168号線の旅・・・その1
書けなかった旅の雑記を・・・。
2月のとある日・・・
以前、磐船神社にお参りさせていただいたことがあったのですが、
ご朱印をいただいていなかったのでもう一度出かけました。
以前は、京滋バイパスから南下しましたが、
今回は、西名阪から168号線を北上するルートを取りました。
このルートがなかなか面白かったです。
まずは平群・・・
「治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」といわれた
島左近の故郷です。

島左近は、石田三成の側近中の側近。
関が原の合戦で負けたために悪者扱いを受けていた三成も
最近ではその業績が客観的に見直されています。
敗者がゆえに悪者扱いを受けるのは歴史の慣わし・・・
その慣わしが冷静に手直しされている時代が来ているようです。

確か20代のときにこの道を大阪から通ったことがあったと思うのですが、
年を重ね歴史を知ると、この道の趣きがしみじみ分かります。
西に信貴山・生駒山・・・
東に奈良盆地・・・
この道が歴代の人物にとって彩られ、重ねられた思いが心に染み入ってきます。
北上するごとに何か惹かれる地場だなと思っていると・・・
その理由がわかりました。
思いもかけずこの方のお墓に出会えました。
下道を走るとこういった思わぬ嬉しい出会いが待っています。
ずっと行きかったこの方のお墓・・・今回偶然にもたどり着けました。
その方は、住宅街に佇まれていました。



ずっと来たかったところなのでこういった形で
お会いできたのが本当に嬉しかったです。
長屋王は、当時政界の重鎮だったのですが、対立する藤原氏の陰謀のために自害を強いられます。
(長屋王の変)
お参りをすまし、階段を下りるとなぜか涙がこぼれました。
私もかつてここにいたのか、それとも過去の私が長屋王のことを知っていたのか・・・
それは分かりませんが・・・。
ということは、傍に妃の吉備内親王のお墓もあるはず・・・
吉備内親王は、長屋王の変で夫である長屋王と同じ運命となります。
偶然通りかかったおじさんに尋ねると、本当にすぐ傍に・・・
長屋王のお墓よりも少し小高い住宅街に・・・

階段を登ります。

実は前述のおじさんがこちらにも見えて・・・
おそらくお参りを日課になさっていらっしゃる様子でした。

地元の方がお供えした野花が「優しさ」を感じさせます。

「よく来たね」ってニャンコも迎えてくれました。
おじさんに先ほどのお礼をお伝えし、吉備内親王の階上から見えるこの山について尋ねました。

葛城山や真ん中にチラッと金剛山も見えます。
手前の山が同じく悲運の皇子・大津皇子が眠る二上山かどうかおじさんにも尋ねました。
おじさん曰く、隠れて見えないだろうとのです。
ただ、同じ方角には間違いないのでなにやらジーンと来ます。
このおじさんはとても親切な方で
次に「紀氏神社」まで行くことをお伝えすると、


わざわざ車で追いかけてくださり
「二上山」でないことや「やっぱり隠れていること」を教えてくださいました。
本当に親切なおじさんでした。
おじさん、ありがとうございます。

ちょっと寄り道して、そのおじさんのおすすめで
信貴山の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に向かいます。
つづく・・・
