竹取の翁と夏の工作・・・
もちろん、8月の宙の森体験のための材料集めです。

今回は若い竹も切ったので、竹を切ると、節から白い粉がでてくることに初めて気づきました。
何でもやってみないといけません。
きった瞬間「ばーっ」と白い粉が吹き出てきたのを見たときには
いのちを途中で絶えさせたというなんとも言えない申し訳なさと切なさを感じてしまいました。
まるで竹の涙です。
子供たちと大切に使いますのでどうぞお許しください・・・
そう祈りました。
ところで、この白い粉の正体は、「アミノ酸」です。
筍を煮たときにでてくる白い塊と同じものだと思います。
調べてみると・・・
「竹の子を切ると,ひだ(節)の間に白い粉がついていることがある。これはチロシンというアミノ酸のかたまりで,木化物質のリグニンを合成するための材料になる。大きなからだを支えるためには,細胞のまわりを固い物質で固めること(木化)が必要である。タケは,木化物質の材料を事前に蓄えておくことで,急激な成長に備えているのである。」
ということのようです。
一日に1メートル以上も伸びるといわれる竹のものすごい生命力を感じます。
さて、昨日は小学生の兄妹と一緒に
夏の工作も兼ねてさっそく竹の水筒と水鉄砲を作りました。

水鉄砲の本体がまん丸ではなかった(U字型)ので
シリンダー作りが大変でした。
本体はまん丸に近いものを選ばないといけません(笑)

(水鉄砲の穴)
あと水筒の穴が割れてしまい、まん丸にあけることが出来ず(苦笑)・・・

本当はキャップもしたかったのですが・・・
どうしたらまん丸にあけられるのか・・・今後の課題です



(ヤスリで水筒を磨くSちゃん)
次の授業もあってあわただしく、完成画像を撮り忘れてしまいましたが、
何とか形になってよかったです。
私の母方の曽祖父は、理一郎さんといって材木商で一代で財を築いたつわものだったらしいです。
しかし、戦後の農地改革で、全ての土地・財産が没収・・・
幼い母は親戚の屋根裏部屋とかを借り歩いての生活だったらしいです。
父はテーラーで自営だったので、私が小さいときによく暇を見つけては
竹や木の糸巻きでおもちゃを作ってくれました。
そういった血を引く私が、今こうしてご縁があってお店の「木じいちゃん」に呼んでいただき、
試行錯誤で下手ながらも子供たちと一緒に竹で工作をするご縁を頂き、
なんともありがたく不思議な思いです。
ひいじいちゃんも見ていてくれてるのでしょうか・・・
今年もお盆がやってきます。

AddCafe*(ノ^∀^)ノ*8月の予定
またひとり巨匠が逝く・・・
全く相容れないはずの二つの言葉が
否応なしに重なる「祝島」のお話をさせていただきましたが、
今月の初め、大切な巨匠が永眠されました。
一貫して歴史の隙間を生きた人々に光をあてて民族文化を研究された沖浦和光さんです。
沖浦さんのことは、花結び(音読会)の本で初めて知りました。
私には、祝島に住む人たちと、沖浦さんが生涯をかけて研究された人々がとても重なるのです。
その人たちは「まつろわぬ民」と表現してもいいと思います。
(まつろわぬ民・・・平定事業において抵抗を続け、帰順しない民族)
「まつろわぬ」という言葉はこの本で知りました。
とても惹かれました。
※まつろわぬ神とは・・・記紀神話などにおける神々の争いや平定事業において、抵抗し、帰順しない神。天津甕星神(あまつみかぼし)などがこのように呼ばれることが多い。

私たちは、自分のアイデンティティをどこまで自分の内側(芯)に持てるのか・・・
また己の価値を、帰属や人との差異ではなく、
どこまで浮遊(不確かさ)と他者との共通点に見出すことが出来るのか・・・
国防とか国益とかが飛び交う昨今ですが、
この人ほど等身大の「ヒト」や「くらし」の歴史を知ることの大切さを
訴えた人もいないのではないかと思います。
沖浦さんの思いと生涯の研究がコンパクトにまとまったいい記事がありました→「日本人」はどこからきたのか
よろしければ、お立ち読みしてください。
お会いしたい人には、すぐに会いに行かないと間に合いませんね・・・
これからは、ご著書とともに会話、勉強したいと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
祝島のびわの種

実は、自分が頂いたびわの種ともう一種・・・
山口県、祝島「民宿くにひろ」さんから送っていただいたびわの種が入っています。
祝島(いわいしま)ってどこにあって、どんなところか・・・

