BOOK BEST5 「ゆっくり問答」 サティシュ・クマール

「これまで支配的だったのは、
子どもや若者の頭の中にどれだけ知識を詰め込むのか、
という教育でした。(中略)
これまでは、頭(head)のHだけの教育だったわけですが、
本来は、それに心(heart)のH
そして手(hand)のHが加わって三つのHが揃っていなければならないのです。
(中略)
そして日本では四つ目のHを加えたい。
それはハラ(腹)のHです。」
「自然界を見てください。
それがなかったら生きていけないという
最も重要なものは全部タダですね。
例えば、空気を吸わなければ
どんなものも死んでしまいますが、タダです。
太陽の光もタダです。
水ももともとはタダですし、タダであるべきです。
同じように、もしも、
お金が生きるうえでそれほど必要なものならば、
やはりタダであるべきです。」










以前、「バガヴァッド・ギーター」(サティシュさんのすすめる聖典)の三位一体について書きました。
●ヤグナによって土を育てること
●ダーナによって社会を育てること
●タパスによって自己を育てること

※ヤグナ・・・創造によって(作物を収穫する)与えた損害をつぐない、それを埋め合わせする。肥料を与えたり、一年間土地を休ませること。 「失われた分を補うこと」
※ダーナ・・・私たちは誕生した瞬間から社会に育てられていることを忘れてはならない。育てられた代わりに、私たちは、自分の才能、労働、知識を、社会に対する贈り物として還すのである。 「頂いた分、お返しに与えること」
※タパス・・・断食・瞑想・学問・沈黙・休息や自然の中に身を置くことによって、私たちは自分の肉体と心を補強し活力を与える。 「自己に関する関心」
「自然と社会と自己は、三角形に結び合って全体を形成する。生活の中で、私たちは日々、この三つの側面に気を配る必要がある。そこには鍵となる概念が上記の三つある。」

いつも心の片隅に置きたい「三位一体」です。
本日、花結びお休み(^-^*)ノ
また来週再開いたしますので、よろしければご参加ください。
現在の本や詳細は、こちら・・・
余談ですが、花結びも2012.12にはじめ早2年ちょっと・・・
目の不自由なTさんが不意におっしゃた言葉・・・
「もうスピリチュアルな本が読めなくなりました」がひとつのきっかけでした。
じゃあ、自分も本が好きだし、
当時放送部ご出身のIさんがいたし・・・
みんなで勉強がてら音読できたら(してもらえたら)・・・
隣の人に読んであげるような優しい空間ができたら・・・と始めた会でした。
継続すること、継続させていただいたいることのありがたさ・・・
そして今では、読んであげると言う関係をとうに飛び越えて
私自身かご参加者の方からの情報で学ばせていただいています。
いつも黙読のsoraは、音読による共有感がこれほど心地よいのかと再発見でした。
サティシュさんは言います。
「何かこうなればいいな」・・・
あなた自身がすでにひとつのモデルになる・・・
他の人にとっての「機会の窓」になる・・・
それが徐々に周りの人たちの機会の窓となって、だんだんと風景全体が変わっていく。
イベントをするしないに関わらず、
自分自身が機会の窓になる・・・
そうなりたいと思うことが大切です。
皆様のご参加お待ちいたしております。

