだ。
携帯本体は無料だが、あとからの通信料や
有料、課金アプリ等での利益が目的であったり、
PCのプリンターが至極安いけれども
そのあとのインク代がバカ高いように・・・
また、浄水器は、ただ同然だが
それを継続して使用するためのカートリッジなどの備品が高い・・・
つまり、
医者になるのはタダだが、
たくさんの医者(医療機関)を増やして
その後の手術、薬や抗がん剤・放射線治療などを
収入の柱にしよう・・・というわけか・・・
-うがった見方でごめんなさい-
抗がん剤0.1グラム7万円、
注射器一本700万円だそうです。
無料商法・・・
まんざら大きく外れていまい。
ちなみに医者がいないほうが平均寿命を延ばしている夕張市。
2007年、市の財政破綻により市立病院がなくなった街です。
➡病院がなくなっても幸せに暮らせる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ
なんと今では、世界から「夕張モデル」として
高齢社会で考える医療のモデルとして注目を浴びている。
なぜか医療ドラマが流行る日本(医療、投薬のイメージアップ!?)・・・
無料商法で、製薬会社の利益を伸ばす世界の医療界!?・・・
破綻後に、かえって死亡率も、健康寿命も延びた夕張市!・・・
そういうことを総合してみていかないと
ドラマの美談に流されていく何かをつかむことは難しいかなと・・・
そんなことを考えた朝でした。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
夏、夏至のころ⑥・・・永遠の素人
そう、わたしは思う。
わたしは、いまひょんな流れでカフェの店主をやっていたり、
塾の塾長(一人経営)をやっているが
プロと思ったことは一度もない。
プロという定義を
「お金をもらうから」とか・・・
「何度やっても同じ結果を残せるから」とか・・・
「その人にしかできないレアさがある」とか・・・
他にもこんなにたくさん考えた方がいらっしゃる。
➡プロフェッショナルとは
しかしどうだろう・・・
このどれかが、もしくはすべてが正解だとして
いったい私たち労働者の何パーセントの人が
「プロ」に当てはまるんだろう。
少なくとも私は当てはまらない。
ある大手民間会社出身の校長の有名な授業がある。
さすがに大手企業出だけあっていわれることが論理的だ。
その人の職の希少性を高めるには
この百万分の一の人材になるといいらしい・・・
ひとつの分野でそれをするのは
いわゆる羽生結弦などのメダリストになることだから
おそらく無理で・・・
わたしたち普通の人?は、
百分の一の価値あるものを3回(3分野)掛けて、
百万分の一になればいい・・・
という論理である。
(百万分の一はオリンピックのメダリスト級の確率らしい。)
はー・・・
ここまで書くだけでも何やら疲れるが
しかもそれは誰にでもできるらしい。
???
わたしは、その方の動画を見ていると「疲れる」し
書いていても「疲れる」のだから、
たぶん誰にでもできない(すでに私が例外だから)と思うが・・・
また、だれにでもできるのなら百分の一でもないと思う。
いわゆるどこかの歌のオンリーワンということだと思うが
人間、オンリーワンもナンバーワンもなるのはとてもとても難しい。
やってみたことがある人はわかっていただけるし
なれないことは本人の努力不足が原因だけではないだろう。
その方は公私ともに「今の教育を変える」というメンバーの
主要な位置にいらっしゃるらしい。
ここからは私の勝手な考えで
久しぶりにこのカードを出して進めたい。
-意見には個人差があります-
この方が厄介なのは
論理的に正しいことを言われているからだ。
「論理的に正しい」でこられると
とても生きにくい世の中になる。
人間とは弱い生き物である。
その弱いはいろいろある。
さぼる
こうげきする
いいわけをする
つづかない
楽をしたい
・・・
この部分が全開な人々は(笑)
果たしてこの論理に納得するだろうか・・・
わたしも見ても聞いても「疲れる」のだから
間違いなく弱い人間である。
また、人間が持つこの弱い部分は
論理で片付く問題だろうか・・・
そして、もうひとつ・・・
「最初に旗を立てたやつが勝ち」らしい。
資本主義では、これも論理的にはあっている。
その証拠の例も挙げられる。
「例えば協会をつくって、それで何か教科書をつくって、
検定つくっちゃって、会費とって、家元制にする。
これでお金がものすごい流れ込んだんですよね。」
だから
スピ系、占い系、自己啓発系の分野で家元制が多いのか・・・
と納得(論理的合点)したりするが
自分はやりたいとは思わない。
たしかにこれは、
資本主義の合法的、合理的仕組みである。
しかし、わたしはこの仕組みが嫌いである。
嫌いというのは、まったく論理的ではない。
でも、この論理的でない私の感情が、