かわいいハート型の島です。

祝島は、「宙の言の葉」でもお話して、みなさんで一緒に勉強したのですが、
政治的なことをあまりに多く書くのは・・・とこのブログでは控えていました。
それを今回書きたくなったのは昨日の花結び(音読会)での何気ない会話でした。

今の花結びは、自然放射線と人工放射線、姫川薬石のことを勉強していますが、
どうやら、ここ三重では人工放射線(つまりは震災や福島のこと)を忘れ始めているのでは・・・と
話題が上ったからです。
びわの種の向こう・・・祝島には、がんばっている人がいる・・・
それをお知らせすることが今の自分に出来ること・・・
純粋に、できることで応援したいと思って今回は書くことにしました。
そして、出来るだけ冷静にお伝えできればと思います。

祝島「ほうりの島」・・・ハート型のかわいい形とは裏腹に
この島は35年もの間、原発問題で揺れています。
映画にもなり、そのHPにはこう書かれています。

・・・1000年前、沖で難破した船を助けたことから
農耕がもたらされ、 子孫が栄え、
現在に至るまでいのちをつないできた小さな島がある。
山口県上関町祝島。
瀬戸内海に浮かぶこの島は、台風が直撃することも多く、
岩だらけの土地には確保できる真水も限られ、
人が暮らしやすい環境とは決していえない。
その中で人々は、海からもたらされる豊穣な恵みに支えられ、
岩山を開墾し、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、
分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。
人間の営みが自然の循環の一部であることが、祝島でははっきりと見える。
「海は私たちのいのち」と島の人は言う。
1982年、島の対岸4kmに原子力発電所の建設計画が持ち上がった。
「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」
という祝島の人々は、
以来28年間反対を続けている。
効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。
大きな時間の流れと共にある島の生活。
原発予定地と祝島の集落は、海を挟んで向かい合っている。
1000年先の未来が今の暮らしの続きにあると思うとき、
私たちは何を選ぶのか。
いのちをつなぐ暮らし。
祝島にはそのヒントがたくさん詰まっている。 ・・・(引用終わり)


もう一つの映画もあります。

原発とお金、政治は切っても切り離せません。
驚かれる方もいらっしゃるとは思いますが、
勉強されたい方はこちらをご参照ください。
特に、この記事の前編とあわせて読んでいただくとよりわかりやすいかと思います。
「祝島、原発」で検索すれば 情報は他にもいっぱい出てきます。

福島の方たちに、原発問題に私たちが出来ることは確実にあります。
当たり前のことって何なのか・・・
自然体って何なのか・・・
暮らしって何なのか・・・いろいろな勉強も必要です。
自分に出来る援助と勉強をしていくことが今の自分に大切だと思っています。

(島は、猫島としても有名です。ねこにっきさんより)
猫派としても一度は訪れたい祝島ですが、

いつか伺うその日まで、
三重と祝島のびわの種が焼酎の中でゆっくりと熟成されるのを
一つの大切なメッセージとして過ごしたいです。

小児科医でもあり、自らも障害を持つ熊谷晋一郎さんは言います。
『「希望」の反対語は「絶望」ではないと思います。絶望を分かち合うことができた先に、希望があるんです。』

宙の言の葉では、これからも「希望」という名の分かち合いと学習を続けていきたいと思います。
よろしければ、ご一緒に・・・
宙の言の葉:毎週木曜日午前10:00~11:30(ワンドリンク付2000円)
追伸:
原発に頼らない「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」もご覧ください。


(平さんの棚田)
7月宙結び随想 ~「飽き」と暮らし~

「飽き」というものは、同じことを同じように繰り返される過程で
心が「耐えられない」という気持ちになる一種の鬱積のようなものだ。

しかし、この「飽き」との向き合い方が人の成熟度をあらわしているように思う。
そもそも成熟した人というのは「飽き」という感情さえ生まれてこない。
「同じこと」が繰り返されても全く動じないのだ(笑)

「あたりまえ」ということが「あたりまえ」になっているといってもいい。
それだけ軸がしっかりと、でもゆったりと構えている。
まるで古武道の「正中線」のようである。

小さいころ、何度も筆箱を変えたり、
その筆箱の中には、同じ赤ペンが何通りも入っていたり・・・
同じお弁当のおかずや毎日のご飯に文句や愚痴をこぼしたり・・・
本当に未熟な時期が私にはあった。
今思えば、「飽き」に翻弄され、
次にやってくる飽くなき「所有」に心をのっとられた
お恥ずかしい限りの時代である。

