知行合一と思行合一
昔から言われている美徳のひとつです。

●思行合一(しぎょうごういつ・sora造語)・・・思っていることと行動は一体であるということ。また、一体にしたほうがいいということ。思っていることと同じでない行動は、後にその人の悩みになる。(sora造意)
人は誰にでも悩みがあります。
ただ、ここからが全く違うのですが、
「悩みを悩みとして悩みきる人」と
「悩みを悩みと知りながら、そう感じずに、悩みきらない人」とがいます。

職業柄、時々人のお悩みを拝聴することがあるのですが、
この両者は、雲泥の差を生みます。
soraは、後者の方を「苦の中にいて、苦のままで、楽である」と表現します。
そういう方には共通点があります。
思っていることとやっていることが合わさっているのです。
もちろん人間ですから、100%とはいきませんが「ほぼ」合一なのです。
心で「いややな」とと思ったことには関わらないのです。
「いややな」と思いながら、義理だからとか、しょうがないからと関わり続ける人には
文字通り悩みが尽きません。
逆に「いいな」と思ったら、四の五の言わずに「賞賛」を選び、自分もやってみる。
「単純」でいくのです。

ちょっと表現は違いますが、先日とどいたDMの中で
アートセラピストのはせくらみゆきさんがこんなことを書かれていました。
「個々人が、自分の世界を創る・・・
人類の意識が、さなぎから蝶へと進化する、
『その実際のときを迎えた』というのが、
私の中の2015年の位置づけです。
1986年ごろからその萌芽は始まっていましたが、
いよいよ表に表れてきます。
現実はひとつではなく、パラレル(平行して)無数にあるとお伝えしてきました。
『個々人それぞれが、自分の見る時空、世界を創り出す』ということが顕著になっていくでしょう。
当然、何も現実が変わらない、むしろ悪くなっていると思う人には、
その現実が見えることになると思いますが、
『それなら、いいことだけ思えばいいのか』というと・・・
『思っていること』と『ハートや全身から出ている振動』がバラバラだったらどうでしょう。
いいことだけを思っているつもり、
でも実際は比較したり、嫉妬したり、戦ったり、判断したり・・・
そういう振動を発しているなら逆の抵抗も生まれるので、
なかなか思うことが現実として見えてきません。」

思っていることは「人にはばれないから・・・」ではないのです。
「天知る、地知る、吾が知る」
どうやら「思行合一」は、「苦の中にいて、苦のままで、楽である」の秘訣のようです。