「論理」より優先してしまうのである。
もし・・・
この「論理」でないと生きていけない・・・
「レア」にならないと生きていけない・・・
という無言の社会的圧力があったら
わたしはまちがいなく病気になる(笑)
また、嫌いな理由は明らか・・・(ここは論理的)
子どもたちにそういった胴元制の世の中を残したくないからだ。
巻き上げる側にも
巻き上げられる側にもならずに
フラットで 自由に 気楽に
生きていく世の中を残したいから
そういったことに加担はしたくない・・・
昨日父のことを書いたが
父が背広職人(テーラー)になるのに
もちろん修業した親方がいる。
しかし、
その親方から独立した後、
一切の家元制はない。
中間マージンも定期的に親方に納める上納金もない。
正真正銘の暖簾分けだし、独立である。
だから父は
誰気兼ねなく、自由に仕事をし
自由に遊んだ。
なぜ今はそうならないのか・・・
いつまでも子分、弟子を抱え込もうとするのか・・・
わたしには不思議でならない。
背広の型紙に著作権などない。
親方から学び、技術を身に付け、一人前になれば
親方と同じ土俵で職を全うする。
そこにもう上下はない。
著作権やら家元制やらで
始めるときも、そしてそれをやり続けるときも
なんらかの上納金(会費)を出し続けないといけない世の中は
ほんとうに「普通のこと」なのだろうか・・・
論理的であることは確かに大切な要素だが
論理的に正しければ、
みんなが気持ちよく生きられ、
問題が解決するというのは少し違う。
弱いから強くなれとか
弱いからほおっておかれてもしかたがない、
自己責任だというのは
人間が、考えることを放棄し、
智慧と共感を出し渋る、
かえって怠惰な状況だということになりはしないだろうか・・・
そして、論理は往々にして損得と絡まる。
だからやっかいなのだ。
どうやら「論理」というのは
いのちをこねくり回すのが好きなようだ。
そろそろ梅雨が明けそうだ。
論理の外で人間が気楽にやさしく生きられるように・・・
夢想家と言われようが、
わたしはいつもそんなことを考えながら
塾のソファーでまったりと子どもたちを待っている。
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genre : 心と身体
tag : プロ「意見には個人差があります」
夏、小満のころ④・・・言わずにはいられない
スポーツを愛してきた人間として・・・
日頃、塾講師として、スポーツに汗をかく子供たちを見ていて・・・
昨今の大相撲やレスリング、アメフトの騒動を見て思うこと・・・
外野からで大変僭越ですが・・・
どうか言わせてください。
もう、子どもたちにスポーツをさせることで
心技体が育つと過信しないほうがいいと思います・・・
育つどころか
その育成に害さえ与えることもあること・・・
理由① 心技体をバランスよく育てる指導者が少ないこと
理由② 指導が勝つことばかりに傾き、きちんとした負け方を教えないこと(もしくは負け方を知らない指導者が多いこと)
理由③ 指導者側の組織が大きくなりすぎて、指導者自らも背負うものが大きく、自由がきかないこと
≪日頃、指導者と言われる大人の方へ≫
どうか、不安に付け込み、
脅して(操作)アドバイスをするのをやめてください。
どうぞ人間の気持ちを萎縮させることはおやめください。
以前の記事➡エネルギーバンパイヤ
≪日頃、スポーツを楽しむお子様がいる保護者の方へ≫
どうぞ大切なものを見失わないでください。
どんなスポーツにしろ、それはプロでもアマでも・・・
ゴールは、スポーツそのものではなく、
そこで何を得て、何を学ぶのか・・・
こころの成長です。
それがかなわぬ指導者のもとからは
いっそ離れる勇気を持ってください。
「意見には個人差があります」
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tag : 「意見には個人差があります」エネルギーバンパイヤ
春、穀雨のころ⑬・・・さださん
「意見には個人差があります」というフレーズ・・・
「年の初めはさだまさし」や
「今夜も生でさだまさし」でさださんがよく言います。
歌やタオルまで作られています(笑)

要は、毒舌を言いたいのだが
あまりにもきつくなりすぎてよろしくないので
雰囲気を和らげたいときに使うパロディ(笑)である。
笑いは、人の心を解きほぐし
言いたいことが伝わりやすくなる・・・という効能がある。
相談行(菩薩行)をしていて
笑いが起きた時は大成功である。
笑いとともに、言いたいことがちゃんと伝わるからである。
「意見には個人差があります」
この言葉・・・笑いながら、しかも
言いたいことはきちんと言えるので
わたしは大好きだ。
傍観者のような、また、
ふざけた責任転嫁したような笑いとは違う
「主張」がちゃんとある「笑い」・・・