その全てが少しずつ確実に「感謝」(飽きとの決別)へと変わったのは
学生時代ひとり暮らしを始めてからである。
何てことはない・・・暮らしの一瞬一瞬、ひとこまひとこまを
全て自分でしなければいけなくなって初めて「当事者」の意識が持てたからである。
どうやら人は当事者になるまで気付かない習性があるらしい・・・。
そして、「当事者」になることは「飽くなき追求」を終わらせる最大の武器のような気がする。
私が若者に一人暮らしや一人旅を勧める理由はそこにある。

私の暮らしの「正中線」ってなんだろう・・・
そして、私たちに共通の暮らしの正中線があるとしたら、それはなんだろう・・・って考えてみた。

黒蜜が、ある一点に集まり、垂直に美しい糸を引きながら落ちていくように(笑)
私たちに共通する美しい落としどころ(落下地点)はあるのだろうか・・・。
いまの世の中、意見の相違と目的の多様化が目立ちすぎて
ややもすると「みんなそれぞれでいいんじゃない!?」となっていく。
確かにそう、確かにそうなんだが、
本当にそれだけで私たちは生きていくこと(呼吸)が出来るのだろうか。

青臭いことを言うようだけれど、
私は違うと思う。

「それって、なんかいいね」
「うん、いいね」
と思わず言葉がもれることなしでは
人はきっと窒息してしまうのではないんだろうか・・・
同じ場所で同じ気持ちになっている・・・
何気ない会話ができる幸せ。

「キヒゴン」の創作そうめんの売り切れ間近・・・
ふと店にあった素麺をゆがきたくなり・・・
みんなで食べた(笑)

そのなんとなく「いいね」の光景・・・
そういう日常が私たちを生き返らせ、潤すんだと思う。

今日、この瞬間でさえ、
世の消費社会は、「飽き」を起こさせないよう新しい商品を
必死につくり上げ、必死に生産し、必死に販売する。
これが人間の等身大の生業を失わせ、人の心を疲れさせ、
しいては地球資源の無限の搾取にも繋がっている。

私が小さいとき「大きいことはいいことだ~♪」と
どこかのお菓子メーカー(?)がCMしていた。
あのころは、高度経済成長の残り香がまだあったときで
消え細る「成長」の尻尾を大人たちは必死につかんでいたように思う。
子供の私も、何の疑いもなく無邪気に、無知に口ずさんでいたものだ。
「飽き」という感情をうまく煽り、
永遠に新しい「何か」が必要なような「誘い」がどんどんやってくるのが
今の「飽き」「消費」という世界であろう。

私のホットサンドの代金がそのままキヒゴンの素麺代へと移動する。
そこには、「利子」も「不労所得で搾取された分の取り戻し」も
「よく見えない中間マージン(手数料)」も発生しない純粋な交換があるだけである。
「これだったら物々交換で十分だね」と笑い合う空間に
ささやかな暮らしの希望が存在する。
巨大な消費イベントという場が、
人間らしいゆるやかな「結」と「交換」の場に代わるときもまた・・・
「いいね」がひとつ生まれる。

安保法案でデモを仕切っていたリーダーの学生が
「本当はこんなことしたくないんです。早く普通の生活に戻りたいんです。」
といった言葉がとても印象的だった。
ここでいう「普通」というのは、単に「普通」で「飽き飽き」した日常ではない。
それは、無言で追い立てる「飽き」のリングから開放された、素晴らしくありふれた暮らしなのだ。

「飽き」は「破棄」と「所有」をもたらし、
「暮らし」は「守り」と「循環」を重んじる。
保守という意味ではなく、「当たり前のことを当たり前に出来る」という守りだ。
戦時中、広告という手法で戦争推進の片棒を担いでしまった花森安治さんは
戦後、自戒の念を含めてこういっている。
「そのとき(終戦直後)、おぼろげながら思いついたことは、戦争を起こそうというものが出てきたときに、それはいやだ、反対するというには反対する側に守るに足るものがなくちゃいかんのじゃないか。つまりぼくも。含めてですよ(略)一般のわれわれは、それがなかったら簡単にゴボウ抜きだ。抜く必要もない、浮いておるんだから、こっちへこっちへ寄せてくれば、吸い取られてしまう。風呂のアカみたいなものだった。
それでぼくは考えた。天皇上御一人とか、神国だとか、大和民族だとか、そういうことにすがって生きる以外になにかないか。ぼくらひとりひとりの暮らし、これはどうか。暮らしというものをもっとみんなが大事にしたら、その暮らしを破壊するものに対しては戦うんじゃないか。つまり反対するんじゃないかと。」
ガンジーもいいます。
「あなたのすることのほとんどは無意味であるが それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは 世界を変えるためではなく
世界によって自分が 変えられないようにするためである。」と・・・
花森さんやガンジーの言葉には、
その時代の当事者にしか出てこない貴重なトーンがある。
反対とか賛成、どちらの言葉を使うのかなどという議論(空論)を
超えた気づきと重みを現代の私たちに知らせてくれている。
平成の時代を生きているsora-piyo・・・
とりあえず・・・これからも微笑みながら、
そばにいる人と笑いあいながら・・・
当事者としてぽちぽちぽちぽち続けていきます。