(先日、ひろった野山の植物)
東田君の名言・・・
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東田君シリーズ最後は、
彼の名言を拾い集めたいと思います。
挨拶
「挨拶をするために人だけを区別するのは、本当に大変です。
相手が誰だかすぐにはわからないことも、挨拶ができない理由のひとつですが、
僕にとっては人間が魅力的な存在ではないからでしょう。」
植物
「僕は、植物に嫉妬することがあります。」
「誰かが僕を呼ぶ声が聞こえます。声のするほうに振り返った時、
自分が人間だったことを思い出すのです。」
空いっぱいの青
「人の行動は、何を基準に異常だと決められるのでしょう。
何度注意されても、なぜ自閉症者は、
こだわり行動をやめられないのでしょう。
僕が青空を見て泣けてくる気持ちは、
こだわり行動をしているときの気持ちに少し似ています。
せつなくて、寂しくてどうしようもないくせに幸せなのです。」
デジャヴ
「空想と現実の間に存在するデジャヴ。
その世界からなかなか抜け出せない自閉症者もいるかもしれません。」
絆
「人は、人によって救われます。
それを絆という言葉で表現されます。
もしも、誰からも気にかけてもらえないとしたなら、
人は人生に絶望するでしょう。」
広くて狭い僕の世界
「自分を知らない人が、この世に存在することが、
当たり前なのです。
知り合いなんて、地球全体から見れば、
ほんのわずかな人数ではないでしょうか。
そう考えると、人からよく思われたいとか、
誰かと比べて優位に立ちたいとかいう願いは、
あまり意味のないことのようにも感じます。」
想像上の僕
「小さい頃の僕は、普通になった自分を想像するたび、
胸が苦しくなっていました。
このままの僕ではだめだという気持ちが強かったのです。
幸福な自分を想像することで、
今の僕は、本当の自分ではないと思いたかったのでしょう。
僕は他の誰かになりたかったのです。
それがかなわない夢だと知ってからは、
自分の生きる道を真剣に模索し始めました。」
彼は、間違いなく神様からのギフトです。
自閉症やそれに近い日常行動をもつお子様を抱えているご家庭にとって
彼の本がどれほど心の支えになっているかわかりません。
時には、
会話ができない彼の言葉の方が
会話のできるわれわれの言葉よりも
深く真実をついているのはなぜでしょうか・・・
それは観ているもの
もしくは観ようとする心の動機が、
すぐに生産性へ走るわれわれとは違う・・・ということでしょう。
「みなさんは何を観ていますか」
東田君は優しく私たちに問いかけます。
最後の最後に・・・
あとがきにでてくる「呪術師ドン・ファン」の言葉をご紹介いたします。
「目からの重荷を取り除くために
耳を使わにゃいかん。わしらは生まれたときから
もののごとを判断するのに目を使ってきた。
わしらが他人や自分に話すのも主として見えるものについてだ。
戦士はそれを知っとるから世界を聴くのさ。世界の音に聴いているんだ」
跳びはねる思考②

「夏が来るたび」
それまでは何も感じていなかったのに、
夏が来たことがわかったとたんに、どきどきします。
急に体が熱くなり、汗が噴き出ます。
僕は目玉をきょろきょろ動かし、
耳をそばだてなければいけません。
そうして、なるべくたくさんの夏の印象を
自分の記憶に閉じ込めなければ、
今年の夏の思い出がなくなってしまうからです。
頭の中にある夏のイメージと、
目で見ている景色が一致すれば安心します。
聞えてくる鳥や虫の鳴き声、
夕立の音が僕の知っている音と一緒だと
嬉しいのです。
いつもの夏と違うことが起こらないように、
僕は四六時中見張っておかなければなりません。
何のためにこんなことをしているのか、
自分でもわかりません。
自閉症者には変化を嫌う特徴があるからでしょうか。
生活はどんどん進歩していますが、
変化を恐れる気持ちというものは、
本当は誰もが持っているものです。
人がもともと備えている感性は、どんなに生活が便利になっても、
なくしてはいけないものだと思います。
それを失えば、人は動物としての本能を忘れてしまうことになります。
そうなれば、悲しいだけではなく、
人類としての危機だと感じてしまうのです。
僕は確かに意味のないことをしているかもしれませんが、
そもそも人はすべての行動に理由などつけられるのでしょうか。
今年の夏も無事に終わりました。
何事もなく次の季節を迎えられることが、
僕の喜びなのです。
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最後からの4.5行・・・何と美しい言葉でしょうか・・・。
私たちが瞬時に行動をとってしまうとき、
やらずにはおられず、行動してしまうとき、
もともと理由なんてなかったと思います。
もしくは、理由をつけると言う行動が重要でないとも言えます。
「やりたいからやる」
「やめたいからやめる」
「理由のない行動は、おかしい」という一般的な通説があるからか
人は慌ててあとから理由を探します。
そして、理由を探すとき、人はひとつ「自由」の幅を狭くします。
なぜなら、その「理由」は後から自分を縛ることもあるからです。
その「理由」でなければ、その行動をしてはいけないという
暗黙の「縛り」を自分に課すからです。