これを絶妙のタイミングで採用するさだまさしさん・・・
いやぁ~天才です。
歌舞(カブ)く天才、桑田佳祐さんとともに
パロディを真面目に=まじパロの天才、さだまさしさん・・・
さだまさしさんが天才なのは
笑い泣きができる歌をつくることです。
笑い泣きとは、この世の中で一番
心の浄化になるんじゃないかと思えるほど
素晴らしい感情の発露です。
チャップリンの映画もそうです。
いまのTVの薄っぺらいくだらない笑いではなく
泣いている自分の底辺を自分で笑い・・・
笑える滑稽な主人公に
たぐいまれなるピュアさを感じ取って泣けてくる・・・
私の人生上、出会った芸人では、
昭和の喜劇役者(松竹新喜劇)の
藤山寛美(ふじやまかんび)さんが最後のような気がする。
それほど、本物の芸人が生まれなくなってきている。
チャップリンも寛美も父が教えてくれた。
「芸は水に字を書くようなもの
書き続けないと見えなくなる」
寛美さんの言葉である。
笑っているうちに泣けてくる・・・
泣いているうちに笑えてくる・・・
まさに
苦の中にいて苦のままで楽である・・・
なのです。
GW、時間もあるのでこの本を読了した。
中学から高校にかけて
さださんの歌を聴いていると
「暗い」と言われたが、
この年になっても、偉人は偉人。
12歳年上で、
辰年という共通項もうれしいかぎりだ。
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
十年、をちこち・・・65
訪れた会場は、大都会のビルの一室でした。
入ってすぐ、いろいろと異常さがわかりました。
①置かれている椅子(人数)のわりには、部屋が狭いこと。
②しかも、窓が一つもないこと
③並んでるイスが、空間がなく、ぎっちりと詰められていること
④待ち時間、同じ言葉ばかりが繰り返される音楽が流されていること
⑤本来、前にある掛け時計が(釘がある)外されて、うしろの机に置かれていたこと
⑥セミナーご本人の声が、やたらと不自然な甲高い声であいさつされたこと
(実は、声の不自然な高さは、その人が自然かどうかのバロメータです)
⑦⑥のわりに、若いスタッフはすこし遠慮がちに(ごく普通に)あいさつされたこと
洗脳は、たくさんある個人のアンテナを一つに絞らせ
主催者が提供する、ある一つの情報に集中させようと誘導します。
時計がないのは、帰る時間や日常のルーティンを
思い出させないようにするためでしょう・・・
主催者が与える情報以外に
気を散らさせないためです。
椅子がプライベートゾーンを省いて並べられているのは
会場の偽の共感、連帯感、高揚感を生み出すためではないかと思います。
現に、途中で
「〇〇につながる方法」と称して
隣同士向き合って、感じあうワークがありました。
異常だと思ったのが、
誘導するのはそのセミナー担当者本人でした。
まさに洗脳でしたね。
わたしは、もちろんpiyoさんとやりましたが、
「なんじゃこれ!?」
と笑いをこらえるのに必死だったのは言うまでもありません。
まるで、学校の教室で
ふざけて授業の妨害をするおちゃらけた生徒のようです(笑)
授業を聞きたくない生徒ってこんな気分なんだろうな・・・と
こちらのほうが妙に共感しました。
実は、最後に配られた紙に
主催者側からの注意点が書かれていました。
よくあることですが、それは
小さな小さな字で書かれてありました。
わたしたちのような目的が違う来場者が
営業妨害のようなことをすると
専属の弁護士を使って
法的な処置をとる とまで書いていました。
ほんとうに、ご自分に自信があれば、
なぜこんなことを書く必要があるのでしょうか・・・
不思議でした。
たかが、自分と意見が違う小さな個人です。
その個人を、会社お抱えの弁護士を使って法的措置をとるそうです。
なんか
フェアーじゃないな。
これが、正直な感想です。
いままで、いろいろな方のお話を聞きに行っていますが、
ここまで書かれている人に初めて出会いました。
そのセミナー担当者の日頃の言葉は
「愛を高める」やら
「無条件の愛」やら
「愛のエネルギー」やらですから、
なにか???です。
ちなみに、勧められたバックエンドの商品※は、
三桁の〇〇〇万円でした。
※バックエンドの商品:セミナー最後に勧められる商品
わたしたちが心の声を聴くのに
誰の誘導もいりません。
かえって邪魔です。
従うのは、自分の内なる声だけでいいのです。
くりかえします。
誰にも教えてもらう必要はないのです。

-意見には個人差があります-
ちなみに、ここでは書けないこともありますので
直接会いに来てください。
あ、うちにはバックエンドの商品はありませんので
ご安心を・・・(笑)
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
tag : 「意見には個人差があります」洗脳