よろしければご一緒にいかがですか・・・
宙結び、ありがとうございました*(ノ^∀^)ノ*
宙結び、嬉しい追加*(ノ^∀^)ノ*
7月宙結び(*@v@)ノ
宙の森体験授業 ~四大元素と子供たち~
彼らの顔を浮かべながら
色々と案を浮かべていました。
色々出るも、なかなかこれだ!としっくりくるものが出てこず・・・
ふとある原則に気がつき「これだ!」が見つかりました。
それは、体験の中に「四大元素」が入っているということが大切だということです。
四大元素とは、「火・空(風)・水・土」です。
実はこの四つの一つでも欠けると
ダイナミックさ、いいかえれば丸ごとの生活感覚が消えてしまうのです。
「四大元素」とは本当によくいったものです。
「体験授業」は「単なる体験」ではいけません。
それが経験となり、やがて自然に生活に入っていくことが大切です。
その体験を通して、今「生きてるって楽しいな*(ノ^∀^)ノ*」と感じて欲しいのです。
また、大人が全てお膳立てして、「はいどうぞ」では意味がありません。
子供は小さな大人ではありません。
その全身丸ごと何かにぶつかり、経験をしている「偉大なるいのち」そのものです。
ですから、必要以上に大人が用意周到にしないというのが
「宙の森体験授業」のモットーです。
(単なるずぼらともいいますが・苦笑)
で、今回の夏の企ては・・・こちら・・・

「石釜ピザ」を焼きます。
生地からこねこねしてみます。
うまく出来るかどうか・・・笑
竹の玩具も作れたらとも思います。
そのまま学校の夏の工作として提出できます。
もちろんわたしも前回同様
全て初めてのことですから試行錯誤になると思いますが、
それはそれでいいと思います。
一緒に工夫して創っていくという感じです。
そして、最後はみんなでおいしく楽しく・・・
何より自分がいちばん楽しみかもしれません(笑)
ご報告:みちのく未来基金様より・・・

改めまして皆様のご協力ご賛同いつも本当にありがとうございます。
人の進化に流れがあるとしたなら
その一つがこういったことではないでしょうか・・・
「まずは自分が出来ることをやる」
そして、「自分とみんなが出来ることを少しだけ呼びかけてみる」
その流れの中で
できるだけ偽善をなくし、
できるだけ我をなくし、
そして、そういうことさえも考えないぐらい
できるだけすべてが自然になるように・・・
そう生きていくことなんだと思います。
すべては自分と宇宙との対話・・・

「死ぬまで生きる」というシンプルで当たり前のことをしている
森羅万象、生きとし生けるもの全てが楽しく、安寧でありますように・・・
7月笑市ご報告(*@v@)ノ

※緑の募金ご報告:街頭660円、ご出店様より(6件)3000円
ご協力ご賛同、誠にありがとうございました。
「笑市」の名前の由来は、
100年後もみんなが笑って暮らせる世の中をみんなで創りたい・・・
そのためには、どうしてもお金の問題は避けて通れないと思い
等身大の経済活動・・・というテーマを掲げました。

今の若者や小中高校生、
小さな子供たちがこの活動を見て
何かを自分たちの手で、
身の丈のあった形で、
何かを生み出す力を身につけてもらえたら・・・。

できれば、自分を壊さずに
できれば、身の回りの環境を壊さずに
できれば、半径100メートルの身近な人々を少しだけ勇気付けられるような・・・
そんな現役中年(笑)や若者や子供たちが増えたらきっと
世の中は良い方向へ変わっていく・・・
そういった思いではじめました。
子どもたちは言った通りにはなりません。
やったとおりになります。
背中を見ています。

私たちは意識するしないに関わらず
必ず何かを遺します。
私たちが大人からバトンパスされたものは、
本当にたくさんありますが、
それと同じように私たちも知らず知らず
バトンパスするものがあります。

(キヒゴンのエスニックなそうめん)

(KCSセンターさん)
スピリチュアルな世界でよく言われる言葉・・・
「足りないことは何もない」
「しなければならないことは何もない」
自分を見失って傷つき続けた人にとって
確かにこういった感覚を取り戻すことは凄く大切です。
大事すぎます。
そうは、そうなんですが、
その人の心の状況や経緯によっては
日常的な感覚として少し違和感を覚えることがあります。
その傷ついた人たち、子供たちの現状の一部を見たとき
皮肉にも、そのしなければならない事が見えてきてしまうのです。
大きなお世話とわかっていながら(笑)
そういった「ほおっておけない」気持ちが
毎月のsora-piyoの活動のささやかな動機です。

(ya-flowさん)
さだまさしさんは、そのことを
「みんなが元気で楽しかったら最高だなぁ」という
僕が(さだまさしさん)がうっかり持って生まれてしまった
「サービス精神」と言っています。
なるほど・・・(苦笑)

(みのりフォト)

(今回はテント出店してくださった!On y va! cafe さん)

(キヒゴンの洋風そうめん)

(piyoさんちのホタテ&たこの釜飯)
あの世に還ればきっと
般若心経の言うように
この世の行動も現象も全て色即是空なのでしょう。
しかし、その色即是空は私が導いた悟りなのか・・・
ブッダでさえもそこまで悟るのに
彼の半生を使っています。

その悟った人の言葉をまるでわかったかのように
結論だけ用いて生きていくということは、
本当に生きているということなのだろうか・・・

ちなみに、「すべて空なり 」は、何も無いということではなく、繋がっているということです。
※仏教の「空」は虚無を意味する空ではない。人の命は肉親と繋がっているだけではなく、これまで食べてきた全ての命とも、日光や水、酸素を生む植物、この宇宙にある全てのものと繋がっており、誰しも他から切り離されては存在できず、あらゆる物質と溶け合っているという、極めて深い感動的な意味での「空」だ。この世の全てが巨大なひとつの生命であること、これを一文字で表したものが「空」だ。ゆえに「色即是空、空即是色」(世の全てが空であり、空はまた世の全てである)となる。※あなたは私であり、私はあなたであり、鳥も、花も、星も、道端の石ころまで同じ存在である…。(あの人の人生を知ろう ~ 釈迦編より)

「あらゆる物質と溶け合っているという、極めて深い感動的な意味での『空』だ。」
ここでは確かに「繋がり」という足跡を残して「個」は消えます。
でもその個は、繋がる「全て」と同質になるわけ(空)です。
わたしが、色即是空のこの世で確かに感じる「何か」とは・・・
「今」という時の中にある「繋がり」なのかもしれません。
個人のものか全体のものか・・・それはわかりませんが、
それはきっと生き通しで続いていくんだと思います。


その「何か」がより良きものになるように・・・

(飛び入り参加のピアニスト大谷さん)


自分たちに出来ることを少しずつ・・・
これからもぽちぽち続けてまいります。
よろしければ、ご一緒にいかがですか・・・

色即是空・・・空即是色・・・
こうやって差し出される赤子の指は、
私(あなた)そのものなのですから・・・
100年後も笑いましょに!ご報告


先週の金曜日、
各募金機関へ皆様からお預かりいたしました募金を
取りまとめて納めてまいりました。
いつもご協力・ご賛同誠にありがとうございます。



2012年宙結びの一回目は中央共同募金を通して東日本大震災義援金として4400円を納めさせていただきました。
その後は一貫してみちのく未来基金へと納めさせていただいております。
只今宙結びの募金総額は、5万7011円となりました。
また同じく2012年スタートの笑市は「緑の募金」(東北の海岸に木を植えよう)に納めさせていただいております。
今までの6月までの総額は17万9294円となりました。
毎月毎月の募金は少しずつでも
こうして3年近く三重県津市から東北へと
皆様のご協力と思いを伝えられたこと、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
緑の募金は、たとえばこういった団体にも配分されています。
植林の神様、宮脇昭さんの姿も見えます。
→森びとプロジェクト委員会
→進和学園の「いのちの森づくり友の会」
これからもぽちぽち募金活動を進めてまいりたいと思います。
本日の笑市(*@v@)ノ
明日の笑市(*@v@)ノ
お天気予報は芳しくありませんが、
その際は、知識の広場通路とその近辺で開催予定です。
お忙しい中集まってくださった皆様
本当にありがとうございます。







よろしければ是非遊びにいらして下さいませ。